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水のない水辺から・・・「暗渠」の愉しみ方 第10回 台地の上の、水のない水辺 三田用水跡をたどる | ミズベリング
時代により役割を変えながら300年流れ続けた三田用水 「水のない水辺から」第10回となる今回は、東京の... 時代により役割を変えながら300年流れ続けた三田用水 「水のない水辺から」第10回となる今回は、東京の台地上を流れていた、失われた「水路」についてとりあげてみましょう。 川は通常谷筋を低い方へと流れるものです。川の跡である暗渠もまた谷底を流れています。しかし、中には台地の上の「暗渠」も存在します。それらは、かつての用水路の跡です。今回とりあげる「三田用水」はそんな「台地の上の水のない水辺」のひとつです。 三田用水のなりたち 1653年、江戸では市中の飲用水の供給を目的として、多摩川から取水した玉川上水が開通します。上水は、羽村市の取水地点から40km以上離れた江戸市中まで水をスムーズに届けるために、谷筋や低地を避けて武蔵野台地の中央の最も高いところを選び、掘削されました。 やがて流域の村々の飲用水や灌漑用水として、数多くの分水路が台地上の尾根を伝うように開削されていきます。それらの中で最も
2015/09/17 リンク