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「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。 多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない(カエサル)」について、混沌とした状況になっているので整理します。 - オシテオサレテ
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引用テキストの多いぼくの日記でカエサルの「人は自分の見たいものしか見ない」という話をしてみるよ - ... 引用テキストの多いぼくの日記でカエサルの「人は自分の見たいものしか見ない」という話をしてみるよ - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt) カエサルのそのテキストの引用をしている人は、元テキストについてどれだけのことを知っているか知らないので、丸っきり知らない人のために元テキストを紹介しておきます。 しかし、この元テキストが曲者なのです。1) この格言の(おそらくは)典拠である箇所、2) 塩野氏が紹介している格言、3) 愛・蔵太さんが元テキストとして提示されているもの。この三つが整理されないまま、ぐちゃぐちゃになっています。だから、すこしここで整理します。 まず前提から。カエサルに帰されているこの言葉が日本で有名なのは、塩野七生氏が『ローマ人の物語』の中で紹介したからです。塩野氏は次のように紹介しています。 人間ならば誰にでも、現実のすべてが
2020/09/22 リンク