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4月から松戸線になった“新京成線”、本当の終点は「葛飾柴又」だった 度重なる路線の駅の移転はなぜ起きたのか - おとなの週末Web
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松戸線(旧・新京成線)の終点は“葛飾柴又”だった!?とある電機メーカーの製品を“自社の電車”に使い続け... 松戸線(旧・新京成線)の終点は“葛飾柴又”だった!?とある電機メーカーの製品を“自社の電車”に使い続ける理由とは の画像をチェック! (全18枚) ※トップ画像は、昭和時代の新京成線(現・松戸線)をゆく100形電車=1984(昭和59)年12月、上本郷駅~松戸新田駅間(松戸市仲井町)、撮影/菅野秀行 旧財閥が”あと押し”した松戸駅開業 この4月1日から、長年親しまれて来た“新京成線”の名は、「松戸線」へと改称された。松戸線は、松戸駅(千葉県松戸市)と京成津田沼駅(千葉県習志野市)を結ぶ。耳がなれるまでは、「以前は新京成線だった・・・」と、枕詞を必用とすることもあるだろう。先の大戦が終わりを告げ、今年で80年を迎える。そうした年に、松戸線の前身となる旧日本陸軍・鉄道第二連隊「軍用”松戸線”」の名が、“先祖返り”したのは何かの縁であろうか。 さて、松戸線が走る船橋市内には、かつて軍需製品を生産