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17~18世紀の首里城の礎石 個人宅に100年保存 当時の首里市が財政難で曾祖父に売却 「沖縄県に寄贈したい」 | 沖縄タイムス+プラス
津嘉山さん宅に保存されている欄干支柱は、縦横約15センチ、高さ90センチ余りの直方体。現在7本あ... 津嘉山さん宅に保存されている欄干支柱は、縦横約15センチ、高さ90センチ余りの直方体。現在7本ある。首里城正殿など柱の下に敷く礎石は直径約40センチの半球体。15個ある。 珍勝さんの曽祖父・珍厚さんが当時首里市の市議だった1910年~20年ごろ、財政難で正殿以外の建築部材を競売にかけていた市から購入したという。津嘉山家は戦前、パナマ帽の製造・販売で一財産を築いており、珍勝さんは「財政的なゆとりもあったのだろう」と想像する。 戦後の1950年代、母親が自宅にあった欄干、礎石を首里博物館(当時)に寄贈したが、一部を自宅に残していた。 小さい頃から首里城の建築資材が自宅にあることを知っていたという珍勝さんは「いつかは返さないといけないと思いつつも、タイミングを逸してしまった。価値についても疎かった」と話す。首里城火災があり、再建が進む今こそ寄贈すべきだと思い立った。 首里城の歴史に詳しい県立芸術
2024/01/16 リンク