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“解像度”が低いところに、秀逸なものは生まれない|佐渡島庸平(コルク代表)
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“解像度”が低いところに、秀逸なものは生まれない|佐渡島庸平(コルク代表)
「AIは、自分ができることを拡張するための道具でしかない」 先日、とある経営者と対談したときに、印象... 「AIは、自分ができることを拡張するための道具でしかない」 先日、とある経営者と対談したときに、印象に残った言葉だ。 AIが加速度的に進化して、さまざまな分野で活用が進むいま、「これからはAIで何でも簡単にできるようになる」という期待が、あちこちで語られている。AIの力を借りれば、誰もが知的で、クリエイティブな活動ができるようになる。そんな風に、未来に希望を抱く声も多い。 でも、そんなことは起きないと感じている。AIは、道具でしかない。ペンを持ったら、誰もがマンガを描けるわけではない。それと同じで、使いこなすには、ビジョンが必要だ。 もともと力のある人がAIのサポートを受けることで、その力をさらに高めることは起こり得るだろう。けれど、もともと素養がなかった人が、AIのサポートだけで、突然、何かすごいものを生み出せるようになる。それは、ちょっと飛躍しすぎた期待だ。 たとえば、AIに「資料を作