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【日曜に書く】論説委員・森田景史 老いた「わが子」と暮らして
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【日曜に書く】論説委員・森田景史 老いた「わが子」と暮らして
犬好き、猫好きで知られる作家の幸田文(1904~90年)が、最後に飼ったのは捨て猫だった。 出版記... 犬好き、猫好きで知られる作家の幸田文(1904~90年)が、最後に飼ったのは捨て猫だった。 出版記念のサイン会で大阪に向かう日、玄関先に置き捨てられていたという。東京に戻った文は、まだ幼い猫を「阪急」と名付け、家族として迎えた。名前の由来は、サイン会の場所が阪急百貨店だったから―。 随筆集『幸田文 どうぶつ帖』のあとがきに、エッセイストの青木奈緒さんが書き留めている。青木さんは文の孫だ。 「親ガチャ」の運不運生涯に何匹も飼った猫について、文はこうつづった。 〈私はまったくぞんざいな飼いかたをしているが…そのときどきの猫にその時々の自分の心を大ぶ持って行かれているとおもう〉(『ふたつボン』) 「阪急」は15歳まで生きた。足腰の弱った晩年はテーブルの上でひねもす横になり、下の世話をすべて文に委ねていたと聞く。捨てた人の行いは沙汰の限りだが、拾う神に恵まれたことは不幸中の幸いだった。 このところ