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報道・ジャーナリズムの反社会・反体制行動や「監視」の正当性
反社会・反体制が報道の存在意義として成立し、多様な特権を国民から得られたのは、社会や体制が国民全... 反社会・反体制が報道の存在意義として成立し、多様な特権を国民から得られたのは、社会や体制が国民全般に対して悪を成し、打倒すべき存在である状況下においてなのですよね。しかもそれは監視のみで、直接攻撃までは許容されていませんでした。 — 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年9月10日 昨今ではむしろ、報道やジャーナリズムが多分に国民全般に対して悪を成すような界隈へ助力する傾向が強い感があります。また、監視のみの権限のはずが、報道の力・特権を用いての直接攻撃にまで至っているのが実情です。実名報道や、伝えない自由などが好例ですね。 — 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年9月10日 このような話をすると必ず物事をゼロか1かで判断してしまう人がいるのだけど、決してそうではなくて、あくまでもそのような方向性を示す挙動、性格を有するあれこれが増えてきたということで。ま
2016/09/11 リンク