幼少期に、生頼範義と石原豪人のどちらを好きだったか? その選択によってその後の人生が決まってしまうのではないか、と思うほどに、この二人の絵は強烈な印象を放ち、昭和生れの少年少女たちの胸を熱くした。 生憎、わたしは11歳のときにジャガーバックスの『いちばんくわしい日本妖怪図鑑』を買ってしまったので、石原豪人が得意とする艶かしく猥雑としたカルチャーの方を追いかけるようになった。 その影響もあって、生頼範義の主戦場であるSFの世界に足を踏み入れるのは、少しばかり出遅れた。 オバケだの肌色だのオカルトだのに興味をもっていたわたしが、最初にその“絵”と接触したのはいつか、いまでも覚えている。『月刊ムー 創刊号』(1979年11月)の表紙だ。 オーライ、オーライ、よし覚えた! それ以来「オーライノリヨシ」という言葉は、ものすごい絵を描く人の名前として、わたしの頭に強烈に刻み込まれた。 ひとたびその存在
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