決定の瞬間、私はある種の安堵感で腰が抜けそうになりました。これで、2020年までの7年間は、日本の大きな破綻は回避できると思ったからです。 例えば、国債並びに日本円が大きく売り込まれる可能性、近隣諸国とのナショナリズムの突き合わせが悪化して経済や政治に決定的な悪影響が出る可能性、将来への悲観から大規模な人口流出が起きたり出生率が更に一段階下がったりする可能性、そうした懸念について、とりあえず7年間については大破綻を回避しようという強い動機が生まれました。これは素直に喜ぶべきことだと思います。 次に思ったのは、1964年の東京五輪とは質的に要求されるものが全く違うだろうという点です。64年の場合は、五輪そのものの持つカルチャー的な意味合いも低かったですし、国際間の情報流通も限定的でした。ですが、半世紀を経た現在、五輪の「ソフト面」に関する意味合いは拡大し、大きく変化しています。そうした変化へ