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坪内利八に関するfromAmbertoZenのブックマーク (1)

  • 坪内祐三の父方の閨閥 - 神保町系オタオタ日記

    坪内祐三の母方の曽祖父は井上通泰だが、父方にも立派な人物が多くいる。 坪内は、『極私的東京名所案内』で、手塚律蔵という洋学者が先祖の一人として、律蔵が佐倉藩の祐筆の娘と結婚し、二人の間にできた次女が、父方の祖母*1の母と書いている。 これを詳しく調べてみると、手塚律蔵(晩年は瀬脇寿人と称した)は、文政5年生*2。は賀濃で、長女富子は脚気論争で知られる高木兼寛の、次女好子(安政3年生)は豊住秀堅(弘化2年生、明治33年1月海軍軍医総監)の。好子の娘豊子(明治8年生、東洋英和高女卒)は織田一(元治元年生)と結婚し、梅子(明治31年生)と正信(英文学者、学習院教授)が生まれている。梅子は坪内利八(明治21年生)と結婚し、嘉雄(大正9年生、昭和48年〜58年ダイヤモンド社社長、のち会長)が生まれる。嘉雄は井上泰子(昭和2年生)と結婚し、祐三が生まれる。 小谷野家とかオタどん家と違い、父方も母

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