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坪内祐三に関するfromAmbertoZenのブックマーク (2)

  • ”財界の秘密結社”こと協同調査会の実働部隊を務めた坪内嘉雄の経歴―坪内祐三『総理大臣になりたい』(講談社、2013)感想 - わが忘れなば

    7/11-12 で、坪内祐三『総理大臣になりたい』(講談社、2013)という(ちょっと妙なタイトルの)新刊を読みました。 総理大臣になりたい 作者: 坪内祐三出版社/メーカー: 講談社発売日: 2013/07/11メディア: 単行(ソフトカバー)この商品を含むブログ (5件) を見る このの前半部分では、財界の裏面で活躍(暗躍?)した著者の父・坪内嘉雄(1920-2012)のことが語られていましたが、それが結構興味深い内容でした。(坪内祐三は、『文学を探せ』の後半でもいくらか嘉雄のことを書いていましたが、ここまで委しく書いてはいませんでした。)出たばかりの新刊をあまりネタばらししてしまっては悪いので、興趣を削がない程度に簡単に紹介&感想を述べたいと思います。 著者は、坪内嘉雄のことを次の様に紹介しています。 私の父は不思議な人でした。東大の法学部を出て、海軍の短期現役士官、通称「短現」

    ”財界の秘密結社”こと協同調査会の実働部隊を務めた坪内嘉雄の経歴―坪内祐三『総理大臣になりたい』(講談社、2013)感想 - わが忘れなば
  • 坪内祐三の父方の閨閥 - 神保町系オタオタ日記

    坪内祐三の母方の曽祖父は井上通泰だが、父方にも立派な人物が多くいる。 坪内は、『極私的東京名所案内』で、手塚律蔵という洋学者が先祖の一人として、律蔵が佐倉藩の祐筆の娘と結婚し、二人の間にできた次女が、父方の祖母*1の母と書いている。 これを詳しく調べてみると、手塚律蔵(晩年は瀬脇寿人と称した)は、文政5年生*2。は賀濃で、長女富子は脚気論争で知られる高木兼寛の、次女好子(安政3年生)は豊住秀堅(弘化2年生、明治33年1月海軍軍医総監)の。好子の娘豊子(明治8年生、東洋英和高女卒)は織田一(元治元年生)と結婚し、梅子(明治31年生)と正信(英文学者、学習院教授)が生まれている。梅子は坪内利八(明治21年生)と結婚し、嘉雄(大正9年生、昭和48年〜58年ダイヤモンド社社長、のち会長)が生まれる。嘉雄は井上泰子(昭和2年生)と結婚し、祐三が生まれる。 小谷野家とかオタどん家と違い、父方も母

    坪内祐三の父方の閨閥 - 神保町系オタオタ日記
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