「広辞苑」編者の祖父新村出が書いた嘆願書と孫の恭さん(京都市北区・新村記念財団重山文庫) 映画や音楽、アートを楽しみ、カフェでひととき憩う。暮らしに根ざした京都の文化活動と言論が、ファシズムの軍靴に踏みにじられていく。1937年、治安維持法違反容疑で新村猛(1905~1992年)らが検挙された「世界文化」事件。言論を統制し自由を弾圧する中で、日本は戦争の泥沼に踏み込んでいった。 長く親しまれてきた国語辞典「広辞苑」の編さんは、京都市で新村出(いづる)、猛親子によって進められてきた。猛はフランス文学者で戦前は同志社大予科教授。戦争へと突き進む時勢にあらがって、雑誌「世界文化」や文化新聞「土曜日」を京都の若い学者仲間や映画人らと発行していた。 戦時下の文化的な抵抗として、「世界文化」と「土曜日」は知られる。「花は鉄路の盛り土の上にも咲く」「人間を見くびること、それが一番軽蔑に値する」(土曜日の