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明治に関するfujimon76のブックマーク (4)

  • 斎藤一の鮮明な写真見つかる「これが死線くぐった目だ」【新撰組幹部】

    幕末に新撰組の幹部として活動した斎藤一(さいとう・はじめ)の鮮明な写真が、初めて発見された。2015年秋に斎藤の親族の蔵から出てきた2枚の写真を、次男の子孫である藤田家が7月15日に公表した。家族写真は明治30年(53歳当時)に撮影されたもので、単独の写真も同じ頃に撮られたものとみられる。 歴史研究家・あさくらゆうさんによると、これまで人の写真は、次男の結婚式に出席した際の不鮮明なものしか見つかっていなかった。しかし、「斎藤一の写真」として、別人の写真がネット上に出回っており、真実の姿を世間に知らせるために藤田家が公表に踏み切ったという。 あさくらさんは、ハフポスト日版の電話取材に対して「今回の写真を見て『なるほど』と納得した。息子の勉(つとむ)さんと比べて、キリっとした目つきで『これが死線をくぐって来た目だ』」と思った」とコメントしている。

    斎藤一の鮮明な写真見つかる「これが死線くぐった目だ」【新撰組幹部】
  • サイコロキャラメル終了 明治、89年目北海道限定に - 共同通信 47NEWS

    明治「サイコロキャラメル」の2013年まで使用されたデザイン  明治は9日、1927年に発売した「サイコロキャラメル」の全国出荷を3月末で終了したと明らかにした。6月からは北海道限定の土産品として販売する予定だ。サイコロの目を描いた箱のパッケージで親しまれたが、事業見直しのあおりを受け、登場から89年目で大きく生まれ変わる。 想定小売価格は3月時点で1箱2粒入りの5箱セットで132円。昭和初期の発売当初から、遊び心のあるデザインが話題となり、特徴的な包装で人気を集める商品の先駆けとなった。 サイコロキャラメルを北海道限定の土産品に衣替えするのはこれまで製造していた工場があるためで、グループ会社が販売を再開する予定だ。

    サイコロキャラメル終了 明治、89年目北海道限定に - 共同通信 47NEWS
    fujimon76
    fujimon76 2016/05/10
    これからは北海道行かないと買えないのか。
  • 神戸新聞NEXT|社会|見慣れた姿、実は壁劣化の下地だった 兵庫県公館

    国登録有形文化財の兵庫県公館(神戸市中央区下山手通4)で進められている大規模改修工事で、外壁の色が約60年ぶりに1902(明治35)年の創建当初に復元された。灰色っぽい姿で長年親しまれたが、その色は実は上塗りが剥がれた下地のモルタルのもの。かつての色を記した工事記録が残っていないため、壁の劣化の少ない場所を判断材料にし、黄みがかって見える色に塗り直した。(斉藤正志) 今年3月、北側と東側の工事用シートが外され、化粧直しを終えた外壁が現れた。近くで見ると黄土色だが、少し離れると淡い黄色が光に映える。 県公館は太平洋戦争末期の45年に神戸空襲に遭い、外壁を残すのみになったが、48年と51年の2度の工事を経て復旧。県営繕課によると、この時に創建当時の色に塗られたとみられる。 83~85年に大規模改修を施したが、外壁は対象にならず、次第に上塗りが剥がれて下地のモルタルがむき出しになっていた。近年、

    神戸新聞NEXT|社会|見慣れた姿、実は壁劣化の下地だった 兵庫県公館
  • 近代国家 日本の登場 - 5.六大巡幸 : 国立公文書館

    御生涯の大半を御所で過ごされた江戸時代の天皇とは対照的に、明治天皇は各地へ行幸されました。六大巡幸(ろくだいじゆんこう)とは、明治5年(1872)の九州・西国、同9年の東北・北海道、同11年の北陸・東海道、同13年の甲州・東山道、同14年の山形・秋田・北海道、同18年の山口・広島・岡山、合計6回の巡幸のことです。 このうち、明治14年までの5回は太政官が主管して行われ、明治18年の1回のみ宮内省が担当しました。そのため、六大巡幸に係る公文書は、初回から5回までは主として国立公文書館に、最後の1回は宮内公文書館に原書が伝わっています。宮内公文書館が所蔵する5回目までの文書は、多くが写しか太政官で作成・取得された文書を引き継いだものです。 巡幸には、写真師が随行し、各地の風景や建造物などを記録撮影しました。還幸後、明治天皇へ献上された写真もあります。展示資料の「九州御巡幸写真」は、明治5年の巡

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