タグ

吉本隆明に関するfunaki_naotoのブックマーク (80)

  • 【文庫解説】生誕100年──蜂飼耳 編『吉本隆明詩集』より

    年2024年、吉隆明(1924―2012)の生誕100年を迎えます。詩と批評、文学と思想に渉る著作活動を続けた戦後を代表する思想家にして、最大の詩人の一人です。その詩業は、戦後詩の画期となっています。半世紀に及ぶ全詩を一望した上で、初めて一冊に精選した詩集が、ここに編まれました。現代詩の最前線に立ち、中枢を担う蜂飼耳先生が編纂をされました。青年は、常に「ひとつの直接性」(「ちひさな群への挨拶」)として、一人、世界と対峙しています。青年を取り巻く時代は、1940年代から50年代、60年代、70年代…2020年代、さらにその先へと変わり続けます。吉は、時代を超えた、すべての青年の抱える思いを、繊細にして雄勁な最上の日語による詩としました。以下は、蜂飼先生の「解説」の冒頭からです。 思想家として論じられることが多い吉隆明(一九二四年-二〇一二年)の詩の仕事は、これから改めて読み直される

    【文庫解説】生誕100年──蜂飼耳 編『吉本隆明詩集』より
  • 『隆明だもの』父親は「戦後最大の思想家」 - HONZ

    全集は月報が面白い。月報とは、全集の各巻が刊行されるごとに差しはさまれる小冊子のこと。ようするに附録である。著者ゆかりの人物がエッセイでとっておきのエピソードを明かしていたり、著者の素顔について語られた座談会があったり、附録とはいえ内容は充実している。文学研究者のあいだでも、月報は作家の人となりを知ることができる貴重な資料とされる。講談社文芸文庫には月報だけを集めたラインナップもあるほどだ。 書は『吉隆明全集』(晶文社)の月報の連載をもとにしている。著者は吉家の長女で、漫画家・エッセイストのハルノ宵子。吉家は父・隆明、母・和子、長女・多子(さわこ:ハルノ宵子)、次女・真秀子(まほこ:吉ばなな)の4人家族で、書には、ばななとの姉妹対談もおさめられている。 吉隆明(1924年-2012年)といえば、戦後思想界の巨人として知られる。とくに団塊の世代には神のように崇める人が多い。そん

    『隆明だもの』父親は「戦後最大の思想家」 - HONZ
  • 吉本隆明質疑応答集〈2〉正論という - 本と奇妙な煙

    「これが現実と言ってスカしてる現状肯定野郎」 正しいことをいうっていうのは、そんなに立派なことじゃない 吉の言わんとするところがイマイチ伝わりにくいような気がするので、先にこちらから少し引用。 データサイエンス講義 作者:Rachel Schutt,Cathy O'Neil発売日: 2014/10/25メディア: 単行(ソフトカバー) 「これが現実と言ってスカしてる現状肯定野郎」 例えば、これまでに雇用された経験があり、全く同じ資質を持った女性と男性を比較することにしたとします。データを解析してみてわかることは、女性達は男性達より頻繁に離職し、昇進の機会が少なく、会社においてネガティブな評価を受けたということです。 その場合、作成したモデルは次に二人の似たような採用候補者が現れた場合、女性よりも男性を採用するという意思決定を行うでしょう。会社が女性雇用者を正当に扱っていないという可能性

    吉本隆明質疑応答集〈2〉正論という - 本と奇妙な煙
  • 第5回 親鸞『歎異抄』|日本思想史の名著を読む|苅部 直|webちくま

    隆明と親鸞 吉隆明の『最後の親鸞』(一九七六年初刊、現在はちくま学芸文庫で刊行)は、この思想家が日の古典にとりくんだ仕事のうちの代表作である。親鸞(承安三・一一七三年~弘長二・一二六二年)の著作である『教行信証』や、和讃・書簡も史料として用いられているが、その思想の骨格部分を知る手がかりとして引用されている書物としては、やはり『歎異抄』が大きな位置を占めている。親鸞の弟子である唯円がその晩年に、かつて直接にきいた親鸞の言葉を書きとめた著作であり、晩年の親鸞が至った思想の境地を語るものとして、広く読まれている。 経典を解釈する学問によって悟りに至ろうとすることを「聖道門」としてしりぞけ、文字のよみかきすらできない「一文不通」の庶民のための念仏の教え、すなわち「浄土門」こそが、人が没後の来世において悟りを開き、仏になるための優れた教えである。そうした親鸞の主張が、知識人による認識の限界

    第5回 親鸞『歎異抄』|日本思想史の名著を読む|苅部 直|webちくま
  • 呉智英『吉本隆明という「共同幻想」』: やまもも書斎記

    2016-11-23 當山日出夫 呉智英.『吉隆明という「共同幻想」』(ちくま文庫).筑摩書房.2016 (原著 筑摩書房.2012 補論の追加あり。) http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480433923/ いうまでもないが、こののタイトルは『共同幻想論』からとってある。その『共同幻想論』を、きちんと通読したことが実はない、ということについては、すでに書いた。 やまもも書斎記 2016年11月2日 ちくま日文学全集『柳田國男』 http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/11/02/8240413 くりかえし書いておけば、そこに引用されている「遠野物語」(柳田国男)の文章を読むのが怖いからである。 そして、この『吉隆明という「共同幻想」』である。 はっきり書いてしまえば、私は、吉隆明のファンということ

  • http://red.ap.teacup.com/tamo2/1701.html

  • 『最後の親鸞』/吉本隆明 - 関内関外日記

    ひさびさに、これほど夢中になって読めたはなかった。すばらしい読書だった。俺は『妙好人』(鈴木大拙)など読んで、その信のあるところが、弥陀の誓願の方であって行者のそれではないという絶対他力というところの、それじゃあ<信>と無縁のところについてのはたらきはあるのか、その他力願を推し進めれば<信>も<不信>もないところまで行ってしまって、結局、宗教というか信仰というか、それ自体が否定されてしまうのではないかみたいな疑問があって、『最後の親鸞』はまさにそこのところについてのであったのだった。すなわち、親鸞が浄土真宗そのものを<信>そのものを解体していく、その道であって、その道のであると、俺は受け取った。『妙好人』で、妙好人・浅原才一の、そしてそれに対する鈴木大拙の解説を読んでいたことも大きかった。そういった経験なしにはこのも読めなかっただろう。なにかわかったようないい気分にはなれなかった

    『最後の親鸞』/吉本隆明 - 関内関外日記
  • ミュージシャン・早川義夫さんの「わが人生最高の10冊」() @gendai_biz

    ここに挙げたのは、20歳の頃に手にした川端康成や江戸川乱歩、つげ義春を除くと、'70年に歌手をやめて、屋をしていた40代で読んでいたものが中心です。 1位の『小林秀雄講演』は新潮社が出しているCDです。図書館にあったカセットを借りて何度も何度も聴いていたもので、CDが出たときに全巻買い揃えました。 小林秀雄の評論は文章だと難しかったりするんだけど、話しているのはすごくわかりやすい。たとえば第7巻の「ゴッホについて」は、〈今、文学と言えば、まあ小説ということになっておりますが、昔は小説と言えば、くだらないものだったんです〉と始まる。文学の講演会なのに笑い声が起きるんです。 「ショクンはね」と語りかけながら、全然エラそうじゃない。落語みたいに間が絶妙で、すっと引き込まれてしまう。 ゴッホは膨大な手紙を弟に書き送っているんですが、小林秀雄はその手紙をもとに「個性とは何か」を考える。〈鼻が高いと

    ミュージシャン・早川義夫さんの「わが人生最高の10冊」() @gendai_biz
  • 吉本隆明〈未収録〉第8巻その2 柳田國男 - 本と奇妙な煙

    柳田國男と田山花袋 行動的文体。柳田と田山、互いの影響。 太宰治、志賀直哉 「鮎川信夫と吉隆明」瀬尾育生 前回の続き。 吉隆明〈未収録〉講演集第8巻 物語と人称のドラマ: 作家論・作品論〈戦前編〉 (シリーズ・全集) 作者:吉 隆明発売日: 2015/07/08メディア: 単行 柳田國男と田山花袋 柳田は田山花袋に批判的になったのは、『蒲団』[から](略)あれは「きたならしい作品」だというのが柳田國男のおもな批判の根拠でした。二十歳前後の青春期から仲のよい文学仲間ですから、田山花袋に会うといつでも、身辺とか家庭とか近親とかに素材をとって作品を書いて、自然主義を無理やり主義としておし通そうとするとそれに縛られて、かえってじぶん自身を窮屈にしてしまう、じぶんの方法をもっと拡げることをやったらどうだと批判していたと柳田は言っています。またそれに関連してじぶんは田山花袋と自然主義のかかわり

    吉本隆明〈未収録〉第8巻その2 柳田國男 - 本と奇妙な煙
  • 吉本隆明〈未収録〉第9巻 物語とメタファー - 本と奇妙な煙

    荒地派について 「物語性の中のメタファー」(寺山修司について) 偽感情 吉隆明〈未収録〉講演集第9巻 物語とメタファー: 作家論・作品論〈戦後編〉 (シリーズ・全集) 作者:吉 隆明発売日: 2015/08/06メディア: 単行 荒地派について [四季派の立原道造、三好達治とかの抒情詩みたいなものが詩だと考えて育った年代だったので] 荒地の詩が出てきたときにびっくりしたわけです。(略) 現実に対するさまざまな体験というのをだんだん重層化して重ねていって、現実の体験に対する内面的な反応、あるいは内的体験を積み重ねていくということ自体が詩の言葉になってしまうということがものすごい驚きであって、このように詩というのは書けるものかというのをとても新鮮な驚きとして感じたわけです。 (略) [鮎川信夫の「アメリカ」は] それは一九四二年の秋であった 「御機嫌よう! 僕らはもう会うこともないだろう

    吉本隆明〈未収録〉第9巻 物語とメタファー - 本と奇妙な煙
  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

    ウェブリブログ:サービスは終了しました。
  • DSpace at 愛知教育大学: 吉本隆明1949―小林秀雄の影響からの脱却―

  • 「反おもしろくない」でいけ、春樹批評 吉本隆明 - 本と奇妙な煙

    村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』 漱石の形態論 高等遊民 つくられる無意識 反復 吉隆明未収録講演集第二巻。94年の「物語について」という講演だけ、あまり聴いたことのない話が多かったので引用。 前半が、当時出たばかりの『ねじまき鳥〜』についての話、ここらへんで読むのをやめられそうな可能性があるので、後半の、現代は大衆も高等遊民化し、漱石の時代のように、純文学作家がオレはお前たちとは違うと孤立できず、大衆におもねり通俗化しがちで、これから純文学が成立するには「反おもしろくない」でいかないと駄目かもという話が面白いよと前置き。 この講演だけ読むと吉が春樹を評価してなかったようにとられそうなので、純文学界で評価されてなかった初期から評価していた、と念の為に書いておくw 吉隆明〈未収録〉講演集2 心と生命について (シリーズ・全集) 作者:吉 隆明発売日: 2015/01/08メディア:

    「反おもしろくない」でいけ、春樹批評 吉本隆明 - 本と奇妙な煙
  • 吉本隆明の183講演 - ほぼ日刊イトイ新聞

    フリーアーカイブ 183回の講演、合計21746分の 吉隆明さんの声をここに集めました。 無料無期限で公開します。 いつでも自由に、何度でも、 お聞きください。

    吉本隆明の183講演 - ほぼ日刊イトイ新聞
  • cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
  • cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
  • 対談「吉本隆明の人と言葉」…若松英輔×よしもとばなな : 本よみうり堂 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

  • [書評]フランシス子へ(吉本隆明): 極東ブログ

    まさか吉隆明が最後の最後にこんな傑作を残していくとは思わなかった。晩年のテレビ講演などを見ると、もうほとんど惚けているとしか思えない恍惚感まで浮かべていて、死ぬ前から著作物はもう期待されないだろうと思っていた。それがまさかのまさか。 亡くなる三か月前までの肉声を伝える、この、「フランシス子へ」はすごかった。老人惚けのような語りと極限まで押し詰められた思念が一つの純粋な言語の結晶となっているのだ。語りがそのまま詩になっている。 吉さんがこんな白鳥の歌を残していたんだと、読みながら、涙があふれてきた。それでいて、可笑しくて、笑いもこぼれる。こんなってあっただろうか。 タイトル、「フランシス子へ」というのは、「フランシス子」と名付けられた(ばななさんが命名した)の死に捧げたものである。吉さんの死に先立つ九ヶ月前のことだった。16歳4か月だったという。としては高齢の部類では入っていた

  • 吉本隆明が語る戦後55年・第二回 - 本と奇妙な煙

    「日歴史ブームをめぐって」(2000年) 歴史の進歩 『言語にとって美とはなにか』 「記録芸術の会」のもつ政治的意味の重要性 吉隆明が語る戦後55年〈2〉戦後文学と言語表現論 作者:吉 隆明三交社Amazon 「日歴史ブームをめぐって」(2000年) 最近はいわゆる進歩的な人たちにも、「日」に対する関心が強いらしくて、「このままでは日が滅びる」みたいな発言がけっこう目立つようになってきました。これはとても興味深いことで、実は似たような状況が戦前にもあったんです。(略) ちょうど日国が太平洋戦争に入るか入らないかという時期です。当時の進歩的な人たち、つまりロシアのマルクス主義の影響を受けている人たちが、いつの間にか、今と同じように「日の問題」を盛んにいい出したんです。 (略) その当時、労働組合は統合され、労働者はみんな産業報国会に編成されて生産現場で働いたわけです。左翼

    吉本隆明が語る戦後55年・第二回 - 本と奇妙な煙
  • 吉本隆明はなぜ「マチウ書」としたか - 本と奇妙な煙

    「関係の絶対性」 「マチウ書」にしたわけ 芥川龍之介『西方の人』、太宰治「駆け込み訴へ」 オウム 終戦 吉隆明は自分をエラソーに見せるためにフランス語使ったとか適当なことを書いている呉智英に教えてあげたいw 吉隆明が語る戦後55年〈5〉開戦・戦中・敗戦直後―『マチウ書試論』を中心に 作者:吉 隆明三交社Amazon 「関係の絶対性」 キリスト教の歴史は虐げられた者や貧しい者の歴史でなければいけないのに、中世のどこかで一種の支配者宗教になっていきます。新教、旧教といろいろあるのでしょうが、自分が富士見町教会で感じたあの雰囲気、もうできちゃっている雰囲気とか、牧師さんの言っていることがどうしても納得できなかったこと、そうしたことが全部自分のなかでつながってきたわけです。人間のもつ理念や思想、宗教性を根底のところでつかさどっているのは「関係の絶対性」であり、これはどのように読み替えようとも

    吉本隆明はなぜ「マチウ書」としたか - 本と奇妙な煙