挿絵/草双紙/絵本 書誌学が扱うのは謂わば〈書物〉の外部に過ぎず、内部テキスト(言葉)に対しては無関心であるといってしまうのは早計である。何故ならば〈書物〉は外部だけでも実に多くの情報を保有しているからである。そもそも、外部を持たない内部テキストなど存在し得るのであろうか。もし、無色透明で実態を持たない文字列が存在したとしても、それを読むことは出来ない。つまり、テキストは常に〈書物〉という外部を持つ存在であり、その外部とは読まれるべきテキストの一部なのである。 五 〈書物〉を読む技術リテラシー 一方、楽譜テキストを奏でるための演奏技術リテラシー維持には不断のレッスンが要求されるように、書物テキストの読解技術リテラシー向上のための訓練もまた不可欠である。それこそが国日本文学研究の普遍的な課題であり、国日本文学の存在意義であるといっても差し支えないだろう。 此処に仮名垣魯文の『安愚楽鍋』という