ものごころついてから落語を聞くようになった。落語について鮮明に記憶しているのは、今から約32年前に四年半住んでいたドイツから祖国日本に帰国するJALのジャンボ機の中のことである。機内で特にすることもないので、起きている間は落語をずっと聞いた。熊さん八っつあんの滑稽なものがたりは、西洋文化とは全く違う何か自分のDNAにしみこんでいる祖国日本を感じさせた。 昭和50年(1975年)の八月にドイツから日本に帰国した。夏休みを父の実家の浜松で一ヶ月半近く過ごし、父の転勤で神戸に引っ越した。神戸の諏訪山小学校時代は自宅にテレビがなかったので、毎日ラジオを聞いていた。朝日放送、毎日放送、ラジオ大阪、ラジオ関西、近畿放送を懐かしく思い出す。 当時関西のラジオ局では、上方の落語がよく放送された。また、NHKでは上方演芸会が日曜日の夜に放送され、その後21時05分から30分、古関裕而のメロディーで森繁久彌と
![◇ コ ラ ム ◇ 古典芸能](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/edd32fc01d7af696ef24b8a29f9c1cdc6c5cc777/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.m-kiuchi.com%2Fimage%2Fogp.png)