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愛媛に関するhikabuのブックマーク (78)

  • 伊予 金比羅街道散歩;川上宿から桜三里の中山越えを丹原まで

    先日、丹原の利水史跡を辿り、そのひとつである千原集落の「庄屋井手」を訪ね、四国山地と高縄山地を隔てる中山川に沿って国道11号を丹原のある西条市から西へと東温市方面へと向かった。 「名勝 桜三里」の看板のある千原集落の堂(休業中であった)近くに車を停め「庄屋井手」を求めて集落を彷徨ったわけだが、その途中、五社大明神の前の道に「讃岐街道」とあった。古の「金比羅街道」である。 はじめは、山腹を進み東へと向かうものだと思っていたのだが、上りの道は途中で途切れ先に進んでいない。ということは、五社大明神から下る道筋が「讃岐街道」であろうと、その前後を調べてみると、古の金比羅街道は千原集落の少し西で中山川筋から現在の国道11号に上り、そこから国道を越えて山裾をこの五社大明神の少し上に出る。そしてこの五社大明神から一旦桜三里の堂のあったあたりの国道まで下りるが、そこから再び沢に沿って上り、現在の国道1

    伊予 金比羅街道散歩;川上宿から桜三里の中山越えを丹原まで
  • 【愛媛県】ちょっと自転車で伊予灘沿いを旅してきた話【東予港〜夕焼けこやけライン〜宇和島】

    さて、今回もオレンジフェリーのマイバイクステイサービス利用します。 自転車を「そのまま」船室まで持ち込めるこのサービス。デラックスシングル利用のみで1万円ちょっとだけど、個室、アメニティ一式、ベッド、そして持ち込みと移動、宿泊と思えばめちゃくちゃリーズナブル。 pic.twitter.com/SDGkAIfT7g — 神楽坂つむり (@tsumuri_f5) January 7, 2022

    【愛媛県】ちょっと自転車で伊予灘沿いを旅してきた話【東予港〜夕焼けこやけライン〜宇和島】
  • お気楽アルプ日記 vol.2 : 面河村立石墨小学校跡 - livedoor Blog(ブログ)

    2011年12月26日 カテゴリ廃校 面河村立石墨小学校跡 r341 県道341号をいく。 そうそう、1台も車と遇わなかった県道。 ちょっとした峠で、なぜかふっと横を見たら・・・・ は・は・廃校がある〜〜〜〜〜〜〜〜〜! なぬー。 今まで全く気付かんかった。 前を向いて運転してたら気付かない。 こんなだーれもいないところに学校が・・・ 降りてみよう。 ここは、久万高原町の所藪(ところやぶ)。 旧面河村だ。 なぬーーーーーー(゚ロ゚ノ)ノ 面河村立石墨小学校跡地 この北側に、石墨山がある。 石墨山の麓に、小学校があったのだー 私有地になっていて、立入禁止だったので入れない。 以前、 「そまの家具工房」という家具職人が住んでたらしい。 当時の日記を読んでいると、ここ所藪の活き活きとした生活に、わくわくする。 山での生活、厳しいところもあるだろうけど、いいなぁ〜 村のおじいさんやおばあさんに、い

  • 広報専門員の気ままに西条歩き Vol.10大保木地区(前編) - 愛媛県西条市ホームページ

  • 【松山市】2015年に惜しまれつつ閉店した福井善銀天街本店の倉庫が文具展示室に!懐かしいもの面白いものがたくさん。誰でも気軽に入れます!

    【松山市】2015年に惜しまれつつ閉店した福井善銀天街店の倉庫が文具展示室に!懐かしいもの面白いものがたくさん。誰でも気軽に入れます! 銀天街で60年以上文房具や画材道具を販売していた「福井善商店」を覚えてらっしゃいますか?圧巻の品揃えで学生や美術愛好家に親しまれていました。2015年、惜しまれつつ閉店してしまいました。銀天街の裏通りに福井善商店の倉庫があり、松山昭和文具展示室として生まれ変わっていました! 入り口には この建物は平成27年に閉店した福井善銀天街店の倉庫です。 古い木造の倉庫が残ったので、幸せな文具店を営ませて頂いた松山の皆様への感謝と昭和の市民生活の懐古を込め、当時の文具等の展示室を作ってみました。 珍しい物は無く、昭和の「ありふれたもの」「つまらないもの」を集めました。売れ残りの文具、捨て忘れの日用品、思い出の人々の記憶の展示です。奥に従業員が残していった、郷土に

    【松山市】2015年に惜しまれつつ閉店した福井善銀天街本店の倉庫が文具展示室に!懐かしいもの面白いものがたくさん。誰でも気軽に入れます!
  • 【道後温泉分湯場めぐり】ちょっぴりマニアックな道後散歩@愛媛松山

    こんにちは♪ リビングえひめweb 地域特派員のnicoです。 四国・道後と聞けば、温泉を思い浮かべる人が多いと思います。 道後温泉は古代より続く《日三古湯》の一つです。 道後温泉の分湯場を、今回歩いて巡ることにしました。現在、分湯場は4か所あります。 手湯や足湯のあるところもあり、源泉に触れることができます。 道後温泉分湯場(どうごおんせんぶんとうじょう)道後温泉の源泉は現在29あり、利用可能な18から源泉を汲み上げています。 源泉は温度も湧出量もすべて異なるため、各源泉から汲み上げた温泉は 地中に埋設した送湯管で4か所の分湯場という温泉の配湯施設に集められます。 源泉から汲み上げた温泉は、分湯場で混ぜ合わせ温度調節をして 道後温泉館、椿の湯、飛鳥乃湯泉、周辺のホテル・旅館、足湯へ配湯されています。 分湯場は第1から第5までありますが、第1分湯場と第3分湯場は統合されたので、現在

    【道後温泉分湯場めぐり】ちょっぴりマニアックな道後散歩@愛媛松山
  • 伊予 丹原散歩 そのⅢ;丹原の利水史跡を辿る - 時空散歩

  • 廃線隧道【BLOG版】 りょう花@重信店

    今回は松山インター付近の松山南部に住まいを定めました。そこで近くにラーメンショップはないものかと検索すると、近くはないけど遠くもない位置に11号バイパス店(東温市野田)を見付けたので行ってみるとまさかの定休日というオチ。 ここまで郊外に来てしまうと今さら街中に戻る気にはならなかったので、改めて検索すると近くにチェーン店の「りょう花」を発見。私も長く松山に住んでいたから一度ぐらいは「りょう花」に行ったことがあるつもりだったけど、メニューを見て実際には初めてだったことに気付きました(山小屋と混同していた)。 この店の特徴は、基メニューが塩と味噌に鶏白湯というラインナップで醤油が無いというところ。今日はラーショのこってり醤油豚骨がべたい気分だったけど、この店の塩もなかなか繊細に作り込まれていて満足できる一杯でした。あと、とろけるようなチャーシューも美味かった。

  • お山へ行こう!のブログ 気がつけば、しばらくぶりの皿ヶ嶺へ その1

    2024 08 ≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫ 2024 10 FC2カウンター

  • 廃線隧道【BLOG版】 大街道ステーキ食堂

    週末の今日は、大街道の「串カツ田中」で飲んで帰ろうと思って長女と待ち合わせていたところ、新型コロナ拡大防止対策とかで臨時休業中でした。そういうことなら仕方ないと、長女が好きな手羽先の「奇跡の手羽先」に行ってみましたが、こちらも休業中。よくよく大街道を見渡すと閉まっている店が多く、松山にもコロナの脅威が迫っていることが感じられます。幸いにも「奇跡の手羽先」の隣の「大街道 ステーキ堂」が開いており、しかもべ放題、飲み放題がありました。 べ放題コースには、スタンダード(男:2,500円、女:2,200円)とプレミアム(男:4,280円、女:3,980円)があって、プレミアムはリブロース、ヒレ、みすじのステーキ等が追加されるものの、べられる容量と時間を考慮すれば、差額1,780円分の元を取ることはできないと判断してスタンダードを選択。この判断は結果的に正しかったと思います。

  • 会計は偽札で。愛媛の果ての港町で銭湯に泊まる。至高のバッテラを食べる。 - 今夜はいやほい

    別府からすすけたフェリーに乗り込んだ。フェリーとはいいものである。凪いだ海の上に浮かんでいると、11月のほのかな気づまりもなんのその、とたんに穏やかな気持ちになる。日も暮れかかった頃、八幡浜まであと少しとというところまでやってきた。八幡浜は別府の向いの愛媛である。つまり愛媛の西側の果てのようなところである。 なぜ別府から愛媛の果てにやってきたのかと言うと、それは端的に、交通費を浮かすためであった。交通費を浮かす?フェリーに乗ってなに言ってるんだこいつという声がどこからともなく聞こえてくるようである。 大分空港から東京へ帰る飛行機より松山空港からの飛行機の方が1万円以上安かったので、経費節約のため、わざわざフェリーに乗って、こうして愛媛へとやってきたのである。 フェリーに向かって地元の小学生が手を降ってくれているのが見える。フェリーのガラスが汚ないだけなのだが、いい感じにぼやけていてセピア風

    会計は偽札で。愛媛の果ての港町で銭湯に泊まる。至高のバッテラを食べる。 - 今夜はいやほい
  • 廃線隧道【BLOG版】 旧愛媛県道209号線の白看(愛媛県東温市)

    松山に引越しする道中、高速道路を川内で下りて県道193号・森松重信線を森松方面に進んでいると、東温市田窪にある白看の現存を確認しました。 白看は県道以上の道路にしか残存例が少ないため、一介の市道に設置されているこの白看については不思議に思っていましたが、過去の地図を確認すると県道209号・美川松山線の旧道だったようです。行き先の森松と横河原は、共に伊予鉄郊外線の終着駅が置かれていました(森松線は昭和40年に廃止)。 ちなみに県道209号は東温市~久万高原町境(上林峠)と久万高原町内の2ヶ所の不通区間があり、美川松山線としては機能していません。

  • 愛媛で出会った"性のインディ・ジョーンズ"

    1984年大阪生まれ。2011~2019年までベトナムでダチョウに乗ったりドリアンを装備してました。今は沖永良部島という島にひきこもってます。(動画インタビュー) 前の記事:ベトナムではタピオカを麺にしていた > 個人サイト AbebeTV おきのえらぶ島移住録 べとまる 世界最高の"性文化財資料宝物館" まずは今回の舞台である資料館「凸凹神堂」。その鬼のような蒐集(しゅうしゅう)ぶりを見てほしい、なによりその方が話も早い。いつもは撮影禁止だが特別に許可をいただいたので、gifでドバーッと!ご覧ください。 多賀神社の入口から凸凹神堂館内の展示品に至るまで 個々の詳細はおいといて、とんでもない数の展示品があるということは伝わっただろう。見るからにというものもあるが、これらほぼすべて「性」にまつわるもの。 春画、吉原にあった縁起物、部族の信仰対象となった偶像…。しかも日国内だけでなく世界各地

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  • 7月21日:県道9号線を走った ~真鍋家住宅・豊稔池ダム

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 愛媛へ移転後も東京からファンが来てしまう!「水田商店」のラーメンは忘れられない至極の一杯だ - ぐるなび みんなのごはん

    こんにちは。さすらいの畦道ライダー、四国案内人の林ぶんこです。 今回は、まるでアートのようにチャーシューの花が咲き誇るラーメンを求め、愛媛の松山市郊外までやってきました。ラーメン好きなら夢に見そうな至極の一杯ですよね……! このお店、実はもともと東京の蒲田にあった繁盛店なんです。名を「水田商店」。東京で成功していたにもかかわらず、愛媛に移転した理由はいったい何なのでしょうか? そして肝心のラーメンはいったいどんな一杯なのでしょうか?さっそく行ってまいりましょう! 松山市郊外にある人気ラーメン店「水田商店」 やって来たのは、松山市福音寺町にある「水田商店」。 ラーメン屋さんっぽくない名前ですが、のれんにはしっかり「らーめん」と書いてあります。おいしいラーメン店にはセットの行列もできていますので、ここで間違いない様子。東京から愛媛へ移転した後もさすがの人気っぷりです。 ラーメンはすべて2種のス

    愛媛へ移転後も東京からファンが来てしまう!「水田商店」のラーメンは忘れられない至極の一杯だ - ぐるなび みんなのごはん
    hikabu
    hikabu 2018/04/13
    北久米徒歩5分
  • 四国堰堤ダム88箇所巡り

  • 瀬織津姫を守るために?  (大浜八幡神社に・・・・) | 愛姫伝

    こんばんは。 今日は、久しぶりに 「大浜八幡神社」に 行ってきました。 1ヶ月ほど前、友達と一緒に行ってから、行っていなかったのですが、昨日の夜、なんとなく行かなきゃ。 そんな気持ちになって、今日は、仕事が終わってから、まっすぐ、大浜に向かいました。 大浜八幡神社に行くと、 「ただいま~」 と言いたくなるのは、 ここがスタートの神社だからかな? いつものように、手水舎で手を清めた後、手水舎の龍にご挨拶をしてから、 まず、姫の神社 「潮富貴神社(しおふきじんじゃ) へ向かいました。 すると。。。。 「あれ?」 ふと、看板のようなものが目に入りました。 一ヶ月前は、まだなかった。 なんだろう? 近寄ってみると、 なんと、 ずっと願っていた、姫の神社の説明が書かれていたのです。 まだ、真新しいその説明書きは、 隣の大国主の社の壁面にはられていました。 そこには、一番初めに 「瀬織津姫」 の名前が

    瀬織津姫を守るために?  (大浜八幡神社に・・・・) | 愛姫伝
  • 由良半島紀行その3.(船越~網代地区)網代開拓の祖、浦和盛三郎が遺したもの | 四国トコトコ

    こんにちは。まめてっぽーです。先週末から大寒波来日中の寒い日列島、雪国の方大丈夫でしょうか?受験生の方、女子駅伝の方もお疲れさまでした。雪にあまり縁がないまめってっぽーは雪!🎵♪とちょっとワクワクしたりしたんですが、こちら南予地方はちょっとだけチラチラっと降っただけで積もるに至らず、ちょっとがっかりなのでした。 さて、今日はギザギザの由良半島ツーリング第三弾、ということで、前回レポートした船越地区より陸路で行ける半島の最深部、網代地区までをご案内と網代地区開拓の祖、近代漁業の父とも呼ばれている内海村出身の知られざる明治の偉人「浦和盛三郎」についてのレポートです。歴史レポ部分は画像はなく文のみで長いですが、面白いエピソード満載です!頑張って読みやすくまとめましたので(つもりですので 笑)みなさんも是非、頑張って読んでみてくださいね! ルート A、船越運河手前 B、船越運河 C、魚神山地区