小泉首相の参拝スケジュールは、中韓政府・メディア関係者にも知らされていたようで、それほどサプライズにはならなかったようだ。いまや反発やデモもシナリオ通りになりつつあり、外交問題化していない。 今回の件がそれほどインパクトを与えないのは、所詮は小泉首相の個人的思惑からの「私的参拝」だからではないか。反発する者をお決まりの「勢力」呼ばわり、自身はその意志を貫く「特攻隊」のように悲劇のヒーロー気分である。本人は自己陶酔しても、周りは最後だしあの性格だからと、あまり深刻にはとらえなくなった。 実際、怖いオジさんのハゲ頭を触って逃げてくるゲームのようなもんで、帰ってきた小泉首相は森さんや遺族会から褒められているが、もうその行為自体、政治的意味が薄れてしまっている。不戦の誓いを繰り返し、A級戦犯を戦争犯罪人と断じる小泉首相は、どう見ても軍国主義者じゃないし、害の無いお調子者にしか見えない。5年前は僕も
NHKのナビゲーションという番組で、以前私も読んだ新書「他人を見下す若者たち」(速水俊彦著)を番組化したものをやっていた。この著者が名古屋大学だったからか、制作したのは名古屋放送局。この局は「中学生日記」をはじめ、「いまの若者」をテーマに良い番組を伝統的に制作してきた。 入局2年目、24歳のアナウンサーが現場からのレポートをしていた。地方局ごとにこういう個性があるのは非常に面白い。NHK札幌局なら自然番組に定評があるし、NHKだけでなく民放も地方局ごとに、はっきり個性が見えてくると、画一的なテレビの世界に多様性を与えてくれる。地上波デジタル設備に生き残りをかけるのもよいが、流す中身にもちょっとは頭をひねってほしいものだ。 さて、「他人を見下す若者たち」という本だが、要するに自分だけは優秀だと勘違いした若者が増えているという内容で、「仮想的有能感」という概念で説明している。それは「実力がない
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