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仏教に関するhokuto-heiのブックマーク (3)

  • 真・初心者のための仏教講座(1) - Cask Strength

    過目抄でも呆れ気味にブクマした http://hamusoku.com/archives/3553533.html ですが、大袈裟にいえば、わが日伝統文化の危機だとも感じました。そこで、がらにもないことですが、古典的な(最新の教義研究とは全く関わらないことをお断りしておきます)仏教理解がどういうものであったかということに関心をお持ちの方々向けに、必要最低限の道しるべを提供したく存じます。当に口足らずな説明にしかなりません。 仏教が宗教である以上、実践(信仰)と教義は不可分のものです。古典時代もそうでして、大きく分けて、1 法会・勤行、2 仏伝(および生譚)・高僧伝・往生伝・霊験譚・寺社縁起、3 (宗派別の)経論研究、の3つの点において日人は仏教に慣れ親しんでいました。わたしの当面の関心はスコラ的側面、つまり教義(「3」)にあります。ただし、ここでお話しすることは特定の宗派を称揚する

    真・初心者のための仏教講座(1) - Cask Strength
    hokuto-hei
    hokuto-hei 2010/09/10
    参考にする。
  • 因果律というのはたぶんないのだろう - finalventの日記

    まあ、いろいろ議論はあるが。 道元は、この問題について、「薪、灰となる。さらに返りて薪となるべきにあらず。 しかあるを、灰は後、薪は先と見取すべからず。」とした。 言い過ぎでもあろうが、因果律はないというのが、道元の仏教である。というか、それが仏教である。 では、運動はないのか。というと、道元はあるとしている。 ゼノン、大森、道元、彼らが同じことを言っているわけではないが、線形的な時間というのはないのだということなのだろう。ベルクソンをそこに入れるべきかは微妙。

    因果律というのはたぶんないのだろう - finalventの日記
    hokuto-hei
    hokuto-hei 2010/04/27
    確かに議論は色々あると思うよ。『因縁』て仏教における因果律をしめす用語じゃなかったかな//なんのことはない『因果』そのものが仏教用語だった。
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