zouni: 超AC合体グレートポポポポーンできたよー
地震の瞬間、ぼくは同僚とともに東京都心部の四谷にある古い雑居ビルの六階にいた。 日本人は地震に慣れている。ぼくもまた幼少期から無数の地震に遭遇してきた。だから揺れ始めた瞬間も動じることはなかった。いつもより大きいなあ、と思ったぐらいだった。 けれども揺れはいつまでも止まらず、振れ幅は少しずつ大きくなっていった。やがてフロアの天井と壁が異様な音を立てて軋み始め、だれからともなく、これはまずい、外に出ろと叫びが上がり、ぼくたちは砂埃が舞うなか狭い階段を争うように駆け降りた。なんとか戸外に出て振り返れば、ビルはぐらぐらと激しく横に揺れ、隣のビルといまにもぶつかりそうになっている。群衆から声にならない悲鳴が漏れた。あたりを見渡すと、すべての車が停止し、広い車道は周囲のビルから逃げ出してきた人々で埋まっていた。 ぼくたちはみな携帯電話を取り出した。電話は通じない。ネットは繋がる。メールは不安定だ。ツ
このたびの大震災の被災者の方々に、心からお見舞いを申し上げます。被害に遭われた方々にとって、この2週間が、その1分1秒が、どんなものだったかを思うと、おかけする言葉も見つかりません。 生きているとはどういうことなのだろう、サッカーをする意味とは何なのだろう。そういったことを見つめ直さずにはいられなかった日々のなか、思わず頭をよぎったのは「今のオレ、価値がないよな」ということ。 試合がなくなり、見に来る観客がいなければ、僕の存在意義もない。プロにとってお客さんがいかに大切か、改めて学んでもいる。 サッカーをやっている場合じゃないよな、と思う。震災の悲惨な現実を前にすると、サッカーが「なくてもいいもの」にみえる。医者に食料……、必要なものから優先順位を付けていけば、スポーツは一番に要らなくなりそうだ。 でも、僕はサッカーが娯楽を超えた存在だと信じる。人間が成長する過程で、勉強と同じくらい大事な
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