クリックして拡大する大阪城の「瓦版にみる幕末大坂の事件史・災害史展」で公開されている、安政南海地震の津波被害を伝える瓦版。下が北 安政元(1854)年の安政南海地震による津波で、大阪市西部が水没するなど関西でも大きな被害が出たことを伝える瓦版が、大阪城天守閣(同市中央区)の「瓦版にみる幕末大坂の事件史・災害史展」で公開されている。 瓦版の絵図によると、木津川や安治川の河口に停泊していた千石船が津波で河川を逆流。橋を次々に破壊しながら内陸の道頓堀まで運ばれ、「(けが人や死者は)数知れず」と記されている。 産業技術総合研究所の寒川旭招聘研究員(地震考古学)によると、12月23日に安政東海地震(マグニチュード8・4)が発生。翌日連動して南海地震(同)が起きた。大阪ドームやJR難波駅の周辺は「いずれも水入、白海のごとく」とあり、現在なら地下鉄や地下街に水が流れ込み、多くの人が巻き込まれた恐れがある