五七五と季語からなる定型俳句を排して、自由な律動を求めた自由律俳句。 それは河東碧梧桐の新傾向俳句をさらに徹底させた荻原井泉水によって提唱されました。 荻原井泉水は「層雲」を主宰しましたが、この「層雲」が自由律俳句の拠点として大きな役割を果たしました。 層雲同人には自由律俳句の2大俳人と称される尾崎放哉や種田山頭火がいました。 旅の中で亡くなった放哉、旅を愛した山頭火、陰の放哉、陽の山頭火、対照的な面のあるこの2人は今なお、自由律俳句の巨匠として人気を博しています。 こうした「層雲」以外にも「海紅」に拠った中塚一碧楼や、「天の川」の吉岡禅寺洞、感動主義の萩原蘿月など自由律俳句には多様な流れが見られます その後も自由律俳句の流れは脈々と受け継がれ、それが自由律俳句の豊かさにつながっていると言えるでしょう。 近年に注目すると1980年代に25歳の若さで亡くなった住宅顕信(すみたく けんしん)の
草野心平の「冬眠」は世界で最もシンプルな文学作品だろう。 ● それだけ。眠っている土中のカエルを表現している。初めて読んだ(見た?)ときは、ぶっとんでるなぁと感心した。草野の視覚詩では、〈Q〉がちりばめられた「天気」や、〈駱駝(らくだ)。〉が上下しつつ並ぶ「遠景」もいい。あと、カエルがカエル語で幸福について語る「ごびらっふの独白」なんかも楽しすぎる。表現の地平を独力でぐいぐい押し広げていった詩人という印象だ。 福島県いわき市小川町にある草野心平記念文学館を先日、所用の帰りに再訪した。彼が幼少期を過ごしたのは、阿武隈高地にいだかれた田園地帯。丘の上につくられた記念館は、小さなテーマパークといった趣の展示スタイルで作品世界に浸らせてくれる場所だ。
イギリスと言えば、サミュエル・ジョンソンやウィリアム・ブレイクなど、数々の著名な詩人を輩出してきた国。そんなイギリスの特色を最大限に活かしたアプリが登場した。 ・まさに、イギリス地図アプリの英国詩バージョン そのアプリとは、その名も「Poetic Places」。直訳すると、「詩の場所」である。イギリスの詩の一節と関連の深い場所に到着すると、アプリによって通知される仕組みとなっている。外出中でなくても、イギリスの詩と関わりの深い場所をアプリ上の地図で検索することが可能であり、いろいろな楽しめ方ができる。 アプリを開発したのは、イギリスのスタートアップ 今回、アプリの開発に手がけたのは、「TIME/IMAGE」というイギリスのスタートアップだ。2010年に創業したばかりの会社であるが、1940年代、イギリス議会による委託のもと制作された125作品を超える短編ドキュメンタリー映画を再現するとい
吉増剛造『我が詩的自伝』(講談社現代新書)を読む。詩人吉増剛造が編集者相手に語った自伝を書き起こしたもの。とは言っても話し言葉は重複があるから、起こした原稿を相当編集はされているのだろう。ただ基本は語った言葉を原稿にしているような体裁を採っている。 現代詩人吉増剛造。私の本棚を探せば「現代詩文庫」の『吉増剛造詩集』があった。45年前、日産自動車のプレス工をしていたときに、相武台前の本屋で買ったものだ。相武台前は小田急線の小さな駅で、当時はそんな小さな町の小さな本屋にも「現代詩文庫」が並んでいたのだ。隔世の感がある。 でも好きな詩人ではなかった。その詩集に傍線を引いた部分が1か所だけあった。 海から帰って ぼくは日記に書いた 花 ハイミナール ハイミナールとは当時もっとも普通に使われていた睡眠薬。わりあい簡単に入手できたように思う。みな睡眠のためではなく、酔うために(ラリるために)使っていた
第7回鮎川信夫賞(鮎川信夫現代詩顕彰会主催)を受賞した詩集『顔をあらう水』(思潮社)の蜂飼耳(はちかいみみ)さんと詩論『マイケル・パーマー』(同)の山内功一郎さんに対する贈呈式がこのほど、東京都内で開かれた。 選考委員の北川透さんは「語り得ないものを語るという言語の潜在的能力“潜勢(せんせい)力”を印象付ける受賞作だった」と述べ、『顔をあらう水』について「ここでは逆の道をたどって同じことがなされている。既成概念化した言葉を脱色し、常識から引き剥がすことで、見えないものが見えてくる」と評した。 蜂飼さんは「鮎川信夫は詩と同時に詩論を引き締め、時代の見取り図を示した。それが今も問われている。鮎川の名を冠した賞を受けて、うれしさと同時に緊張と重さを感じている」と話した。 この記事は有料記事です。 残り617文字(全文954文字)
日毎に緑が鮮やかになる初夏…そう、夏は「初夏」「仲夏」「晩夏」に分けられ、二十四節気の立夏から芒種の前日までを初夏とします。 夏の季語も、それぞれの時期によりその季節を表わす言葉がたくさんありますが、夏全体に見られる景色や気候を表わす季語もあります。その一つが「虹」です。 今日5月11日は、詩人・萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)の忌日です。詩人が詠んだ数少ない俳句の中に、遺稿にも記載された「虹」を季題にした句があります。 詩人の描いた十七音の「虹」と「マボロシ」の関係に目を向けてみると…? 賑やかな夏雲と青空にかかる虹この記事の写真をすべて見る 自由詩の租の見たものは何?…「マボロシヲミルヒト」展開催中 萩原朔太郎(1886年11月1日-1942年5月11日)は、朔日に生まれ「朔太郎」と名付けられたと言います。幼いころから繊細で孤独癖のあった朔太郎は、短歌を経て詩へとその内面世界を広げてい
ウィリアム・ブレイクの詩とイラストの世界 ブレイク詩集・無垢の歌 -Songs of Innocence ブレイク詩集・経験の歌 ーSongs of Experience ポエティカル・スケッチ -Poetical Sketches ピカリング草稿 ロゼッティ写本 予言の書から ダンテ「神曲」への挿絵 ウィリアム・ブレイクの生涯と作品 ウィリアム・ブレイクはイギリスロマンティシズムを代表する詩人にして画家である。イギリスのロマンティシズムは19世紀前半に起こった芸術の潮流であり、詩と絵画を通じてイギリスの歴史に残る偉大な作家を生み出した。ブレイクはその中でももっとも偉大な芸術家とされ、今日においても、詩と絵画を通じて高い評価を受けている。 「無垢と経験の歌」は、前半の「無垢の歌」が1789年に、後半の「経験の歌」が1794年に発表された。その際二つの詩集は一体化されて、「無垢と経験の歌」と
『詩集 うたう星うたう』瑶いろは著 ボーダーインク・1944円 うたう星うたう―詩集 私はかつて他紙の時評で、第1詩集『マリアマリン』を携えての、沖縄詩界への瑶いろはの登場を「ひかりの詩人」の誕生だと喜んだ。特異な能力に衝迫(しょうはく)され、下降していく己の生命の根源のひかりのエリア。そこから言葉を紡いでくること自体が新しかった。「ふれたとたん/みるみるとける/…/あたりはひかりばかり/とけたものどうしがかさなりあい/またとけて/なにがなんだかわからなくなるまで/とけあったから/ここにうまれてきた/もういちどわたしをもらって/たちすくむ」(〈ひとつ〉)生命の実体はひかりであること。それは輪廻(りんね)すること。宗教・物理学・哲学がやっとたどり着いた真理を、瑶は自身の体の深みから既に受け取っていた。その頃から瑶はタイムカプセルだった。過去や未来にワープすると話し、肉体や神経の疲弊を訴えてい
現代詩人の登竜門「中原中也賞」を18歳の史上最年少で受賞した文月悠光(ふづきゆみ)さん(24)が今年からネットでエッセー「臆病な詩人、街へ出る。」の連載を始めた。アイドルオーディションに出場して詩のアイドル「ポエドル」の称号を得るなど、詩人離れした華やかな活動が目立っていたが、この連載では、自らの社会経験が少ないことを吐露。以前からは百八十度方向転換し、当たり前の日常をつづっている。 (三沢典丈) 【こちらは記事の前文です】 記事全文をご覧になりたい方は、東京新聞朝刊をご利用ください。 東京新聞は、関東エリアの駅売店、コンビニエンスストアなどでお求めいただけます。 「東京新聞電子版」 なら全国どこでも、また海外でも、記事全文が紙面ビューアーでご覧いただけます。 購読・バックナンバーをご希望の方は 「新聞購読のご案内」 をご覧ください。 掲載日やキーワードから記事を探す 「記事検索サービ
現代日本を代表する先鋭的詩人・吉増剛造さん。77歳を迎えた現在も、詩の朗読パフォーマンス、自身の詩と組み合わせた写真表現や映像作品を制作するなど、国内外を問わず多彩な創作活動を繰り広げています。 その自伝的要素を多分に含んだ本書『我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ!』では、幼年期の記憶にはじまり、交友関係や読書歴、影響を受けたものなど、自らの歩んで来たこれまでの道のりを振り返りながら、いかに言語と格闘し、詩作を繰り広げてきたかについて語られていきます。 自らの詩作に影響したであろう出来事に関する、興味深いさまざまなエピソード。たとえば"空からぶらさがる母親"という作品を生み出すにいたった、その源には、戦時中、吉増さんが6歳ごろのとき、疎開先の和歌山で遭遇した出来事があったのではないかといいます。 「六歳のとき、疎開して行ってた和歌山の永穂で、恐らく何か電波を妨害するためなのでしょう、アメリ
4月 故郷でみんなで うんめもの食って とんでもね苦しさを 笑顔で語り合う最高の幸せ 春という季節を迎えての熊本の震災の映像に心を痛める。発生からまだ間もないのに、大変な余震の数である。五年前の日々を思い起こしている。当時、抱えていた悲しみや怒り、めまいや片頭痛を思い出す。現地の方々はどれほど恐ろしく、不安なことであるだろう。倒壊した家屋や通りの様子、避難した人々にあふれている避難所などの風景を眺めてまざまざと想像している。 東日本大震災の発生直後から、これまで好きだった本を読んだりする気が起きなくなってしまった。違うものを読みたいと思うようになり、少なからず今もそれが続いている実感がある、という話を、知人などから時折に聞く。五年前の日々から私も、読むものと書くものへのまなざしは変わった。言葉を失ってしまったあの日から今もなお、何を読むべきか、書くべきかを問いたいと考えつづけて、上手(うま
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く