なぜ人は20ミリシーベルトを 許容できないのか 『安全』でも『安心』できない心の問題を探る 同志社大学・中谷内一也教授インタビュー 「安全」さえ確保できれば、人々の「安心」が得られるわけではない。 福島第一原発の事故後、国は1年間の放射線量が20ミリシーベルトを超えるかどうかを目安に避難等を促してきた。日本は平常時の一般公衆の線量限度を年間1ミリシーベルトに定めていたため、事故により20ミリシーベルトまで基準を「緩和」したという報道がなされ、一般の人たちは不安に陥った。 4月19日には、文部科学省が福島県の校舎・校庭の利用判断について、暫定的な考え方として年間20ミリシーベルト、校庭・園庭では毎時3.8マイクロシーベルトという基準を示した。これに対して、29日には内閣官房参与を務めていた小佐古敏荘・東大教授が「年間1ミリシーベルトで管理すべきだ」と涙ながらに抗議し、辞任。その後文科省は年間
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