よく晴れた、けれども風の冷たい午後だった。道端の落ち葉が舞うカサカサという音が妙に心地よい。早足で家に戻りポストをあけると、無造作に投げ込まれたチラシの間に、細長い茶色い封筒が挟まっている。手に取ると、紙が数枚折りたたまれているであろう厚みがあった。送り主は出入国在留管理庁(入管)だった。その瞬間、確信した。「祖母はもう、この世にはいないのだ」、と。 『もう一つの「遺書」、外国人登録原票』にも書いたように、私が中学2年生の時に、父が亡くなった。その後、戸籍を見る機会があり、そこで初めて父が在日コリアンであることを知った。父は自分のルーツや、自分の父母のことを、一切語らないままこの世を去ってしまった。家族と断絶していた父が、どんな生い立ちで、どんな幼少期を過ごしてきたのか、知る手立ては殆ど残されていなかった。戸籍に残された「韓国籍」という文字以上のことを、もう死者に尋ねることはできない。父の