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文化と世代に関するken_woodのブックマーク (6)

  • おっさんが新しいものを毛嫌いする理由がわかってきた

    以前はただ、新しいものを受け入れるのは億劫でそもそも興味がわかない、ということだと思っていた あんな新しいものどう扱っていいかわからん、気が進まん、という風に しかしそれは違った 自分は今まさにおっさんに近づいているが、元来変わったもの好きだし、幸い新しいものにまだ興味はある、意欲もある にもかかわらず敬遠してしまう その理由は、新しいものが「新しく見えない」からだ 若い人にとっては新しい興味をひくモノ、しかし長い時を歩んできたおっさんからすれば「昔そういうのあったな」という風に、たぶん脳みその構造上、自分の過去の経験に照らし合わせて、似たようなモノにうまくカテゴライズしてしまうんだろう そしてその「はいはいまた焼き直しね、ちっとも進歩ねーな」的知ったかぶりの態度こそ、若い世代からすればわけのわからん難癖つけて結局手を出さないおっさんそのものに見られているのだ 歳を重ねるにつれて「新しく見

    おっさんが新しいものを毛嫌いする理由がわかってきた
    ken_wood
    ken_wood 2016/05/19
    >新しいものを「昔あったな」とうまくカテゴライズしてしまう。その「はいはいまた焼き直しね」的知ったかぶりの態度こそ、若い世代からわけのわからん難癖つけて結局手を出さないおっさんそのものに見られている。
  • http://www.hirokiazuma.com/archives/000376.html

    ken_wood
    ken_wood 2008/05/27
    >サブカルチャーは変化が早く、批評はその点ではどうしても遅れがち。それそのものは悪いことではありません。出版メディアの権威的で保守的な構造が強いる遅れがある。理工系と人文系でネットへの感受性の隔たりが
  • 空気を読むな - 池田信夫 blog

    宮台真司氏が、「KY」と日の論壇の幼児性を結びつけて論じているが、私も同感だ。日のメディアは空気によって党派がわかれ、慰安婦でも沖縄でも、初めに結論ありきで、歴史的事実におかまいなしに、朝日=岩波ムラと産経=文春ムラにわかれて罵倒の応酬が続き、論理的な論争が成立しない。たとえば『諸君!』に執筆すると、文春ムラに入ったとみなされ、そっち系の雑誌からばかり注文が来るようになる。 こういう無人称の空気こそがかつて日戦争に引きずり込んだのだ、と指摘したのは山七平だが、その原因を彼は分析しなかった。私は、この謎を解く鍵は、山が空気と関連して論じた水にあると思う。といっても彼は「場の空気に水を差す」というように空気=雰囲気と対立する通常性の原理として水をとらえたのだが、ここで私がいうのは文字どおりの水、すなわち農村の水利構造である。 われわれはつい忘れがちだが、日では50年前まで人口

    ken_wood
    ken_wood 2007/12/25
    >空気=文字どおりの水、すなわち農村の水利構造である。遺伝的・文化的環境の影響のほうが「合理的決定」仮説よりはるかに人間の行動を説明する因子として有力だ。農村から出てきた団塊世代と、その子孫のギャップ
  • 時代を超えた普遍性って・・・ 囚人022の避難所

    ふと思ったんだけど、「時代を超えた普遍性」って、当にあるんだろうか。 ブームを起こすような作品っていうのは、「時代と寝ている」作品が多いんじゃあないかと思うんです。(もちろん、世の人たちよりもいち早く、時代を捉える感性が、そこでは要求されるんだろうと思いますが。) この週末は休みが取れなくて『エヴァンゲリオン』の新劇場版をなかなか見に行けないんだけど、見れないひがみもあいまって、今回の庵野さんが目指しているものは、90年代の作品であるエヴァをゼロ年代モードでリビルドすることなのか、エヴァに「時代を超えた普遍性」を与えることなんだろうか、というのが頭をよぎりました。 『機動戦士Zガンダム』という作品には、あの時代ならではというものが確かにあって、それだからこそ、あるタイミングであの作品と出会った人たちには、あのTV版が忘れられない、ということがあったのかもしれません。 であればこそ富野さん

    ken_wood
    ken_wood 2007/10/08
    >ブームを起こすような作品は「時代と寝ている」のが多いんじゃないかと。『Zガンダム』にはあの時代ならではというものが確かにあって、富野さんはそこに「時代を超えた普遍性」を付与する必要性を感じ『新訳Z』の制
  • 404 Blog Not Found:世代論には(いい)訳がある

    2007年07月02日00:45 カテゴリCulture 世代論には(いい)訳がある 私自身、ものごとを決めるときには世代論にはほとんど重きをおかないのだけど、しかしなぜ世代論が発生するかは理解できる。 批評には世代論がついてまわる 映画批評を生産/消費している層とは、ヌーベルバーグの作家たちが旺盛に作品を発表していた時期に学生であった人たちなのである。 マンガ批評を生産/消費している層とは、ニューウェーブの作家たちが作品を発表し始めていた時期に学生であった人たちなのである。 アニメ批評を生産/消費している層とは、ヤマトかガンダムエヴァがブームだった時期に思春期だった人たちなのである。 美少女ゲーム批評を生産/消費している層とは、Leaf・Keyがブレイクする時期に思春期だった人たちなのである。 例えば明治維新の頃、世代論はほとんど話題にならなかったはずだ。その代わり、話題になっていたの

    404 Blog Not Found:世代論には(いい)訳がある
    ken_wood
    ken_wood 2007/07/02
    >世代論も反世代論も明治以前の出自論も「何に育まれて来たか」「どの水で育ったか」という点においては実は共通している。体の住まいと心の住まいが乖離し、世代論も役立たなくなり「コミュ論」が台頭してくる。
  • 20代がグラビア誌を買わなくなってきている、という話 - H-Yamaguchi.net

    小学館に「Sabra」という雑誌がある。たいてい表紙に水着のお姉さんの写真が出ていて書店で手に取るにはちょっと恥ずかしかったりするが、別にそういう内容ばかりというわけでもない。先日そこのインタビューを受けたのだが、それ自体は題ではなく、そのときに編集部の方から聞いて、思わずいすから飛び上がって「ほんとすか!?」と叫んじゃった話。 「Sabra」のようなグラビア誌の読者というと、典型的に想像するのは「血気盛ん」な若者、と考えるのがふつうではないかと思う。この雑誌は1999年創刊のため私自身の20代には間に合わず、私は買ったことがないのだが、想像するに、10代は「週刊プレイボーイ」あたりだから、「Sabra」は20代かな、みたいな。そういう先入観で世間話を始めたら、ちがうのだという。グラビア誌の中心的な読者層はいまや30代から40代あたりになっていて、20代の人たちはあまり読まなくなってきて

    20代がグラビア誌を買わなくなってきている、という話 - H-Yamaguchi.net
    ken_wood
    ken_wood 2007/03/11
    >「今の20代の人たちは、それより上の世代と同様、グラビア誌にあるような情報(画像とかテキストとか)に興味をもっているが、それらはネットで格段に容易に安く入手できるので、雑誌は買わない」といったところか。
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