旧真田山陸軍墓地を訪れる吉岡武さん。右奥の仮設小屋の周辺で、米軍捕虜5人が処刑・埋葬された=大阪市天王寺区で7月30日午後1時20分ごろ、高橋昌紀撮影 終戦の日、米軍の捕虜5人が秘密裏に処刑された。昭和天皇が「玉音放送」で太平洋戦争の終わりを告げた後、大阪市で起きたことだ。ポツダム宣言による降伏を受け入れたにもかかわらず、実行された日本軍の戦争犯罪。なぜ、戦争が終わったのに捕虜を殺さなければいけなかったのか。 「最初の2人は斬首。日本刀を振るった手がしびれたのか、残りの3人は銃殺にしたそうです」 大阪城天守閣から南へ1・5キロの旧真田山(さなだやま)陸軍墓地(大阪市天王寺区)。墓地を研究するNPO法人「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」の副理事長、吉岡武さん(83)がつぶやいた。墓地は1871(明治4)年に造られ、約1万5000平方メートルの敷地に5100基以上の将校や兵士らの墓碑が並