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聖書解釈に関するkirakiranamevictimのブックマーク (4)

  • ゲイが祝福されない云々はともかく、 予定説は考えようによってはそんなに..

    ゲイが祝福されない云々はともかく、 予定説は考えようによってはそんなに悪いものではないと思う 資主義はキリスト教のプロテスタンティズムから生まれたとも考えられている 宗教改革におけるカルヴァンの思想は、より徹底した聖書中心主義であり、神は絶対的な権威をもち、人間の原罪はキリストの福音によってのみ救われるというものであった。その神による救済は「予(あらかじ)め定められている」であり、それを定めるのは絶対の権限を持つ神だけである、したがって「人間はすべて平等に創られてはいない。永遠の生命にあずかるもの、永遠の劫罰に喘ぐのも、すべて前もって定められている」とした。そのような人間がどのようにして神への絶対的服従を示すことができるかというと、現世の天職を与えられたものとして務めることでしかできない、と説いた。このようなカルヴァン派の信仰は西ヨーロッパの商工業者(中産階級)に支持されていった。そして

    ゲイが祝福されない云々はともかく、 予定説は考えようによってはそんなに..
    kirakiranamevictim
    kirakiranamevictim 2021/03/19
    予定説とは平たく言えば「努力する者が皆救われるとは限らないが、救われた者は皆努力した。だから、『救われたい』と願う者は『自分は神に(神の似姿として)選ばれた者だ』と信じて努力しろ」という考え方だ。
  • キリスト教が蔓延してる国で育った「祝福されない」属性の人は本当に苦労..

    キリスト教が蔓延してる国で育った「祝福されない」属性の人は当に苦労したと聞いたよ。 子供の頃から間違ったファンタジーを刷り込まれて、内面化してしまってるから信じてる絶対的な存在に「祝福されない」ことで自己否定してしまって苦しんだし、家族からも罵倒されたり縁を切られたり。国ごとそのファンタジーに飲み込まれてるから、社会的に差別が正当化されていて、なかなか権利も認められない。 キリスト教なんて存在しない方が良い。

    キリスト教が蔓延してる国で育った「祝福されない」属性の人は本当に苦労..
    kirakiranamevictim
    kirakiranamevictim 2021/03/19
    ソドムの物語は反同性愛の話ではないとは言え、かつてイギリスに「ソドミー法」という悪法があったのは事実だ。某松浦大悟氏がキリスト教に否定的なのは、氏がこういう歴史を踏まえての事なのだろう。
  • 幼少期から、教会や聖書で宗教観を育んで、その後で、自分の恋愛対象や心..

    幼少期から、教会や聖書で宗教観を育んで、その後で、自分の恋愛対象や心の性に気づくから苦しむんだろ。 言ってみりゃ、子供の頃から「無職は死ね」っていう宗教に入ってて、自分でも「無職はダメなんだなーなんで滅びないのかなー」って思ってたら、大人になったら自分も無職になっちゃいましたって感じじゃない?

    幼少期から、教会や聖書で宗教観を育んで、その後で、自分の恋愛対象や心..
    kirakiranamevictim
    kirakiranamevictim 2021/03/17
    まあ実際問題として幼少期に洗礼を受けたのちに自分が同性愛者または性同一性障碍者だという事に気づいた信徒が神父または牧師にその事を責められてしまったという不幸な事例は少なからずあるようだ。
  • ゲイのキリスト教徒って聖書読んでるの? 氏ねって書かれてるけど?

    ヴァチカンが同性婚を祝福しないのに文句を言ってるゲイかつキリスト教徒が紹介されているけど、アホとしか思えない。お前ら当に聖書を読んだことあるのか? ローマ教皇庁、「同性婚は祝福できない」と公式見解 https://www.bbc.com/japanese/56410862 聖書の同性愛者の扱い酷すぎて笑えるので少し紹介するね(翻訳は全て「新共同訳」) ホモは絶対に死刑女と寝るように男と寝る者は、両者共にいとうべきことをしたのであり、必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる。 13:レビ記/ 20章 13節 レズもホモも不自然で恥で報いを受けるそれで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、 同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。 26:ローマの信

    ゲイのキリスト教徒って聖書読んでるの? 氏ねって書かれてるけど?
    kirakiranamevictim
    kirakiranamevictim 2021/03/16
    『レビ記』のあれは「金銭的な事情を理由に自分以外の男を娼婦の代わりにしてはならない」という意味だ。『パウロ書簡』のあれは、パウロがファリサイ派の教条主義から脱しきれていなかったという痕跡でしかない。
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