近鉄監督時代の鈴木啓示さん(1993年) 米大リーグで日本人が活躍するなんて夢のまた夢。そう言われた時代は去った。 8日に開幕した「2023ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)に挑む日本代表は、まさに「ドリームチーム」だ。大谷翔平、ダルビッシュ有ら、4人の現役大リーガーも名を連ねる。 「チームが自信に満ちあふれている。大リーグで活躍する選手を中心に、世界に対する引け目が消えたね」。試合をテレビ観戦した元近鉄バファローズ監督の鈴木 啓示(けいし) さん(75)は、そう目尻を下げる。 通算317勝の大投手。かつて日米野球で対戦した大リーガーのパワーに驚きはしたが、憧れも、興味もなかった。だから、分かり合えなかったのだろうか。大リーグで日本人選手の道を切り開いた、あの投手とも。(大阪本社三田支局 竹村文之) 「投げたらアカン」空回り 失敗潔く認め プラスに変えた 28年前の年明け早々
1992年、スポーツ平和党のアントニオ猪木に口説かれ、参院選出馬を決意した江本孟紀。公示前日に長嶋茂雄が“散歩”と称して激励に訪れ、マスコミに話題を振りまいてくれた。予断を許さない選挙戦終盤、江本の元に、現役選手である巨人の4番・原辰徳が応援にやってきた。翌日、球団に呼び出しを食らった原はどう対応したのか――。(全3回の2回目/#1、#3へ)※敬称略、名称や肩書きなどは当時 ◆◆◆ ミスターの訪問で華々しく始まった選挙戦だったが、江本は公示日から厳しい現実に直面する。 「もうね、出馬をすぐ後悔しましたよ。普通の政党は選挙カーや運動員をたくさん抱えていますけど、スポーツ平和党は猪木さんのシンパが応援しているだけ。その人たちは猪木さんの演説について行くので、僕のほうには来ないわけですよ。党で選挙対策会議をすると、『明日は朝から千葉の駅前に行こう。ウチの若い子に運転させるから』なんて言われて、2
張本勲氏「とにかく一茂が大バカ。あれだけの人(長嶋茂雄氏)をどうして他人が面倒を見てるのか」 (【2chまとめ】ニュース速報嫌儲版) 「アマレス」より『野球』です。 (mingoh's観戦レポート) 都市対抗野球に明日はあるのか (三井健聖の野球生活) さらば落合博満。 (観測所雑記帳) 2010年W杯南ア大会 - 金子逹仁03 (観測所雑記帳) 2010年W杯南ア大会 - 金子逹仁02 (観測所雑記帳) 2010年W杯南ア大会 - 金子逹仁01 (観測所雑記帳) [野球]2009/11/07 プロ野球〜原巨人が日本シリーズ優勝 (昨日の風はどんなのだっけ?) 【野球】巨人が7年ぶり日本一! 原監督の「維新」成就 (しなぷす) [2009/11/04]川崎フロンターレと、ガンダムとのつながりは? ほか 本日のサッカーネタまとめ (footballnet【サッカーニュースの2ちゃんねるまとめ
花咲徳栄が埼玉県勢として初めて夏の甲子園を制覇した2017年の主将で、19年4月に強盗致傷事件などを起こした千丸剛(ちまる・つよし)被告(21)らの裁判員裁判が27日、千葉地裁(坂田威一郎裁判長)で開かれ、千丸被告の被告人質問が行われた。 千丸被告はスポーツ推薦で18年に駒大に進み、2月から野球部に入部した。弁護側の被告人質問で、1年春からリーグ戦に出場していたにもかかわらず、退部した理由を、千丸被告は「深夜2時、3時までコンクリートの上に正座させられたり、雨の中、傘もさせずに先輩たちの買い出しに行かされたり、たばこの火で根性焼きさせられたりしました。3月から9月に退部するまでほぼ毎日ありました」と供述。「チームの体質、風習についていけなかった」ことが退部の理由と説明した。 通学は続けたものの、駒大はキャンパスがひとつのため「顔を合わせたくない先輩たちと顔を合わせるのが苦痛になった」ため、
野球 プロ野球 張本勲26歳、大リーガーをメッタ打ち! 打率.568の三冠王 “伝説の1966年ブラジル遠征”【現地紙で発掘】
4日目第2試合、磐城と国士舘の試合は、「無観客」であるこがまったくと言っていいほど気にならなかった。 試合開始直後、一塁側のあまりの声量に、思わず、磐城だけ特別に大応援団の入場が許されているのかと思った。 センターの馬上斗亜が言う。 「最後の試合なんで、全力で勝ちに行きました。甲子園で、吹奏楽の大応援の中でプレーすることを楽しみにしていたんですけど、静かなら静かで、仲間を近くに感じられるし、声も選手に届きやすい。声を出して、ベンチの力で打たせてやろうと思っていました」 磐城は元気なだけでなく、とにかく楽し気だった。レフトの清水真岳が話す。 「僕たちは21世紀枠なので、東京チャンピオンの国士舘ははるかに格上。技術や力でかなわないぶん、スマイル、スマイルでやろう、と。勝っても負けても最後なので、結果は気にしていなかった」 大声援はなくとも、磐城は磐城だった。 この夏の交流試合は、もし、大声援が
超高校級右腕の前で「死ねなかった」無念 今から21年前のことだ。私は無名の高校球児として最後の夏を迎えていた。私学ながらスポーツ推薦もなく、強豪とは呼べないレベル。それでも監督から常に「甲子園」を意識づけられ、強豪を慌てさせるだけの実力はついたと自負していた。 夏の西東京大会4回戦で対戦する堀越には、プロ注目の本格派右腕・岩隈がいた。我々は岩隈が投げるであろう140キロ級のスピードを想定して、ピッチングマシンを通常時より前に出して打ち込んだ。 「よく練習した。お前たちなら、明日絶対に岩隈を打てるから!」 試合前日のミーティングでコーチからねぎらわれ、私たちに怖いものはなかった。 だが翌日、試合前に堀越のキャプテンとメンバー表の交換をした私は、愕然とした。堀越の先発メンバー表に岩隈の名前がない。つまり、温存されたのだ。 ナメられてる。一刻も早く岩隈を引っ張り出してやる。意気込む私たちの前に広
大学野球の大きな楽しみの1つに、高校までは影も形もなかったような選手たちが、新たな環境を得て別人のように成長し、快腕として、スラッガーとして、忽然と頭角を現してくることがある。 最終回のこのコラムに登場する学生選手たちは、ほとんどがそうした「新鋭」たちである。 一昨年6月の「全日本大学野球選手権大会」。 3-2と勝ち越した7回、マウンドに上がった中京大・山本一輝(当時2年・180cm81kg・左投左打・東郷高)。以降、9回までのアウト9つを5三振に封じるうちに、打線が追加点を奪って強豪・富士大を破っていた。 左腕投手にありがちな、理由のわからないアンバランスさやぎこちなさが全くなく、理想的なフォームで投げている。 付属の中京大中京をはじめ、全国の名の知れた高校出身がズラリと居並ぶチームの中で、「東郷高(愛知)」というのも興味を惹かれた。 「山本の場合、テークバックからリリースの寸前まで、体
「文献を見ると」「研究の結果によると」……。ロッテ・吉井理人投手コーチの話を聞いていると、野球の取材というより大学の講義を聴いている、と錯覚する瞬間がある。ゴールデンルーキー、佐々木朗希(岩手・大船渡高)はプロ人生の第一歩を、この投球学の"研究者"とともに踏み出した。投げないながらに、欲求不満にならず、いかに練習の充足感を得てもらうか。吉井コーチが、佐々木朗ら、新人のために組んだ初めてのキャン
我々が目指すべきなのは世界最高峰の舞台。アカデミー賞でアジア初の快挙が報じられているのを見て、日本人としてそんな想いに駆られた。 国内で研鑽を積みながら、その先にあるものを目指す。業界のトップを目指しているものなら、誰もが考えることであろう。アスリートも然りである。 ゴルフ、テニス、サッカー、バスケットボール。近年の日本のスポーツ界は若いうちから世界の舞台へ飛び込むことが当たり前になっている。 だが、必ずしも日本すべての業界が、その思考に傾いているわけではない。世界の舞台への挑戦は時代の趨勢だが、若い世代の挑戦については、やれ「空洞化」、「国内軽視」などと批判される。 長い歴史を誇る野球界には、少なからずそんな空気がある。 踊った「高卒メジャー」という報道。 「メジャーリーグを目指したいとは言ったみたいなんですけど、日本で活躍してからという意味だったつもりが、ネットにはそんな記事が出ちゃっ
セ、パ両リーグの新人王が26日に発表され、セは2年目のヤクルト・村上宗隆内野手(19)がセの高卒野手では31年ぶりに選出された。記者投票で、阪神のルーキー・近本光司外野手(25)を39票差で破ったが、阪神OBの野球評論家、藪恵壹氏(51)のように「盗塁王のタイトルを獲得した近本の落選は解せない」との異論が出るほどの接戦だった。ちなみに投票に加わった夕刊フジ記者5人のうち、4人は村上、阪神担当記者は近本に投票した。 ◇ 持ち味が違うこの2人を比較するのは、確かに難しい。 「我慢強く試合に使ってくれた(小川前)監督、コーチ、裏方さん、選手の皆さんに感謝の気持ちを表したいと思います」と感激の面持ちで語った村上。2年目の今季は全143試合に出場し、36本塁打(今季セ・リーグ3位)で1986年に新人の清原和博(西武)が記録した10代での最多本塁打記録(31本)を更新。96打点(同3位)も53年の中西
野球本はワインと似ている。 以前出た本を棚で寝かせている内に、熟成されて味に深みが出る。 例によってぶらりと本屋に出かけたら、青・赤・緑の見慣れた色使いの「辻発彦 埼玉西武ライオンズ新監督就任」という帯が巻かれた新書を見つけた。2012年8月発売の一冊が野球界の動きに合わせて、5年後にまた生き返る――これもまた野球本の魅力だ。 それにしても、あの守備の名手・辻が西武監督として戻って来るとは感慨深い。 自分は少年ジャンプで『キン肉マン』の連載が始まり、所沢で西武ライオンズがスタートした1979年生まれの埼玉出身。いわば西武線に乗って遊びに行き、テレビ埼玉で夕方からの全日本プロレスとライオンズアワーを観て育った世代である。当時の巨人は憧れの東京のチーム、西武は地元の自慢のチームという感覚。いわば辻は俺らのヒーローだった。 気が付けば、あの頃のスーパースターたちが続々と監督として現場に戻ってきて
希望と不安、落胆と喝采…少年が書いたものとあえて書かなかったものが生み出す読後感、話題の詩『春の大山』精読の巻。 Tweet Share on Tumblr カテゴリ:野球 2019年05月16日08:00 春は大山、夏は大山、秋は大山、冬は大山! 少年のエモーショナルな言葉に大変感銘を受けました。話題の詩、『春の大山』。阪神ファン、野球ファンそしてたくさんの人生を前向きに生きている人々にさわやかで温かい気持ちを与えてくれた。何度も何度も読み返したいような言葉でした。 今日の参観で、春を題材にした詩が張り出されてて、他の子は「春の声に花が目覚める」とかそんな感じなのに息子の詩だけ大山応援してて、他の親達にも爆笑されたり写真撮ったりされてたww けど結構グッとくるよな 4番大山への愛と期待が込められてる pic.twitter.com/LS9FIXOXMv— アコマン(ままるす) (@mam
石川 雅規(いしかわ まさのり、1980年1月22日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 大卒のNPBフランチャイズ投手としては史上初の22年連続勝利を達成している[注釈 1][2]。また、投手としては史上初の1年目からの22年連続安打も達成している[注釈 2][3]。 経歴[ソースを編集] プロ入り前[ソースを編集] 下新城小、 秋田北中卒。秋田市立秋田商業高等学校ではエースとして、第79回全国高等学校野球選手権大会に出場した(石川とバッテリーを組んでいた主将で捕手の太田直は現在、秋田商硬式野球部監督である)。1回戦の対島根県立浜田高等学校戦では、和田毅との投げ合いを制して完投勝利を挙げた。続く2回戦の対沖縄県立浦添商業高等学校戦では完投するも8失点を許し、チームは敗退した。高校時代の同級生にはタイ女子レスリングナショナルチームコーチ
冒頭に「少子化の6倍から10倍のスピードで野球人口が減っている。その中で小さな子供がムリをしすぎて手術をしたり、ケガをして野球を断念する姿を見てきた。そういう野球界がもっと良くなるために」と会見を行なった趣旨を説明。その後に質疑応答が行われた。 筒香が一貫して主張する「勝利至上主義の弊害」 その中で筒香が一貫して主張し続けていたのが「目先の勝利ではなく、子供たちの将来を見据えた野球環境を作ること」だった。 特に練習のしすぎや、投げ過ぎによる子供たちの肉体への影響については、慶友整形外科病院スポーツ医学センター長の古島弘三医師が作成した資料を配布。昨年の12歳以下の日本代表15選手のうち、肘の内側障害があった選手が67%の10人だったのに対して、同医師がドミニカで調査した224人の同年代の選手では約18%の41人だったという事例を紹介。 「負けたら終わりのトーナメントではメンバーも固まり、連
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