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ブックマーク / number.bunshun.jp (41)

  • “極秘の選挙応援”に怒った巨人…31年前、原辰徳のうますぎた弁明とは? 江本孟紀が明かす“あの政策”「野球出身なのになんでサッカーを応援してるんだ」(岡野誠)

    1992年、スポーツ平和党のアントニオ猪木に口説かれ、参院選出馬を決意した江孟紀。公示前日に長嶋茂雄が“散歩”と称して激励に訪れ、マスコミに話題を振りまいてくれた。予断を許さない選挙戦終盤、江の元に、現役選手である巨人の4番・原辰徳が応援にやってきた。翌日、球団に呼び出しをらった原はどう対応したのか――。(全3回の2回目/#1、#3へ)※敬称略、名称や肩書きなどは当時 ◆◆◆ ミスターの訪問で華々しく始まった選挙戦だったが、江は公示日から厳しい現実に直面する。 「もうね、出馬をすぐ後悔しましたよ。普通の政党は選挙カーや運動員をたくさん抱えていますけど、スポーツ平和党は猪木さんのシンパが応援しているだけ。その人たちは猪木さんの演説について行くので、僕のほうには来ないわけですよ。党で選挙対策会議をすると、『明日は朝から千葉の駅前に行こう。ウチの若い子に運転させるから』なんて言われて、2

    “極秘の選挙応援”に怒った巨人…31年前、原辰徳のうますぎた弁明とは? 江本孟紀が明かす“あの政策”「野球出身なのになんでサッカーを応援してるんだ」(岡野誠)
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    kj-54 2023/01/17
    『たまたま通りかかったら、球界の先輩がガードレールにつかまって必死に演説していたんです。後輩として素通りできますか』と答えたらしいんです。そしたら、代表が『それもそうだね』と納得して不問になった。
  • 「石原慎太郎が書いたボクシングの試合は実在した?」のミステリーを追う…14歳石原少年はあの“伝説のボクサー”に夢中になった(らしい)(細田昌志)

    芥川賞作家で東京都知事や運輸大臣などを歴任した石原慎太郎が、2月1日、都内の自宅で亡くなった。享年89。 他界してから現在まで多くの「石原慎太郎論」を目にした。芥川賞作品『太陽の季節』を起点とする文学論をはじめ、実弟・石原裕次郎を世に出した映画製作、青嵐会に代表されるタカ派的思想、東京都知事としての功罪、数々の失言や差別発言……。賛否両論、支持不支持あろうが、異なる複数のジャンルを横断した、あらゆる意味において突出した存在だったことは、まぎれもない。 おびただしい数の評説を目にしながら、一つだけ論じられていないものに気付いた。格闘技である。意外なようだが、石原慎太郎と格闘技は切っても切り離せない。考えてみれば『太陽の季節』も、主人公は高校のボクシング部に在籍する設定で、部の仲間たちとの放蕩三昧が物語の根幹を成している。宝田明の主演で映画にもなった『接吻泥棒』(監督・川島雄三/1960年作)

    「石原慎太郎が書いたボクシングの試合は実在した?」のミステリーを追う…14歳石原少年はあの“伝説のボクサー”に夢中になった(らしい)(細田昌志)
  • ヤクザがリングに乱入「審判を殴った」…“拳聖”ピストン堀口のボクシングマネーが裏社会の勢力図を変えた(細田昌志)

    戦前から戦後にかけての大スター拳闘家「ピストン堀口」。36歳で謎の死を遂げる数奇な人生とは? 彼の異常人気ぶりはやがて、最大暴力団“山口組”の原資となった。 (全3回の2回目/#1、#3へ) 「若槻事件」でリングから姿を消した第二代ウェルター級王者・野口進と入れ替わるように、拳闘界のエースとなったのがピストン堀口(堀口恒男)だった。 それによって書き換えられたのは、拳闘界の勢力分布図だけではなかった。ここでは、そのことに触れておきたい。 “新興”山口組と“古巣”大嶋組…血みどろの抗争 野口進が所属していた大日拳闘会(大日拳)の会長は、神戸の大物やくざの嘉納健治である。以前の記事でも詳述したように、神戸の名家嘉納財閥の御曹司として生まれた嘉納健治は、アウトローの道を歩み、神戸やくざの始祖、富永組に客分として身を寄せていた。その後親分の富永亀吉が殺されるといち早く組織をまとめ、舎弟である大嶋

    ヤクザがリングに乱入「審判を殴った」…“拳聖”ピストン堀口のボクシングマネーが裏社会の勢力図を変えた(細田昌志)
  • 《八村塁のチームメイト》ロビン・ロペスはなぜ少年バスケ漫画を作った? 作画は日本人に依頼「スラムダンクは歴史上もっとも影響力が強いマンガ」(宮地陽子)

    NBAに入って2シーズン目を終えた八村の成長は間近で見てきた。特にプレイオフでは、レギュラーシーズンとは違う戦いがあり、初出場の八村にとってはそこから学べることが多かったと言う。 その例として、フィラデルフィア・セブンティシクサーズとのプレイオフ第1戦で、シクサーズのトバイアス・ハリスが、経験の浅い八村を狙うかのようにアグレッシブに攻めてきたときのことをあげた。 「プレイオフはマッチアップで有利なところを狙ってくる。トバイアスは最初からアグレッシブに、血を求めていた。それは塁にとって、とても大事な経験だったと思う。彼にとっては思うようにいかない経験だったかもしれないけれど、でも、そこから学ぶことができる。塁にとって、最初のパンチを自分から繰り出すことの価値を知ったことは大きかった」 そんな八村と『センパイ』『コウハイ』のような関係を築きシーズン通して大きな影響を与えたのがチームのリーダー、

    《八村塁のチームメイト》ロビン・ロペスはなぜ少年バスケ漫画を作った? 作画は日本人に依頼「スラムダンクは歴史上もっとも影響力が強いマンガ」(宮地陽子)
  • 張本勲26歳、大リーガーをメッタ打ち! 打率.568の三冠王 “伝説の1966年ブラジル遠征”【現地紙で発掘】(沢田啓明)

    野球 プロ野球 張勲26歳、大リーガーをメッタ打ち! 打率.568の三冠王 “伝説の1966年ブラジル遠征”【現地紙で発掘】

    張本勲26歳、大リーガーをメッタ打ち! 打率.568の三冠王 “伝説の1966年ブラジル遠征”【現地紙で発掘】(沢田啓明)
  • ついに実現「青森山田vs青森山田」 豪雨の中ぶつかるプライドと劣等感…涙の“直接対決”に密着(安藤隆人)

    青森山田vs.青森山田――。 10月4日、高円宮杯JFA U-18 サッカースーパープリンスリーグ2020東北・決勝。青森山田高校グラウンドで行われた「東北No.1」を決める試合は、少し異質なものとなった。グラウンドにあるスコアボードには「青森山田vs.青森山田セカンド」と書かれている。紅白戦ではなく、歴とした公式戦である。 セカンドもプリンスリーグで2度優勝 まず、この試合の経緯を説明する。来、この戦いは実現するはずのない試合だった。 従来、青森山田は『高円宮杯U-18プレミアリーグ』に所属している。全国の強豪校やJクラブユース20チームが東西(EASTとWEST)に分かれ、2回総当たりのリーグ戦を行い、それぞれ東西の1位が一発勝負のチャンピオンシップで日一を決める、この世代の最高峰リーグだ。同校は2011年に創設された同リーグにおいて、高体連チームとしては史上最多の2度の優勝を誇っ

    ついに実現「青森山田vs青森山田」 豪雨の中ぶつかるプライドと劣等感…涙の“直接対決”に密着(安藤隆人)
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    kj-54 2020/10/08
    こりゃ熱い 2020年 高円宮杯JFA U-18 サッカースーパープリンスリーグ2020東北・決勝
  • 変えられたのは甲子園の方だった。磐城に大声援が必要なかった理由。(中村計)

    4日目第2試合、磐城と国士舘の試合は、「無観客」であるこがまったくと言っていいほど気にならなかった。 試合開始直後、一塁側のあまりの声量に、思わず、磐城だけ特別に大応援団の入場が許されているのかと思った。 センターの馬上斗亜が言う。 「最後の試合なんで、全力で勝ちに行きました。甲子園で、吹奏楽の大応援の中でプレーすることを楽しみにしていたんですけど、静かなら静かで、仲間を近くに感じられるし、声も選手に届きやすい。声を出して、ベンチの力で打たせてやろうと思っていました」 磐城は元気なだけでなく、とにかく楽し気だった。レフトの清水真岳が話す。 「僕たちは21世紀枠なので、東京チャンピオンの国士舘ははるかに格上。技術や力でかなわないぶん、スマイル、スマイルでやろう、と。勝っても負けても最後なので、結果は気にしていなかった」 大声援はなくとも、磐城は磐城だった。 この夏の交流試合は、もし、大声援が

    変えられたのは甲子園の方だった。磐城に大声援が必要なかった理由。(中村計)
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    kj-54 2020/08/15
    中村計さん
  • ドラフト指名ボーダーの選手たちを大学の監督が自らプレゼン!4/4(安倍昌彦)

    大学野球の大きな楽しみの1つに、高校までは影も形もなかったような選手たちが、新たな環境を得て別人のように成長し、快腕として、スラッガーとして、忽然と頭角を現してくることがある。 最終回のこのコラムに登場する学生選手たちは、ほとんどがそうした「新鋭」たちである。 一昨年6月の「全日大学野球選手権大会」。 3-2と勝ち越した7回、マウンドに上がった中京大・山一輝(当時2年・180cm81kg・左投左打・東郷高)。以降、9回までのアウト9つを5三振に封じるうちに、打線が追加点を奪って強豪・富士大を破っていた。 左腕投手にありがちな、理由のわからないアンバランスさやぎこちなさが全くなく、理想的なフォームで投げている。 付属の中京大中京をはじめ、全国の名の知れた高校出身がズラリと居並ぶチームの中で、「東郷高(愛知)」というのも興味を惹かれた。 「山の場合、テークバックからリリースの寸前まで、体

    ドラフト指名ボーダーの選手たちを大学の監督が自らプレゼン!4/4(安倍昌彦)
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    kj-54 2020/05/28
    日本文理大学藤野投手“ああ、今日は最高の1日でした。藤野のこと、思いきりほめちぎらせてもらえた。私、いつかこういう日が来ないかって、ずっと待ってたんですよ、本当は!”
  • 中止と無観客が続く今だから考える。猪木vs.マサ斎藤、巌流島決闘の意味。(堀江ガンツ)

    レフェリーすらもいない状況下で戦った猪木とマサ斎藤。両者血だらけでフラフラな状態のまま2時間以上にわたる“死闘”を演じた。 2月26日、政府が新型コロナウイルスの感染拡大防止に向け、今後2週間の全国的なスポーツ・文化イベント開催自粛を要請したことで、各スポーツイベントの開催中止や延期が相次いでいる。 プロレス界でも、すでに3月14日までの興行中止を発表していたスターダムを始め、同じブシロード傘下の新日プロレスも3月15日までの大会中止を発表。DDTも系列ブランドの東京女子プロレス、ガンバレ☆プロレスも含め3月8日までの全大会を中止。さらにプロレスリング・ノアも春のビッグマッチ、3.8横浜文化体育館大会の延期を発表するなど、影響が広がっている。 そんな中、26日に新日プロレスとスターダムの木谷高明オーナーが、Twitterで以下のような投稿をし、ファンの間でも賛否両論の声が上がった。 「

    中止と無観客が続く今だから考える。猪木vs.マサ斎藤、巌流島決闘の意味。(堀江ガンツ)
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    kj-54 2020/03/02
    “夕刻から始まった試合は、ハッと気がついたら周りが暗くなってて、日が落ちたのもわからなかった。途中からは闇夜で、まるで宇宙空間で猪木と2人だけで闘っているようだった”鬼がいた。
  • ノムさんは紙面で“ヒマワリ”だった。担当記者たちの追悼文に歴史が滲む。(プチ鹿島)

    野村克也がヤクルトの監督に就任したときは当に驚いた。 「ノムさん、ユニフォームを着る気があったんだ!」と。1990年のことである。 スーパー解説者だったノムさん。テレビ朝日で解説する日はストライクゾーンを表示した画面がテレビに出現。次の球はここです、と野村克也が予想するとピッチャーの球は面白いようにそこに投げられた。バッターの結果も予想どおり。「野村スコープ」は野球の屁理屈の楽しさを教えてくれた。 となると当時10代の私は素朴な疑問としてこう思っていた。 「こんなに野球理論が凄い人なのに、なぜグランドに復帰しないのだろう?」 そんなある日、書店で「監督 その栄光と挫折」(日スポーツ出版社)というタイトルを見つけた。野球雑誌『ホームラン』'89年1月15日発行号であった。 読みもののひとつに「球界のナゾ 野村克也はなぜユニホームを着ないのか?」が。これだ、自分が読みたかったのは! 永谷脩

    ノムさんは紙面で“ヒマワリ”だった。担当記者たちの追悼文に歴史が滲む。(プチ鹿島)
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    kj-54 2020/02/29
    “訃報翌日。各時代の担当記者が書いた追悼文には私たちファンにはわからない、歴史の行間を感じさせるものが多々あった。……どっちが善でどっちが悪とかの二元論ではない”
  • 高卒メジャーへの逆風は消えたか。天理の1年生投手・達孝太が語る夢。(氏原英明)

    我々が目指すべきなのは世界最高峰の舞台。アカデミー賞でアジア初の快挙が報じられているのを見て、日人としてそんな想いに駆られた。 国内で研鑽を積みながら、その先にあるものを目指す。業界のトップを目指しているものなら、誰もが考えることであろう。アスリートも然りである。 ゴルフ、テニス、サッカー、バスケットボール。近年の日のスポーツ界は若いうちから世界の舞台へ飛び込むことが当たり前になっている。 だが、必ずしも日すべての業界が、その思考に傾いているわけではない。世界の舞台への挑戦は時代の趨勢だが、若い世代の挑戦については、やれ「空洞化」、「国内軽視」などと批判される。 長い歴史を誇る野球界には、少なからずそんな空気がある。 踊った「高卒メジャー」という報道。 「メジャーリーグを目指したいとは言ったみたいなんですけど、日で活躍してからという意味だったつもりが、ネットにはそんな記事が出ちゃっ

    高卒メジャーへの逆風は消えたか。天理の1年生投手・達孝太が語る夢。(氏原英明)
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    kj-54 2020/02/15
    “僕の時は正直『ふざけんなよ』という圧力のようなものを感じたし、『高校生ごときが何をいってんだ』という視線もありました。でも、…批判的な見方をする業界はほとんどないじゃないですか”
  • イングランドはなぜ敗れたか。エディーを飲み込んだラグビーの力。(生島淳)

    なぜ、イングランドが負けたのか。 それをずっと考え続けている。 準決勝でオールブラックスを抑え込んだ試合を見せられ、決勝でも当然ながら有利と予想した。 エディー・ジョーンズなら、南アフリカの弱点をあぶり出すはずだと。 しかし、決勝は南アフリカの「フィジカルモンスター」ぶりと、「ディフェンス愛」を表現する場となった。 世界的に問題になったのは、表彰式でのイングランドのふるまいである。 4番ロックのイトジェはイングランド代表の先輩で、同じロックでもあったワールドラグビーのボーモント会長からメダルを首にかけてもらうのを拒否した。 開始早々にイトジェと衝突し、脳震盪で退場を余儀なくされた3番プロップのシンクラーも似たようなふるまいをした。 コーチの一部も。 彼らは負けたのに、負けを受け入れられなかった。 NZとウェールズはラグビーの喜びを示した。 私はその前夜、3位決定戦で見たニュージーランドとウ

    イングランドはなぜ敗れたか。エディーを飲み込んだラグビーの力。(生島淳)
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    kj-54 2019/11/13
    『「ノーサイド」…しかし、W杯日本大会を取材し終えて、この和製英語はラグビーという競技の本質を突いていたのだと感嘆した。私が見た限り、イングランドだけは美しくなかった。』
  • “ZOZOマリン最強の売り子”なな。これは、もう1つのペナントの物語。(村瀬秀信)

    「ペナントレースが終わって徐々にですけど、優勝したっていう実感が湧いてきたような気がします。まだ2年目の私が勝てたことは周りの人たちの助けがあったおかげです。支えてくれたお客さんに、仲間や先輩たち、裏方さん、家族……すべての人たちに感謝を捧げます」 シーズンオフのZOZOマリンスタジアム。人気のない記者会見場で深々と感謝の辞を述べる彼女の笑顔は、インタビュー中、一度だって途切れることはなかった。 彼女の名前は「なな」。22歳。昨シーズン後半に名門アサヒビールに加わった2年目のフレッシュ売り子。 千葉で生まれ千葉で育ったドジでお茶目な野球好きは、野球部マネージャーを務めた高校時代にマリンのウグイス嬢を経験するなど、ZOZOマリンを聖地として育ってきた純正の千葉娘。 2019年。売り子界においてまったく無名の存在であった彼女が、荒廃の中から健全な精神を培い、わずか1年にして、ZOZOマリンの強

    “ZOZOマリン最強の売り子”なな。これは、もう1つのペナントの物語。(村瀬秀信)
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    kj-54 2019/11/11
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    1994年のオールスター戦での風景(右から、森監督、石毛、清原、辻、伊東)。この年、ついに森監督が西武を勇退。督在任中の9年間で8度のリーグ優勝、6度の日一を記録した。 野球はワインと似ている。 以前出たを棚で寝かせている内に、熟成されて味に深みが出る。 例によってぶらりと屋に出かけたら、青・赤・緑の見慣れた色使いの「辻発彦 埼玉西武ライオンズ新監督就任」という帯が巻かれた新書を見つけた。2012年8月発売の一冊が野球界の動きに合わせて、5年後にまた生き返る――これもまた野球の魅力だ。 それにしても、あの守備の名手・辻が西武監督として戻って来るとは感慨深い。 自分は少年ジャンプで『キン肉マン』の連載が始まり、所沢で西武ライオンズがスタートした1979年生まれの埼玉出身。いわば西武線に乗って遊びに行き、テレビ埼玉で夕方からの全日プロレスとライオンズアワーを観て育った世代である。当

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  • 愛されている明治大学ラグビー部、日本一奪還までの22年と田中監督。(大友信彦)

    当に、明治って愛されてるなあと感じました」 明治大学ラグビー部主将の福田健太は、上気した顔で言った。 ラグビー大学選手権決勝で、明大は22-17で天理大を破り、22年ぶりとなる大学選手権優勝を飾った。表彰式を終えると、明大のメンバーたちは場内一周のビクトリーウォークに出た。 バックスタンドの最前列には、年齢も性別も外見もいろいろな、当にたくさんのファンが押し寄せ、握手、ハイタッチ、記念撮影をせがむ。何百人、何千人残っていたのだろう。その誰もが、底抜けの笑みを浮かべていた。 愛されているチーム。 22年ぶり、待ちかねた優勝だから感激もひとしおなのだろう。22年も優勝から遠ざかっていたのに、これだけたくさんのファンが諦めずに待っていてくれたのもすごいことだ。 4年生が生まれたのは'96年度。 福田らいまの4年生は、前回の優勝、1996年度に生まれている。強かったときの明治を知らない。 「

    愛されている明治大学ラグビー部、日本一奪還までの22年と田中監督。(大友信彦)
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    kj-54 2019/01/17
    まさか22年優勝できないとは当時想像できなかった。あの時のごたごたは傍目にもひどかったもんなあ。しかし、スタンドに部員とおっさんしかいなかったように見えたけど。そんなもんなのかなあ。
  • 球数問題は高校どころか少年野球も。投げすぎは「将来性の先食い」に。(広尾晃)

    今夏の甲子園ほど、選手の健康面への懸念が取りざたされた大会はなかっただろう。気象庁が「災害級」と表現した酷暑の中、金足農・吉田輝星が1回戦から決勝までで、881球という投球数を記録した。彼の存在が活発な議論に拍車をかけたのは間違いないところだ。 しかし「球数制限」の問題は何がポイントで、どこに問題があるのか、今ひとつはっきりしない。ここでは高校野球の「投球数」について振り返りつつ問題点を整理し、論点を明確にしたいと思う。 高校野球でメディカルチェックが入るようになったのは、1991年夏の沖縄水産のエース、大野倫の負傷がきっかけだった。イチローと同じ学年の大野倫は世代屈指の好投手だったが、監督の「お前と心中する」と言う言葉に押されて、地方大会から決勝戦まで投げぬいた。 甲子園では773球を投げたが、決勝戦後、右ひじの剥離骨折が明らかに。大野倫はこの時点で投手を断念することとなった。当時の高野

    球数問題は高校どころか少年野球も。投げすぎは「将来性の先食い」に。(広尾晃)
  • 浅尾からサファテへの返信。酷使か、美談か。今こそ“投げ過ぎ”を考える。(小西斗真)

    2011年に79試合、45ホールド、防御率0.41でMVPとなった翌年から右肩の違和感に悩み、登板数が減少。昨季は4試合だった。 意気に感じる投手に甘える構図。 金足農の吉田であれ、浅尾であれ、日の投手はチームや監督に頼られることを意気に感じる。アドレナリンも出ており「頼む」と言われれば「わかりました」となる。少なくともその場では「故障するかも」とは考えていないだろう。むしろその瞬間は「つぶれても望」とすら思っているかもしれない。 昨年の日シリーズ第6戦では、サファテが3イニングを投げ、アメリカ人にも「男気」があるところを見せつけた。だが、それはあくまでも例外中の例外なのであって、日人は常に「男気」を発揮しようと奮闘し、指導者はその「男気」に甘えてしまう。サファテら外国人の目には、そこが奇異に映り、高校生にいたっては「虐待」にすら思える。 「スポーツに故障はつきもの」と言われる。そ

    浅尾からサファテへの返信。酷使か、美談か。今こそ“投げ過ぎ”を考える。(小西斗真)
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    kj-54 2018/08/30
    “浅尾がすさまじい炎を燃えあがらせたのは間違いないが、もっと長く燃やせたはず。浅尾は同情されるような悲運の男では決してないが、日本球界はサファテの意見にももっと真剣に耳を傾けるべき時期にさしかかってい
  • 浅尾からサファテへの返信。酷使か、美談か。今こそ“投げ過ぎ”を考える。(小西斗真)

    2011年に79試合、45ホールド、防御率0.41でMVPとなった翌年から右肩の違和感に悩み、登板数が減少。昨季は4試合だった。 浅尾は落合監督、森コーチに感謝。 ここで浅尾からの「返信」である。浅尾は「知人から教えてもらい」ツイートの内容は知っていた。日人の現役選手ならあまり踏み込まないであろう他人の苦しみ。一方でサファテが自分をリスペクトしてくれていることも十分に伝わっている。戸惑いと感謝。したがって以下に書くのは反応であって反論ではない。 「サファテさんがそう言ってくれることは、素直にすごくありがたいです。でも自分は今でも使ってくれた落合(博満監督)さんや森(繁和。当時はヘッドコーチ、現監督)さんには感謝しているんです」 '09年から'11年の絶頂期の成績。 ここでおそらくは浅尾のキャリアのピークであり、サファテが「ドラゴンズの過ち」と指摘する3シーズンの説明をする。 【2009年

    浅尾からサファテへの返信。酷使か、美談か。今こそ“投げ過ぎ”を考える。(小西斗真)
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    kj-54 2018/08/30
    “でも自分は今でも使ってくれた落合(博満監督)さんや森(繁和。当時はヘッドコーチ、現監督)さんには感謝しているんです”こういうしかないのかわからないがいたましい。
  • 浅尾からサファテへの返信。酷使か、美談か。今こそ“投げ過ぎ”を考える。 - プロ野球 - Number Web - ナンバー

    2011年に79試合、45ホールド、防御率0.41でMVPとなった翌年から右肩の違和感に悩み、登板数が減少。昨季は4試合だった。 金足農の吉田輝星が甲子園で史上2番目に多い881球、秋田大会を含めると1カ月余りで1517球を投げた。酷使か美談か。現在か将来か。日の野球界でこれほど真剣に投手の疲労についての議論熱が高まったのは初めてだ。 吉田のドラマが佳境を迎えつつあった8月16日、ある現役プロ野球選手のツイートが話題を呼んだ。ソフトバンクのデニス・サファテ。昨季、日記録を大きく更新する54セーブを挙げた日最強のクローザーである。 残念ながら4月26日に右股関節唇の修復手術を受け、現在は米国でリハビリ中。今季は登板6試合、1勝5セーブの成績だけを残し、復帰は来季以降となりそうだ。頻繁に更新されるツイートだが、その日の内容は近況報告ではなく、中日の浅尾拓也に関するものだった。 サファテ、

    浅尾からサファテへの返信。酷使か、美談か。今こそ“投げ過ぎ”を考える。 - プロ野球 - Number Web - ナンバー
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    kj-54 2018/08/30
    落合元監督の意見がききたい。
  • プロレス話が嫌いなプロレスラーの話。長州力は、いつか“消える”──。(井上崇宏)

    尾山台のファミレス。その日、長州力は姿を現わしたときからすでに不機嫌だった。 「今日は何をやるんだ? こんなのさ、何度も何度もしつこく言うけど、俺のことなんて昔の記事を拾って勝手に書いてくれりゃいいんだから。なんでわざわざこうして話をしに出てこなきゃいけないのか……。もう、パパパッとやってくれよ」 この日はプロレスの話題について触れる予定だった。そもそも、それが長州の機嫌が悪かった理由だ。 長州はプロレスについて語ることを誰よりも嫌う。おまえら、やったこともないくせにプロレスの何がわかる? 長年、そのスタンスで生きてきた。プロレスマスコミという人種を毛嫌いしている。 「べつに殊更に嫌いじゃないけど……もう、プロレスの話とかしたくねえんだ。まあ嫌いというよりはイヤってことですよ」 けっして嫌いではない、ただ、イヤなのだそうだ。そうして、この日もプロレスについての質問はNGとなった。長州のマネ

    プロレス話が嫌いなプロレスラーの話。長州力は、いつか“消える”──。(井上崇宏)
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    kj-54 2018/03/13