タイトルまんまです。 しばらく前、久しぶりに中学生の弟に会ってびっくりした。 彼は、テレビの音楽番組やYou Tube に上がっている音楽をICレコーダーで録音して、レコーダーにイヤホンを突っ込んで聴いている。 なんでびっくりしたかって、その少し前に、私は弟にiPodnanoをプレゼントしていたのだ。 「iPodは? 使わないの?」 「だってめんどくさいんだもん。」 弟の話をまとめると、こうだ。 つまり、iPodで音楽を買うにはiTunes がいる。iTunesにCDを取り込み、それをまたiPodに同期するのは、弟にとってはややハードルが高いらしい。 ではiTunesストアで直接音楽を買うのはどうかと言うと、クレジットカードが必要だ。 弟は未成年なので親の出番ということになるが、私の親は老齢なこともあり、そもそもPCでクレジットカードを登録することに抵抗を感じていて、許可が出ない。 ではi
中国のロックの父、崔健をご存じだろうか。 中国の1961年生まれの朝鮮族。中国でロックというスタイルの音楽を最初に広めたアーチスト。「自由」「反骨」といったロック音楽本来の力を備えた曲を生み出し続け1980年代の中国で一世風靡し、国外のアーチストにも影響を与えた。中国のボブ・ディラン、という人もいる。 中でも86年にリリースされた「一無所有」(俺には何もない)という曲は、89年、自由と民主を求めて天安門広場でハンガーストライキをやった学生たちの間で愛唱された。この学生集会が軍に武力鎮圧されたのが「六四」と呼ばれる天安門事件である。 この崔健をめぐる出来事が、この10日ばかり、ちょっと国内外メディアをにぎわしたので、今コラムで取り上げたい。 中国の紅白といえる「春晩」 今年の春節(旧正月)は1月31日で、30日が旧暦の大みそか・除夕である。この除夕の中国での風物詩といえば、まず花火・爆竹で、
司会者「大滝詠一さんが亡くなったそうです。享年65歳でした」 kenzee「ホントに今年はミュージシャンの訃報が相次いで、とくに日本のポップスを作ってきた第一世代の人々が亡くなった。キーボーディストの佐藤博さんにはじまって年の瀬にムーンライダースかしぶち哲郎さん、達郎ドラムでオナジミの青山純さん、で大晦日に大滝さんの訃報て…。未だにネタとしか思えない。「ナイアガラ・カレンダー」の作者がこのタイミングで亡くなるなんて」 司会者「死因は解離性動脈癌ということです」 kenzee「とはいえ、9月には坂崎幸之助さんのFMのラジオにはゲストで出演されてたし、「「アメリカン・ポップス伝」をまとめなくちゃならん、ということで今は福生のスタジオで毎日ドゥーワップ聴いてるよ」という話をされていた。無論、2014年には1984年の、今となってはラストアルバムの「EACH TIME」の30周年記念盤の発表などの
2013年12月31日、大瀧詠一さんが亡くなられた。 むかしばなしを一節語って供養に代えたい。 1976年の3月に野沢温泉スキー場で『楽しい夜更かし』を聴いたのが最初の大瀧音楽経験だった。スキー場から戻ってすぐにレコード店に行って『Niagara Moon』を買い、以後37年忠実なナイアガラ-として過ごした。 大瀧さんとはじめてお会いしたのは2005年8月21日。そのときの感動については当時の日記に詳しいので再録。 「行く夏や明日も仕事はナイアガラ 長く生きているといろいろなことがある。 まさか大瀧詠一師匠にお会いできる機会が訪れようとは。 お茶の水山の上ホテルの玄関で、キャデラックで福生にお帰りになる大瀧さんを石川くんとお見送りして、ただいまホテルの部屋に戻ってきたところである。 午後3時から始まった対談は二次会のホテルのレストランから「営業時間終わりです」と言われて追い出されるまでなん
「メタル・マシーン・ミュージック」についてのインタビューだったと思うのだけど、うまく話しが噛み合わず、ぎごちない雰囲気のまま取材を終えたことがあった。 翌日、レコード会社の人が海苔を僕のところに持って来た。ルー・リードが昨日のジャーナリストに渡してくれと頼んだらしい。 昨日はうまく話せなかったが、自分の言いたかったのは、このアルバムは日本の海苔のようなものだ、ということだった。だからこの海苔を食べてくれると嬉しいというのが、彼のメッセージだった。 何だかキツネに摘まれた気分で、とても戸惑った。ひょっとして馬鹿にされているのかとも思ったが、レコード会社の人が言うにはルー・リードはうまく話せなかったことをとても気にしていて、あのジャーナリストならこの海苔を渡せば分かるはずだと真剣に語っていたらしい。 残念ながら僕は彼の期待には応えられず、今だに海苔の意味を理解できないでいる。 本当に優しい人な
kenzee「今売ってるQuick Japan Vol.110(前田敦子が表紙)のコラムページに映画「BEATCHILD1987」について1200字書かせていただきました!」 司会者「長いことサボってたワリにズレズレのタイミングの告知だなア、オイ」 kenzee「映画「ベイビー大丈夫かっBEATCHILD1987」とは、今から26年前の1987年、くまモンでオナジミの熊本県阿蘇郡で行われたオールナイト・ロックイベントのドキュメンタリーです。尾崎とか岡村ちゃんとかBOØWYとか凄い人たちが出演するってんで元々3万人を予定していた来場者は結果、72,000人を動員するに至った。この来場数の読みのアバウトさとかすでにこの時点で雑な感じがするが、凄い野外ライブが行われた。だが、当日、天気予報は晴れだったが昼から猛烈な豪雨に見舞われ、土砂降りの中、12時間にわたるライブが決行された。この時の映像は尾
PIZZA OF DEATH RECORDSを運営する横山健が混迷する音楽シーンに対し、インディーズの視点から提言を行うロングインタビュー後編。前編ではCDが売れない現状と、その中でレーベルやレコード会社が担う役割までを語った。後編では、今のミュージシャンが置かれた状況をシビアに分析するとともに、自身のレーベルが目指す方向性を明かした。聞き手は音楽ライターの石井恵梨子氏。(編集部) 前編:横山健が語る、これからのレーベル運営術「そもそもレコード会社なんてのは隙間産業なんだ」 ――ライブの動員、物販の売上は好調なバンドが多いですよね。 横山:うん、物販とライブはすごくいいの。やっぱりツアーバンドにとって物販は生命線で。ライブがカッコよければみんな足を運んでくれる。なぜならCDや書籍はコピーが利くけど、体験ってコピーできないから。だからCDが売れないバンドでもライブで食っていくことができる。で
すさまじい映画である。「フェスバブル」と言われるほどさまざまなフェスティバルが全国に乱立し、運営のノウハウや観客の経験値も十分に行き渡り、インフラも整備され、隅々まできっちりと管理された昨今では考えられないほど、ずさんで、不用意で、未熟で、それでも膨大な熱量と、誰にも止められない勢いと、時代が音をたてて変わろうとしている、震えるような予感だけがある。そんな伝説的なイベントを記録したのが『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987』だ。 1987年8月22日から23日にかけて熊本県阿蘇山のふもとでおこなわれた、オールナイトの野外ロック・フェスの嚆矢とも言えるイベント『BEATCHILD』。ブルーハーツ、レッド・ウォリアーズ、BOØWY、ハウンド・ドッグ、ストリート・スライダーズ、尾崎豊、渡辺美里、佐野元春、岡村靖幸、白井貴子と、当時のメジャー・ロックの一線級が勢ぞろいしたラインナップ、
今回はさきごろ第8期ラインナップでの再始動(なんとメル・コリンズが復帰)を発表したプログレッシブ・ロックの王者キング・クリムゾンをご紹介しましょう。 クリムゾンの中心人物は1946年英国生まれのロバート・フリップ(g)。彼がピーター(b)とマイケル(ds)のジャイルズ兄弟と共に1967年に結成したのがジャイルズ、ジャイルズ&フリップです。ビートルズ的なノヴェルティ・ソングと室内楽的チェンバー・ポップが合体したような音楽性で、アルバム1枚を発表しましたが、大きな反響は得られず。 Giles, Giles & Fripp "Thursday Morning"(1968) ここにフリップの幼なじみのグレッグ・レイク(vo,b)と、イアン・マクドナルド(sax,kbd)、ピート・シンフィールド(作詞、照明)などが加わってクリムゾンの母体ができあがります。1968年末にはフリップ、レイク、マクドナル
チェルノブイリも青空も、作詞されたのは相棒の真島昌利さんですね。 昔の甲本ヒロトと言えば社会的なメッセージソングってイメージがありますが 彼は元々社会的というよりはもっと身近な事へ目を向けた詞をよく書く人なんですよね。 社会的メッセージソングの殆どは、甲本さんより真島さんの手によるものが多いです。 二人の作詞傾向は似てるようでちょっと違います。 真島さんの詞は遠くのことを身近に持ってくるかたち。 甲本さんの詞は身近なものをより深く掘り下げるかたち。 これらの違いがお互いに上手く作用し合い、 どんどん新しい曲が生み出されてゆくエネルギーになっているのだと感じます。 例えばブルーハーツの『すてごま』は、甲本さんだけの音楽活動では書けなかっただろうし、 同じくブルーハーツの『手紙』などは、真島さんが彼と出会わなければ世に出ることはなかったでしょう。 あまりにうまく溶け合うことができるので、彼らは
1983年に公開され、フィルムの紛失により幻と化していた佐野元春の長編ドキュメンタリー「Film No Damage」が9月7日から全国の映画館で上映されることが決定した。 「Film No Damage」は今から30年前の7月18日、東京・中野サンプラザホールを皮切りに全国で上映されたのち、フィルムのマスターが行方不明となり、長らく全編の再上映や製品化されることがなかった幻のドキュメンタリー。しかし2012年にEPICレコードジャパンの倉庫から奇跡的にフィルムが発見されたことにより、初上映から30周年の節目を迎える今年に劇場公開する運びとなった。 本作はもともと、当時27歳だった元春が自分のキャリアもそう長くは続かないだろうと感じ、デビューから3年間のライブを映像として記録しようと思い立ったことから制作された。そして自身のドキュメントを撮影してほしいと監督の井出情児に依頼し、当時は画期的
元スレ:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1371761933/ 1:ケンシロウとユリア百式φ ★:2013/06/21(金) 05:58:53.72 ID:???0 フランス・カンヌで6月16日から22日まで開催されている世界最大の広告祭 「カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル」に日本人アーティストとして初めて ゲストとして招待されたPerfumeが、昨日6月20日にプレゼンテーションのステージに立ち、 日本の最新のテクノロジーととともに圧倒的なダンスパフォーマンスを披露した。 この日に行われたのは、Perfumeの海外展開用サイト「Perfume official global website」や ホログラフィックライブの演出など、数々のPerfumeプロジェクトに携わってきた真鍋大度が出演するセ
"Slave to the Rhythm" (live) - Grace Jones. (Night of the Proms 2010 - Belgium/Netherlands)
今年メジャーデビュー25周年を迎えることを記念して、筋肉少女帯が新録音によるセルフカバーベストアルバム「公式セルフカバーベスト 4半世紀」をリリース。これを受けてナタリーではバンド結成時からのメンバーである大槻ケンヂ(Vo)と内田雄一郎(B)にインタビューを行い、バンドブーム、活動凍結、仲直り、そして現在までの激動の4半世紀を振り返ってもらった。 取材・文 / 吉田豪 撮影 / タカハシアキラ 大槻 あれがもう4~5年前? 内田 いや、7~8年。 ──そんな和解を経て筋肉少女帯が復活し、こうして新録ベスト盤を出すに至ったわけですけど。そこに収録されている新曲の「中2病の神ドロシー」は非常に筋少らしいというか、「ポストウォーター」のCMで使われてもおかしくない曲だと思いました。 大槻 「ポストウォーター」のCMか……(笑)。これは橘高(文彦)さんの作った曲ですね。 ──歌詞について説明しても
今日はアンドゥムルメステーーーールのTシャツにRafのデニム。 上にチェックのシャツなんてだらしがない。 まるでグランジロッカーだな...と思ったのでグランジロックについて。 まずWikiから概要を グランジ (Grunge) とは、ロック音楽のジャンルのひとつ。「汚れた」、「薄汚い」という意味の形容詞 "grungy" が名詞化した "grunge" が語源。1990年代にアメリカ・シアトルを中心に興った潮流であり、オルタナティヴ・ロックの一つに位置づけられる。ニルヴァーナやパール・ジャム、サウンドガーデンといったバンドがメジャーシーンで成功を収めたことで、ヘヴィメタルが席巻していた当時のアメリカのロックチャートを塗り替え、世界的なブームとなった グランジ/Wiki 個人的にどうしてメタルを聴いてないのか考えたらグランジを聴いてたからだった。 いわゆる「ロキノン厨*1」というのは、オルタ
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