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ブックマーク / ruhiginoue.exblog.jp (6)

  • 裁判官の言うことは真実か | 井上靜 網誌

    綿井健陽氏が、光市事件について裁判の判決が自分の見解を否定したら引退するという趣旨の発言をしたというのに辞めないと言っているから、不当ではないかとの声があがっているそうだ。 彼も変なことを言ったものだ。裁判官が正しいとは限らない。むしろ、事実認定はもちろんのこと法律的にもトンデモな場合が多いものだ。これは常識だろう。なのに、判決が違ったら責任をとるとは奇妙である。 これが、例えば冤罪事件で特に有名な八海事件を描いた映画「真昼の暗黒」の製作にさいして、今井正監督は脚家の橋忍氏とともに緻密な調査をしたうえで、最高裁からの度重なる圧力をはね除けて、もしもこの映画が間違っていたらもう映画監督を辞めると言ったけれど、このような意味なら、理解できる。 しかし、これとは違う。だから辞めることはない。それは辞める条件がそもそも変だからだ。変なことを言ってしまった場合、それに合わせることはない。変だった

    裁判官の言うことは真実か | 井上靜 網誌
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2008/05/04
    「辞めることはない。それは辞める条件がそもそも変だからだ。変なことを言ってしまった場合、それに合わせることはない。変だったことを認めて訂正するものだ。」
  • 楽なログ・紙々の黄昏 : チベットの決定的弱点

    ペーパーレスで日記も簡単。Macの白い機体で我が逝くはネットの大海。ロバートAハインラインのSF小説には、宗教を批判した作品がいくつかある。その代表的なのが「動乱2100」収録の「もし、このまま行ったら」で、これは宗教が支配する未来のアメリカを舞台に、その打倒のための武装蜂起が描かれている。  劇中の台詞では「頭が悪すぎて技術者になれず、怠け者すぎて農民になれず、信用されないから銀行家にもなれない、そんな者が宗教家になる」とまでこき下ろしている。  宗教の支配と言えば現実世界だとホメイニのイランやタリバンのアフガンで、これらはとんでもない国だとアメリカは敵視し、武力行使してでも打倒するべきだと言っている。アフガンでは実行もした。  アメリカのやり方はともかく、戦争により犠牲者が多数発生して悲惨きわまる事態となったにもかかわらず、封建的な宗教に支配されて国民が幸せだったと言える人は多くなかっ

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2008/04/04
    「今チベットで騒ぎとなっているのは宗教界の人たちが中心で、近代的な市民による自由と人権の希求とはとうてい言えない。そこに弱点がある。」?
  • 事件があった隣近所の反応 | 井上靜 網誌

    例の光市事件について、マスコミや世間で言われていることとは異なる反応を示しているのが、事件があった隣近所だと最近知った。 あの事件は同じ団地内で起きた。被害者と加害者は同じ団地の別の棟に住んでいて、面識は無かったが、歩いてすぐのまさに「目と鼻の先」という位置だった。 近所の人たちに取材した地元の記者(この結果は小さくローカル報道しかされていないから、地元の人でも少ししか、他の地域の人はほとんど、知らないらしいが)によると、加害者の家庭はムチャクチャもいいところで、よそのうちのことではあるが、あまりにひどいので隣近所でなんとかしてやらないと子供つまりこの事件の加害者がかわいそうだし、「そのうち何かまずいことに発展するのではないか」という何となくの不安は持っていたら、とうとうこんなことになってしまい「大変に悔やまれる」というのが、その家庭を知る近所の人たちの正直な心情だった。 加害者の父親は(

    事件があった隣近所の反応 | 井上靜 網誌
  • 感情を持ち出す誤り | 井上靜 網誌

    秋田の児童殺害事件の裁判で、検察側証人として遺族が出されて、感情を問われ、死刑を望むと言わされた。 検察は自分の方に有利にするため利用しているだけで、裁判が終われば冷淡なもの。経済的にも精神的にも、ろくなケアがない。そうなってから気づく遺族たちは怒っている。 そもそも、感情とは人によって異なり、同じ人でも時によって変化する。だから裁判は感情を排するのが常識だった。ところが、という訳だ。 この調子では、証拠がなくても冤罪でも、遺族が引っ張りだされて感情に訴え、これに裁判員たちがほだされるという裁判が横行するだろう。 そうなれば、誰もが、カフカの小説の主人公のようになり、その官権の共犯者とさせられる可能性がある。 Excite %u30A8%u30AD%u30B5%u30A4%u30C8 : %u793E%u4F1A%u30CB%u30E5%u30FC%u30B9

    感情を持ち出す誤り | 井上靜 網誌
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2007/12/12
    「そもそも、感情とは人によって異なり、同じ人でも時によって変化する。だから裁判は感情を排するのが常識だった。ところが、という訳だ。」 /コメント欄の一刀両断に笑った
  • http://ruhiginoue.exblog.jp/6539610/

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2007/10/11
    「だから、どんどん署名しようと、一切署名拒否しようと、ケースバイケースにしようと、自分が正しいと信じることをすればいいし、しなければならない。」
  • きっこのブログと大谷昭宏ら | 井上靜 網誌

    なぜか左ががった人たちから「きっこのブログ」が人気だ。 これは、故黒田清氏や大谷明宏氏が持ち上げられたのと同じだ。彼らは警察権力べったりの反人権派ジャーナリストだが、その一方で戦争反対などと言っており、その部分だけ取り上げて、あたかも良識派のように持ち上げてしまった筑紫哲也氏らの失敗により錯覚した人が少なくないのだ。 黒田氏は読売新聞大阪社会部のボスだったが、東京のボス渡辺恒夫氏との抗争に敗れて追われた。そして読売の紙面が社説で改憲論をぶつなど急速に右旋回したことは周知のとおりだが、しかし黒田一派がいなくなったおかげで大阪社会部では人権に配慮した紙面になったという皮肉な現実があった。それまで黒田体制では、警察の一方的な見方に乗っかり、人権侵害の報道をしまくっていた。これは読売記者の間ではよく知られていたことだ。 大谷氏も、黒田氏に続いて読売を退社してから反権力のポーズを取っているが、警察の

    きっこのブログと大谷昭宏ら | 井上靜 網誌
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2007/10/01
    「大谷氏や「きっこ」のお粗末に批判の声が少なく、それどころか左よりの人たちが支持しているのだから、戦争反対という人たちの言動に説得力が乏しく、そして平和を望む勢力が多数にならないのも当然だろう。」
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