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ブックマーク / zeromemory.sblo.jp (5)

  • suVeneのあれ: 他人を誉める時に感じる葛藤について

    2007年08月31日 他人を誉める時に感じる葛藤について 自分語りは好きではないといった記憶はあるのだが、どうも語りたくなったというか書きたくなったので書き留めておこう。(いや、時折書いてはいるけども) 私は誉める事が苦手である。 いや、正確には苦手なタイプがいる。 何故苦手なのか。 まず理由として考えられるのは、人を尊敬することで自分の劣等感を燻られるから、などということも考えられる。確かにそれもあるのだろう。しかし、全く自分に技能が無いことで、あまり興味がない事に対して、圧倒的な才能を見せ付けられた時でさえ誉めるのを躊躇うときがある。 実は理由はさほど難しくない。 それは、誉めた後の相手の言葉と感情が容易に推測できる時であり、またそういうタイプに向かっていう時である。 誉めた後無邪気に喜び、誉めたことに対して感謝の意を表し、誉められた事で好意にも似た親近感を抱かれるく事が想像できるこ

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2007/08/31
    ほめるときは気軽に、批判するときは一度考えてからにしたいもの(実践できてないけど)
  • suVeneのあれ: ネット上の言論において価値観の「押し付け」というのは無理

    2007年02月28日 ネット上の言論において価値観の「押し付け」というのは無理 という立場を俺は取っている。 ただし、いくつか例外がある。それは、特定のコミュニティ内の立場やルールにおいて、権力者の発言に従わない場合不利益な結果がもたらされる事が自明である場合や、現実の生活におけるしがらみと紐付いている場合、明らかに法に触れる行為をしている場合などだ。 ここでは例外について細かく説明するのもアレなので、タイトルの話は、一般的(というと語弊があるか?)なブログのコメント・トラックバックを含む意見交換や、HNを含む匿名発言を許す掲示板などでの意見交換、かつネット上での交流しかない場合という話に限定しておこう。 んで、「押し付け」ってのは、ある個人(集団)が他の個人(集団)に対して、抗うことが不可避な状態で相手に同意を求めることだとしておく。責任の「押し付け」は、ここでは除外し、あくまで思想・

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2007/03/01
    「押し付けられていると主張したがる人」が存在するように思う
  • suVeneのあれ: その発言には「悪意がない」という免罪符

    2007年02月20日 その発言には「悪意がない」という免罪符 という主張を、意識して利用することがある。 いや、「悪意がない」ことについて虚偽はないのだが、それでも尚主張せざるを得ない状況というものが個人的にある。 勿論、「悪意がない」ことで全てが許されるとは思っていない。「相手が悪意を感じた」ことによる責任が発生することもあるだろうし、「傷つけたという事実」が過失に当たる場合もあるだろう。ただ、それに怯えて必要以上に相手を配慮した(かのように見える)発言を俺はしたくない。 このようなことを書こうと思ったキッカケは、前回id:b_say_soさんとのやり取りに続き、今回id:laddermoonさんとのやり取りがあったからではあるが、この両者だけに向けて書きたい訳ではなく、今までの実体験としての全般的な話として書き記しておこうと思ったからだ。 * どのような時に「悪意がない」ことを主張す

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2007/02/24
    本当に邪悪な人間は悪意が無かったりする
  • suVeneのあれ: 抑圧と弱者について考える

    2007年01月29日 抑圧と弱者について考える 抑圧。心理学的な意味合いでの抑圧ではなく(受け入れられないものや、認められないものを意識から無意識下へと押し込める心理)、他者からの抑圧、社会的構造からの抑圧、権力からの抑圧、など主に外部からの抑圧について考える。もう少し簡単に言うと、認められた(られるべきと考える)権利や価値観を外部からの影響により妨げられていると考えることである。 人は意識していようがしてなかろうが様々な抑圧を受けている。抑圧とは、わかり易い例をあげれば、社会的にも認知されている「女性に対する抑圧」などのことだ。ジェンダーの問題などというと、「何だか自分にも関係するけど、蚊帳の外のような感じ」がする人もいると思うが、もっと身近な問題も沢山ある。例えばそれは学校教育における「みんな仲良く」というスローガンの元に人と仲良くすることを強要されることであったり、会話が苦手な人に

  • suVeneのあれ: 事実を事実として受け止めるという事(id:b_say_soさんへ仮の返信)

    2006年12月28日 事実を事実として受け止めるという事(id:b_say_soさんへ仮の返信) 落ち着いて考えて entry をあげている余裕が無いのだが、あまりに時間が経ってから言及するのもなんなので、とりあえず個人的に考えている事を b_say_so さんへの仮の返信としてみようと思う。構成を考えてないから、多分長文になる。前の b_say_so さんの entry を読み返した訳でもなく、直接的なコンプレックスへの対応の対案でもないのだが、全ては繋がっていると思うので、俺が個人的に考える 自意識・コンプレックス・差別・抑圧・不条理・個と集団などに対する基的なスタンスを語る。 Say::So? - 昨日の補足とsuVeneさんへごめんなさい まず、前提として言って置かなければならないことがいくつかある。 一つは、俺は自分が持つ根的な弱い部分はほとんど表に出さないという事。表とい

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2006/12/29
    父を殺し母を殺し仏を殺し祖を殺す
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