校正おそるべし この言葉は、今日もまだ、ときどき口にせられ、校正者を恐縮させてゐる 「校正の研究」(大阪毎日新聞社校正部編)から引いた。この本は1928年に出版された。90年近くも前に記された冒頭の引用は、今日の部分を現在に置き換えても全く問題なく通用する。いつの時代も誤りはおそろしいものだ。 校閲記者になって1年半が過ぎた。堂々と言うことではないが私の目は節穴だ。原稿に潜む(実際には最初からそこにいる)誤字・脱字、事実関係の誤りを見逃すたび、恐縮する。しかし、そんな思いをしているのは私だけではなかった。 当時の校正者を恐縮させていた言葉とは「校正おそるべし」。文章を発信する限り、これからも校正者を恐縮させ続けるであろう。今回はこのおそるべき「校正おそるべし」という言葉を追いかけた。 「校正おそるべし」は、論語の一節をもじったものである。 子曰 後生可畏 焉知来者之不如今也 四十五十而無聞