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2016年2月2日のブックマーク (2件)

  • 「グローバル化された普通基準」の持つ暴力性

    http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html 普通でない女性が普通を騙る事でどれだけの普通の女性が抑圧されたか。世間一般の愚かな男達があれを普通だと思う事で、どれだけの女性が癒えることのないダメージを被るか。言葉の暴力である。破壊行為である。普通罪である。これはパワーハラスメントなのだ。抑圧なのだ。力による支配なのだ。普通ではない人間が普通を騙る事で、来普通であったはずの人達は劣等感と敗北を植え付けられて洞窟の中へと逃げ込んでゆく。 ああ、よくぞ言ってくれた。当に、当に、よくぞ言ってくれた。 「普通」を定義することは暴力的だ。 世の中で「優れている」とされているものに負けても、人はさほど傷つかない。 しかし「普通」とされている基準に満たないことには人は傷つく。 「身長185cmに満たないからパリコレの男性モデルになる

    「グローバル化された普通基準」の持つ暴力性
  • リベラル21 やっぱり犀だ!

    私がこの「リベラル21」に『あれは何の足音だ?』を書いたのは昨年4月30日のことである。私はその文章でイヨネスコの『犀』という芝居について触れたが、ここでもう一度この作品に触れておきたい。なぜなら、日はいまこの作品の世界を着実に再現しつつあると思うからである。 ウージェーヌ・イヨネスコ(1909~1994)はファシズムの嵐が吹き荒れる1930年代、ルーマニアにいて身近にいる者たちが時代に流されていく姿を目のあたりにしたのだった。彼は自らこの作品を解説するにあたって「たしかに反ナチの戯曲であるが、なかでも、集団的ヒステリー、集団の流行病に反対するものである」と述べている。(白水社刊『イヨネスコ戯曲全集2』解説、292p) 芝居のあらすじはこうだ。ある日、町なかを一匹の犀が駆け回る。初めのうち人々はその姿に恐怖や奇異な思いを抱くが、やがて犀の数が増え始め、町中は犀だらけになる。放送局が犀に占

    リベラル21 やっぱり犀だ!