山本五十六といえば、日独伊三国同盟、対米強硬路線に反対しながらも、真珠湾攻撃の指揮を行った海軍の連合艦隊司令長官として国民的英雄となったが、時代によって変遷をたどり、軍人的評価も「名将」「凡将」「愚将」とさまざまだ。 作家の保阪正康さんは、後方で安穏と暮らしながら机上の地図で作戦を練り、人の命をほしいままにしていた戦争指導者も少なくなかった状況で、山本五十六は「人の心を持った軍人だった」と語る。『昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日本人』(角川新書)の一部を紹介する。 ◆ ◆ ◆ 戦争指導者と兵士の関係 太平洋戦争を見つめる新しい視点、あるいはなぜこの点がもっと深く論じられてこなかったのだろうという謎に、戦争指導者と兵士の関係がある。大本営、ないしは後方にあっての司令部では、将軍や参謀たちが地図とにらめっこをしながら、こっちの部隊はあっちへ、あっちの部隊をこっちへと兵士を動
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