支那事変が長期攻囲段階に入ると占領地を拡げるより、前線の敵に一撃を加えて原駐 屯地に引揚げる作戦をとると共に、仏印やビルマの援蒋ルート遮断が課題となります。 外務省も援蒋物資輸送の禁止を要求してフランス政府と交渉を続け、ドイツの勝利も あって40年(昭和15)6月17日カトルー仏印総督は援蒋物資の禁輸と日本監視団(西原 一策少将)の派遣を承認。目的を達しても仏印通過・飛行場使用と要求を拡大します。 カトルーは日本の要求の一部は受諾し、仏印の領土保全と引換えに蒋介石に対する防 守同盟を提案。ヴィシ―政府はカトルーを罷免しフランス東洋艦隊司令長官ドク―中 将を後任の総督に任命。これまでの西原・カトルー交渉の内容を無効とします。 この為8月1日から松岡外相とアンリ駐日仏大使との交渉開始。30日北部仏印進駐は 臨時的で仏の主権尊重を約束した松岡・アンリ協定成立。がドク―は遷延策を行使。 9月2日日