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  • 国連加盟国189カ国で最後までピルを承認しなかった日本 - 医学生の生存戦略

    でのピルの検討は、案外早く、1955年で国際会議にてピルによる避妊法が発表された直後から始まっていた。ピルの成分を子宮内膜症の治療に使うことはすぐに認可されたのだが、経口避妊薬としての使用は副作用が明らかになっていないとの反対にあった。副作用が案ずるほどのものではないことを日産婦人科学会が新医薬品特別部会で証明しようとしても、電話や電報で突然の中止にあった。当時の首相のの一声が中止の原因だとの噂が流れた*1。避妊薬としてのピルの認可は、ここでいったん閉ざされる。 1964年になり、日シエーリング社が月経困難症の治療薬「アノブラール」に「排卵抑制剤」と付帯説明をつけることで、やっとピルを避妊用途に使うことができるようになる。避妊薬、でなく排卵抑制剤、であればよいようだ。しかし、71年になると、厚生省が「安全性に疑問があるから」という理由で、「排卵抑制」という言葉を使うのを禁止した。

    国連加盟国189カ国で最後までピルを承認しなかった日本 - 医学生の生存戦略
    maangie
    maangie 2014/08/02
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