捜査当局による証拠の捏造を示唆した静岡地裁の決定と袴田巌さんの釈放からまだ一ヶ月もたっていないわけですが、すでにこの社会のマジョリティは事件報道(それも公安事件の)を鵜呑みにする“日常”に立ち戻っているようです。それにしても、この国の警察が「逮捕されるなんて、ろくでもないやつだろ」という観念を深く深く私達の心に刻み込むことにどれほど成功しているのかを考えると、空恐ろしいですね。シャラップ上田は、間違いなく私達の代表です!
浜田寿美男、『ほんとうは 僕 殺したんじゃねえもの―野田事件・青山正の真実―』、筑摩書房 同じ著者による他の事件の鑑定書(をベースとした著作)と比べると、法廷供述の分析が占める位置が大きい。「自白が無実を証明する」が法廷供述にもあてはまるからだ。「冤罪か、否か」以前に被告人の当事者能力が認められ続け裁判が最後まで完遂されたことにショックを受ける。タイトルは被告人質問でたどたどしく「自白」をやり終えた後、検察官から遺族に対する気持ちを訊かれた被告人が突如として口にした否認の言葉に由来しているが、これに負けず劣らず印象的な供述に「やっちゃったの商売」というのがある。弁護人による反対尋問で職業を訊かれての答えだ。被告人にとって裁判がどのようなものであったのかを、これほど明確に示す言葉はあるまい。 この事件、すでに刑期満了で出所となりその後再審請求などは行なわれていないようだ。取調べの録音テープの
朝日新聞デジタル 2012年11月29日 韓国人中傷の紙、公園に貼った疑い 福岡 書類送検へ 記事によれば容疑は「福岡市長の許可を得ず、同市早良区の公園の掲示板2カ所に計4枚の貼り紙をした」というもの。それが「市屋外広告物条例違反」にあたる、と。この条例を確認してみたけど、予想通り差別的な内容の張り紙を取り締まる条文はない。もし「韓国人を中傷」するという内容ゆえに摘発の対象となったのだとすると*1、別件での摘発ということになる。 ヘイトスピーチの違法化については「拡大解釈により表現の自由が脅かされる」との懸念が語られることがよくあるが、「差別」についての規定を含まない「市屋外広告物条例」の類いを利用して摘発されうるという現状の方が、かえって危ういと考える余地もあるのではないか。 追記 似たような案件があったので。 togetter 「【メモ】川東大了・元在特会副会長、性懲りもなく水平社博物
朝日新聞デジタル 2012年10月22日 「「自供しないと少年院、と言われた」誤認逮捕の大学生」 警察としてはなんとか「サイバー犯罪の恐怖!」という方にメディアの関心を向けたいのでしょうが、長い間指摘され続けてきた「人質司法」の問題点をこれ以上放置すべきではありません。 特に留意すべきは、この種の虚偽自白が必ずしも捜査員の「面倒くさいのでさっさと捜査を終わらせたい」といった意識によって引き起こされるわけではなく、むしろ犯罪捜査にあたる人間のエートスによって起きている可能性がある、という点です。警察官や検察官が取調べそのものを「反省」の場と位置づけ、取調べた被疑者の「反省」する姿にやりがいを感じている……という点については以前にも指摘したことがあります。取調官は「素直に自白させて、寛大な処分ですむようにしてやることこそが、この被疑者の更生に役立つ」と心から信じているからこそ、自白を強いるのか
憲法記念日が近いということで、自民党やみんなの党の改憲案の酷さが話題になっていたわけですが、すでに一部の方が評しておられたように、これらの改憲案は「現憲法下ではできなかったことを可能にしようとする」ものというより、「すでに現憲法下でもなし崩しにやられてきたことを明文で追認する」という性格が強いわけです。 そうだとすると、自民やみん党は狡猾さに欠けているので本音をだだ漏れにしているということになるのでしょうか? そうであれば「改憲派がバカばっかりでよかったね」ですむのですが、もう一つの可能性として「こういう改憲案を歓迎する有権者がたくさんいる」と両者が踏んでいる可能性を考えねばなりません。その場合も両者の思惑がはずれればいいわけですが、もしそうでなかったら……。
1月21日のTBS系列「報道特集」でネパール人男性ビシュヌ・プラサド・ダマラさん殺害事件をとりあげていた。警察、メディアのいずれも捜査、取材を終えておらず暫定的な報告として受けとめねばならないだろうが。 まず、逃亡中の2人を含む被疑者はダマラさんへの暴行直後にも日本人グループと「トラブル」を起こしていたとのことで、警察は4人が「無差別に」喧嘩を売っていたとみて捜査しているとのこと。しかしダマラさんに対しては死に至る執拗な暴行を加えたのに日本人相手だと「トラブル」にとどまったのはなぜか*1、この点をきちんと詰めておかねばヘイトクライムではないという判断は下せまい。ただ、「サッカーボールのように」についての私の推測は今のところ撤回する必要はなさそうである。もし被疑者たちが被害者の頭をサッカーボールに見立てて蹴るという“ゲーム”に興じていたことを「サッカーボールのように」と供述していたのであれば
昨日の続きです。こちらも約30年続いていた慣行だそうで。 asahi.com 2012年1月17 「猛者揃い?わずか2日で柔道黒帯 大分の体育教員研修」 大分県柔道連盟が県内の中学、高校の体育教員に、2日間の講習を受けるだけで柔道の黒帯(段位)を授与していたことがわかった。講習は、同県教育庁が連盟に委託して開いており、約30年前から毎年1回行っている。 県教育庁体育保健課によると、2011年度は14人が、10年度は5人が受講し、全員、初段になり黒帯をもらった。これまで受講した体育教員のほとんどが合格したという。 (後略) こちらは「全員」ではなく「ほとんど」が合格とされてますが、まあ実質的には同じことですよね。 ところで、武道(およびダンス)の必修化にあたってその危険性がどの程度国会で議論されたのか、ごくごくおおざっぱな調査をしてみました。国会の議事録過去10年分を「柔道 必修化 事故」お
9月25日深夜(26日)に放送されたNNNドキュメント'11、「届かない死者の声 解剖率一割の現実」を見た。 日本では毎年約100万人が死亡している。ところが、その中で明らかに病死以外の「異状死」とみられる15万人以上の遺体が、正確な死因がわからないまま処理されている。このことが“事故や事件の見逃し”という事態を招き、防げたはずの更なる犠牲者を生み出す「負の連鎖」を生み出している。齋藤愼也さん(当時29)は23年前、北海道北見市のアパートで死亡した。解剖されずに下された死因は「溺死」。しかし、父・武雄さんはこれを信じてはいない。死の直前、愼也さんが周囲にガス湯わかし器の不調を聞いていたことと、5か月後、同じ部屋で男女2人が一酸化炭素中毒で死亡したからだ。武雄さんは今も心の整理がつかず苦しんでいる。死因究明制度が抱える問題を検証し、目指すべき道を探る。 (http://www.ntv.co.
「6.11新宿・原発やめろデモ」に対する公開質問状 原発現状維持派・推進派が好んで用いる揶揄に「原発が止まりさえすれば後はどうでもいいのか?」というものがあります。唾棄すべき揶揄ですが、しかしもちろん「原発が止まりさえすれば後はどうでもよいわけではない」ということ自体は正しい。別に原発に反対する者一人一人が具体的かつ詳細な脱原発の青写真など描けなければならないわけじゃありませんが、脱原発の道筋について「こうであってはならない」「こうでなくてはならない」という原則は持っていなければなりません。さもなくば「原発が止まりさえすれば後はどうでもいいのか?」を下らない揶揄として斥けることもできなくなってしまいますし、そもそも「なぜ原発にノーと言うのか?」という原点を見失ってしまうことになります。 したがって原発依存からの脱却を主張する者は、例えば核廃棄物の処理や原発労働者の雇用や医療支援といった問題
関連エントリ アメリカで百人を超える死刑囚を含む二百数十名の冤罪を晴らしてきた実績をもつ、「無実プロジェクト(イノセンス・プロジェクト)」をとりあげた番組。 ロースクールが拠点となって、弁護士である教員だけでなく学生も参加しているという点が興味深かった。ウィスコンシン大のジョン・プレイ准教授、キース・フィンドリー教授が立ち上げたウィスコンシン無実プロジェクトでは、無実プロジェクト(以下IP)が履修可能な課程となっているとのこと(他の大学での事情は明らかにされていない)。刑事司法について学ぶにはまたとない機会だよなぁ。 番組の軸になっているのは、取材当時このウィスコンシンIPが救援活動をしていたコーディ・バンデンバーグ受刑者のケース。強盗・殺人未遂事件で禁固80年。2009年の時点ですでに14年間受刑していた。一命を取り留めた被害者の目撃証言が有罪の決め手となったが、番組によれば写真による被
TOKYO Web 2011年1月27日 「死刑囚 友人知人の面会増」(魚拓) 記事によれば、監獄法に代わって施行された刑事収容施設法の下では面会相手が親族や弁護士だけでなく「友人や知人にも広がっていた」こと、他方で「面会時間は原則の三十分よりも短い「十五分以下」にとどまるケースが半数を超え」いたことなどが伝えられています。 懲役刑とは異なり、死刑囚が刑の執行まで身柄を拘束されるのは罰の一部としてではありません。法務省としてはひっそりと、市民の気づかないうちに死刑を執行するために面会を制限したいのでしょう。しかし拘置所における自由の制限は合理的な理由がある場合に限られるべしという原則に照らしても、また再審を求める死刑囚に十分な主張の機会を与え冤罪を防ぐためにも、死刑を受け入れている死刑囚への人道的配慮からも、そして被害者遺族や社会が事件の真相や背景、加害者の事件に対する認識などについて理解
私も以前は「なぜ死刑を廃止すべきか」の論拠をどう表現するかいろいろと考えたものですが、最近は実にシンプルな主張に落ち着きました。「殺すな、という主張に根拠は要らない」です。 こういう境地に達するうえで、南京事件否定論者の言動をフォローして来たことは大いに関係しています。「捕虜を殺したのは正当である」と主張するために様々な詭弁を弄する人々を見ていると、そうした主張に対して国際法やら当時の軍事的情勢やらを引き合いに出して「いや、あの捕虜を殺すのは不当だった」と反論するのは実は間違っているのではないか、とすら思えてきますから。 死刑存置論はしばしば「国民の正義感情」を論拠にしますが、しかしこの「正義感情」たるや、被害者の数が膨大で“顔が見えなくなる”とかえって被害者への関心を失ってしまうようなシロモノです。だって、9割近くが死刑を支持するその社会で、万の単位で被害者のいる大虐殺を否定するために詭
毎日jp 2010年9月11日 「クローズアップ2010:障害者郵便割引不正、村木元局長無罪 「供述頼み」に警鐘」 判決の指摘を受け入れて無罪を確定させるのか、それとも控訴に踏み切るのか。大阪高検のある幹部は、証拠請求した8人の捜査段階の供述調書計43通のうち34通が採用されなかったことを問題視。「これだけ多くの供述調書が証拠採用されなかった例はない。(裁判官の)法令違反ということも考えられないか検討し、対応を慎重に協議する」と話す。 「例はない」というのが特捜の事件で、という限定付きのはなしであれば別だが、ちゃんと前例はありますよ。袴田事件では警察官の録取した自白調書が28通、検察官の録取した調書が17通、計45通の自白調書が証拠申請されたけれど、一審の静岡地裁は警察での自白調書全てを任意性に疑いがあるとして排除し、かつ検察での自白調書についても16通を起訴後の取り調べによるものであると
9月17日の朝日新聞(大阪本社)朝刊オピニオン欄「ネットと民意」に掲載された宇野常寛のコメントより。 若い世代は相対的に、親世代のような政治的なイデオロギーに対するロマンティックな幻想はない。グローバル化など不可避の条件に対して、いかに最適な政策に調整するかという風に思考する人が多い。憲法9条や靖国神社をめぐるイデオロギッシュな問題よりも所得の再配分や規制緩和などシステム設計の問題への関心が高い傾向がある(……) 「所得の再配分」は極めてイデオロギッシュな争点の一つですが? それを「システム設計の問題」だと思い込もうとするのも一つのイデオロギーですが? グローバル化を「不可避」と考えるのもイデオロギーだし。そして“俺たちはイデオロギー・フリー”と思い込むのは今日における最悪のイデオロギーです。
郵便不正事件・村木元局長の裁判は予想通り無罪。判決がどれくらい踏み込んで検察の捜査を批判するか気になるところだが、夕刊に間に合うかどうか。 『世界』の10年7月号、「特集 裁判員制度1年――司法は変わったか」の「足利事件・取調べ録音テープを聴く」(佐藤博史・木谷明・高木光太郎)。 テープによれば菅家さんは92年12月7日には(起訴された事件について)否認していたのに、翌8日には再び自白に転じている。まず佐藤弁護士が録音テープが記録した取り調べ(検察官によるもの)について、「むしろ穏やかな部類に属する」のが「実にショッキング」と問題提起。続いて木谷氏が次のようにコメント。 木谷 確かに、テープを聴くと、一見大変穏やかな、ふつう我々が考えているようなきつい取調べというものではありません。(……)それにしても、取調官は菅家さんの有罪を確信しているものですから、否認をするといろいろなことを言って問
さて、今回もたくさん登場しましたよね、「お前の言い方が悪い」と言いたい人々。「獣は檻に、って言うな」を別としても「もっと冷静に」の類いが。「感情的になると反感買うだけ」の類いが。 しかしですねぇ、いわゆる一つの「冷静な」表現なんてのは、もう何十年も言われ続けとるではないですか。例えば学校の「道徳」の時間で。あるいは自分が住んでる自治体の市役所なんかに行くと「人権標語」みたいなものが掲示されたりしてませんか? それよりなにより、日本国憲法には諸々の人権規定が「冷静」そのものの文体で書いてあるではないですか。だけど「差別の自由!」とか言ってる人にはどれも効果なかったわけでしょ? なかったから「差別の自由」とか言い出してるわけでしょ? だから他人の物言いにケチつけてる暇があったら、お得意のクールな物言いで差別主義者や歴史修正主義者を転向させてみてください。
id:aminisi 氏に言われるまでもなく、先のエントリを書いている間私の脳裏には「なんでこんな当たり前のこと書かなきゃならないんだ」という思いはよぎっていたわけです。しかし書いておかないとどうなるか。次に何かあったとき「はてサは予防拘禁を支持した」とか言い出すわけですよ。そうなったときに aminisi 氏は責任とってくれるんですかね? これは妄想でもなんでもなく。現に、既に「はてサは表現規制を主張している」ってことにされちゃってるわけです。 例えば、はてなハイクで延々と hokusyu さんに絡んでいる id:toward-end という人がいます。こんな感じです。 たとえば「toward-endは獣だ!」って誰かがいって、それに対して「獣は檻に入れるべきだね」っていったら、俺は後者に対しても怒る権利があると思うですよ。 「(適当なマイノリティ)は獣だ!」と誰かがいって、それに対して
MSN産経ニュース 2009.10.27 「民主党本部に木刀男 現行犯逮捕 代表室にも侵入」 「「民主党をやっつけたかった」という趣旨の供述」をしているが持っていたのは「長さ約50センチの木刀のようなもの」とのこと。刑法39条をめぐる問題については関心がないわけではないけれども現時点では積極的にコミットしていることでもないので、以下は責任能力には問題がないという仮定(あくまで仮定)でのはなし。 「やっつけたかった」という供述をとられてしまうと事は建造物侵入ではすまなくなる可能性が出てくる(民主党の意向と警察の意向にもよるけれど)。しかしもちろんのこと、犯人が「民主党をやっつけたかった」という意図を明確に自覚しており取り調べでもそれを積極的に語った・・・とは限らない。持っていたのが包丁ですらなかったことを考えると、自分でも何をしたかったのかはっきり意識化できていないというのも、かなり蓋然性の
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