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ブックマーク / at-akada.hatenablog.com (49)

  • カントの天才論 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    『判断力批判』の一部で、カントは「天才論」というかたちで芸術作品の創造について論じている。それは『判断力批判』全体のプロジェクトの中では、決してメインのテーマではないのだが、それなりにおもしろい主題となっている。 判断力批判 作者:イマヌエル・カント作品社Amazon まず、カントが芸術作品の創造について、どのような問題を見出していたか説明しよう。 芸術の産物について意識されていなければならないのは、それが技術であって、自然ではないということがらである。とはいえ、それでも芸術の産物が有する形式における合目的性は、選択意志を拘束する規則によるいっさいの強制から、それがあたかもたんなる自然の産物であるかのように、自由なものと見えなければならない。 イマヌエル・カント『判断力批判』熊野純彦(訳)(2015)、作品社、p.277 カントは芸術作品の制作に、一種のパラドックスやジレンマを見出していた

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  • ゲシュタルト知覚について - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    ゲシュタルト知覚またはアスペクト知覚について自分なりに説明してみる。なぜこの記事を書こうと思ったか。ゲシュタルト知覚の話は、別にそんな難しい話ではないはずなのだが、なぜかピンと気づらいものらしく、理解していない人が結構いるという印象をもっているから。また、あまり丁寧に説明した文章を見たことがないため(どこかにはあると思うが)。なぜ大晦日にそんな文章を書いているのかはよくわからない。 ゲシュタルト知覚とは何か。基的には〈要素の知覚に還元できない知覚〉と覚えればいい。そのようなものが存在することは、以下のように論証できる。 ウサギ-アヒル図 出典 有名なウサギ-アヒル図である*1。この図はウサギのように見えたり、アヒルのように見えたりする。また、ウサギでもアヒルでもなく、単なるインクの固まりのように見ることも可能かもしれない。以下を読む前に、まず自分なりに上の図を見て、ウサギ状態、アヒル状態

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  • 道徳的判断は程度を認めない0/1の判断なのか - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    人と話していて、道徳的判断って、基的には程度を認めない0/1の判断ですよね……と言ったら意外と理解されなかったので、もしかしてこれってあまり理解されていないことなのか?と思って、ブログ記事を書くことにした*1。基的に、倫理学に詳しい人なら知っているような教科書的な内容なので、目新しいことはない。ただ、このトピックについて知らない人が多いのであれば意義はあるのかもしれない。 0/1とは何か。まず「暑い」「寒い」「痛い」などは0/1の述語ではない。これらの述語は、比較形で用いることができ、程度を示す副詞と一緒に使うことが意味をなす単語だ。「少し暑い」「かなり暑い」「〔こちらの方が〕より暑い」などと言うことができる。一方「リンゴである」「知っている」「正円である」などは0/1の述語だ。これらの述語は比較形を持たないし、程度の副詞をつけても意味をなさない。あるものはリンゴであるか、リンゴでない

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  • John Perry「表象なき思考」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    これはおもしろかったし重要な論文だなー。 http://philpapers.org/rec/PERTWR Perry, John (1986). Thought without representation. Proceedings of the Aristotelian Society 137:137-152. ペリーが最初に立てている問いは、知覚がなぜ自己に関する情報を伝えるのかというものだ。知覚の中に私自身は現れないにもかかわらず、知覚は私と周囲のものの関係を伝える(距離、方向などなど)。ウィトゲンシュタインを引いて、「私の歯が痛い」には「私」が現われないし、そこにおける私は「それ」みたいなものだという話がでてくる。 ペリーは、一見遠回りに見える意味論上の問いを経由することでこれに答えている(正確に言うと、ちゃんと答えてはいない)。 「雨が降っている」 この文には場所を指示する表現

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  • Hunter Crowther-Heyck「ジョージ・A・ミラー、言語、心のコンピュータメタファー」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    George A. Miller, language, and the computer metaphor of mind. - PubMed - NCBI 心理学史の論文。認知革命前後の話を扱っている。 1950年代、計算機のメタファーは心理学に革命(認知革命)をもたらしたと言われる。それまで主流だった行動主義──つまり、心理学の対象は直接観察できない〈心〉という謎めいたものではなく、外面的に観察できる行動なのだという発想──は打ち捨てられ、「心は存在し、心理学者の仕事はそれを研究することなんだ」と多くの心理学者は考えるようになった。 この論文では、「なぜ計算機のメタファー──つまり人間の心を計算機のようなものだと考えること──がそのような力をもったのか」という問いを扱っている。確かに、よく考えると、これは奇妙な事態だろう。何しろ、心をもたないもの(計算機)とのアナロジーが、なぜか心理学

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  • Joel Isacc『働く知識 - パーソンズからクーンまでの人間科学の制作』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Working Knowledge: Making the Human Sciences from Parsons to Kuhn 作者: Joel Isaac出版社/メーカー: Harvard University Press発売日: 2012/06/11メディア: ハードカバーこの商品を含むブログを見る ジョエル・アイザックのWorking Knowledge: Making the Human Sciences from Parsons to Kuhn(『働く知識 - パーソンズからクーンまでの人間科学の制作』)を読んだ。著者の専門は社会思想史だが、歴史的アプローチで20世紀北米の人文科学・社会科学の研究をしている。以前このブログでは、この著者のデイヴィドソンと行動科学についての論文を紹介した。私もあまり知らなかったが、最近は20世紀の分析哲学史のような比較的新しい領域も、哲学者ばか

    Joel Isacc『働く知識 - パーソンズからクーンまでの人間科学の制作』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    medicineman
    medicineman 2018/06/19
    “クワインは後年「概念枠組」という語を、「L. J. ヘンダーソンを経由してパレートから受けついだ」と告白している”
  • スーパーヒーロー研究の紹介 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    先日「スーパーヒーローの概念史」という論文を書いた。その時の記事でスーパーヒーロー研究には先行研究が多いと書いたが、以下でスーパーヒーロー研究の基書を紹介することにしたい。需要があるのかよくわからないが、書き残さないと自分で忘れてしまいそうなので書いておく。 まずアメリカにおけるコミック研究の現状を簡単に紹介しよう。The Routledge Companion to Comicsの序文によると、アメリカで、キャリアの最初からコミックを専門にしてコミックで博論を書いたのは、2005年に Alternative Comics を博論として出版したCharles Hatfieldさんがはじめてらしい。もちろんそれ以前にもコミックを扱った研究はあるのだが、「コミック研究が専門」という人はほとんどいなかったそうだ。 例えば、日でもよく参照されるマクラウドのUnderstanding Comic

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  • Simon Evenine, 「でもこれってSFなの?」 - サイエンスフィクションとジャンルの理論 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Simon J. Evnine, “But Is It Science Fiction?”: Science Fiction and a Theory of Genre - PhilPapers Evnine, Simon J. (2015). “But Is It Science Fiction?”: Science Fiction and a Theory of Genre. Midwest Studies in Philosophy 39 (1):1-28. 目次 ジャンルに対する二つのアプローチ 所属、定義、規範性 所属と定義 規範性 ジャンルを巡る争い マーガレット・アトウッド パミラ・ゾリーン「宇宙の熱死」 @pubkugyo さんに教えてもらった。作品のジャンルについて論じた論文。特に具体的なジャンルとしてSFを取り上げ、SFにおけるジャンルの定義論争などに触れつつ議論をして

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  • Kendall Walton, 「なんて素晴しい!」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Kendall L. Walton, How marvelous! Toward a theory of aesthetic value - PhilPapers Walton, Kendall L. (1993). How marvelous! Toward a theory of aesthetic value. Journal of Aesthetics and Art Criticism 51 (3):499-510. Marvelous Images: On Values and the Arts 作者: Kendall L. Walton出版社/メーカー: Oxford University Press, U.S.A.発売日: 2008/04/23メディア: ペーパーバック クリック: 1回この商品を含むブログを見る ウォルトンの美的価値論。この論文では「美的価値」という語を使

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  • 「キャラクタは重なり合う」は重なり合う - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    タイトルに特に意味はない。 少し前に「図像的フィクショナルキャラクターの問題」という論文を書いた。 『ハーフリアル』の翻訳も好評、きえいのゲーム美学者松永伸司*1が、先日フィルカル Vol. 1, No. 2掲載の論文「キャラクタは重なり合う」で、上記の論文を詳細に検討してくれた。エントリは、こちらの論文にリアクションすることを目的とするものだ。ただし、直接の反論というよりは、論文であまり敷衍できなかった論点などの補足が多い。 なお、少し前にシノハラユウキの『フィクションは重なり合う』でも、こちらの論文の内容をさらに応用し、作品批評の形で展開してくれている*2。元々私の論文自体、分析美学におけるフィクションの哲学や描写の哲学の問題をマンガ表現論や批評の文脈に接続することが狙いのひとつだったので、この種の試みは非常にありがたい。 ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム 作者: イェスパ

    「キャラクタは重なり合う」は重なり合う - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • Brock, Everett編『虚構対象』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Fictional Objects 出版社/メーカー: OUP Oxford発売日: 2015/06/04メディア: Kindle版この商品を含むブログを見る https://global.oup.com/academic/product/fictional-objects-9780198735595?cc=jp&lang=en& ちょっと前に出た虚構対象に関する論文集。フィクショナルキャラクターなどに関する存在論・意味論の最新の話題が論じられている。 最初の3つの論文を読んだ。個人的にはもう少し美学・芸術学的な話題に結びつけたものが読みたいが*1、どれもレベルは高く、この領域の盛り上がりを感じさせる。 WILLIAM G. LYCAN: A Reconsidered Defense of Haecceitism Regarding Fictional Individuals ROBERT

    Brock, Everett編『虚構対象』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    medicineman
    medicineman 2016/03/03
    “3はホームズやワトソンなど、虚構の個体ではなく、魔女であること、ホビットであることなど、虚構の性質、虚構の種の意味論を包括的に扱うもの。”
  • 書評 イェスパー・ユール『しかめっ面にさせるゲームは成功する』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    しかめっ面にさせるゲームは成功する 悔しさをモチベーションに変えるゲームデザイン 一昔前の洋画のようなまったく意味のわからない邦題が付けられているが、原題はThe Art of Failure(失敗のアート)というもの。哲学(美学)的アプローチでゲーム研究に取り組む著作の翻訳だ。といっても原著は英語でよくあるような、一般書と研究書の中間くらいの雰囲気のもので、決して難解ということはない。美学というより、心理学や社会学のような記述的研究の雰囲気を感じる人もいるかもしれない。 興味がある人はまつながさんが詳細な紹介を書いているのでそちらを読むとよいでしょう。 9bit.99ing.net 書に書いてあること 書の結語の部分が書全体の主張の要約になっているのだが、この箇所の訳がちょっとあれなので自分なりの訳で引いてみる。 ある面では、私は「ただのゲームだよ」という言い回しを英語から追放した

    書評 イェスパー・ユール『しかめっ面にさせるゲームは成功する』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • Kendall Walton「ソウトライティング - 詩と音楽における」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    タイトルになっているthoughtwritingは訳せなかったのだけど、ウォルトンの造語にあたる。スピーチライティングのもじりだ。スピーチライティングが代筆だとすれば、代思とでもすべきかもしれない。 スピーチライター(代筆者)は、他の人が読みあげるための文章をつくる。スピーチライティングとは 、スピーチライターがそのために書いた文章のことだ。ソウトライター(代思者)は、他の人が自分の思考を表現するために使う文章をつくる。ソウトライティングとは、ソウトライターがそのために書いた文章のことだ。 ウォルトンはこの論文で、詩と音楽はソウトライティングだという話をしている。 In Other Shoes: Music, Metaphor, Empathy, Existence Walton, Kendall (2011/2015). Thoughtwriting—in Poetry and Musi

    Kendall Walton「ソウトライティング - 詩と音楽における」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • ウォルトンは感情の認知説をとっているのか? - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    フィクションのパラドックスとか、フィクション感情のパラドックスと呼ばれるパラドックスについて。 以下、チャールズはスライムにおそわれるホラー映画を見て、ぶるぶる震えているとしてほしい。 通常、このパラドックスはチャールズについて以下の3条件が成り立つように思われるが、両立しないというものだとされる。さらにウォルトンは2を認めており、感情についての認知説を取っているとされる。 ところが、実はウォルトンは『ごっこ遊びとしてのミメーシス』を書いた時点で、認知説的前提は取り下げているので、2をウォルトンに帰するのはまちがいである。 1. チャールズはスライムを怖がる。 2. xを怖がるためには、xが存在すると信じなければならない。 3. チャールズはスライムが存在すると信じていない。 この点はおそらくほとんどの人に誤解されている(日語文献でも英語文献でもほとんどはウォルトンを認知説を擁護している

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  • George Wilson「文学と映画の捉えにくい語り手」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    http://philpapers.org/rec/WILENI Wilson, George M. (2007). Elusive narrators in literature and film. Philosophical Studies 135 (1):73 - 88. 物語の語り手に関するもの。一応タイトルには映画も入っているが、文学の話がメインだった。 虚構の物語には、常に虚構の語り手がいるのか? これは文学論における古典的な問いだが、近年もそれなりに盛んに議論されている。 明確に虚構の語り手がいると言われるのは、キャラクターの一人称の文体のケース。例えば、ホームズシリーズは、ワトソンの一人称で語られる。この場合、現実の作者以外にワトソンという虚構の語り手がいることは認められてよいし、それを疑う人は特にいない。 問題は、三人称の文体で語り手を作中のキャラクターと同一視できないケ

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  • [relativism] James Andow「美的証言についての意味論的解決」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    http://philpapers.org/rec/ANDASS Andow, James (forthcoming). A Semantic Solution to the Problem with Aesthetic Testimony. Acta Analytica:1-8. 短かくまとまっていてなかなかよかった。 目次 1. 序 2. 意味論 3. まとめ 人は証言によって知識を伝える。Aはpと知っている。AはBにpと言う。Bはpを知る。証言による知識の伝達がなければ、われわれはほとんど何も知りえないだろう。 ところが、美的な事柄や倫理的な事柄についてはこれがうまくいかないことが知られている。「あの楽曲は素晴しいんだよ。僕は自分で聞いたことはないけれど、Aがそう言っていた」ということは、美的知識を保証しない。 この論文では、美的述語の意味論によって、この美的証言に関する現象を説明し

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  • Stefano Predelli「私は今ここにいない」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    http://philpapers.org/rec/PREIAN Predelli, Stefano (1998). I am not here now. Analysis 58 (2):107–115. 指標詞に関する標準的な理解では、「私は今ここにいない」は決して真になることがない文だとされる。「私」「今」「ここ」はそれぞれ発話者、発話の時間、発話の場所を意味するのだから。もしそれが真になることがあれば、私は発話の場所か発話の時間にいないことになる。 ところが、「私は今ここにいない」の使用が真であるケースがある。録音機や筆記の場合だ。例えば「私は今ここにいない」とメモに書き置きしておいた場合、それは真かもしれない。ということは、標準的な説明のうちのどこかの部分がまちがっている。 (a)英語の「私」「ここ」「今」という表現の意味特性[character]では、それらの表現の文脈cでの指示

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    medicineman
    medicineman 2015/05/18
    「時空の歪み」の哲学
  • Page「心から独立を明確化する」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    http://philpapers.org/rec/PAGMDS Page, Sam (2006). Mind-independence disambiguated: Separating the meat from the straw in the realism/anti-realism debate. Ratio 19 (3):321–335. 1. 序 2. 存在論的、因果的、構造的独立 3. 個体的独立 4. 反実在論と反個体的実在論 5. 誤解された反実在論 6. 結論 現実は心から独立したものか、それとも心に依存したものなのか。この論点は、実在論対反実在論の論争では中心的なものだ。ローティ、パトナム、グッドマンら、形而上学的反実在論の人々は、現実は心から独立したものではないという立場を擁護している。しかしどの意味で、「心から独立」と言っているのかは明確ではない。なので、心から

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  • James Harold「虚構世界の価値 - あるいはなぜ指輪物語を読むべきなのか」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    『指輪物語』は素晴しい文学作品ではないけれど、素晴しい虚構世界を作ったので素晴しいものなのだという話。 ある種の作品は、作品単体ではなく、それが作る虚構世界のために評価されるという話をしている。小ネタだけどなかなかおもしろかった。こういう特殊な鑑賞をどう特徴づけるかみたいなの大事ですね。 http://philpapers.org/rec/HARTVO-5 http://www.contempaesthetics.org/newvolume/pages/article.php?articleID=584 1. 序 2. 中心的ケース: ファンが愛する虚構世界 3. フィクション作品を道具的に価値づけること 4. フィクション作品を道具的に価値づけることは合理的でありえる Haroldが取り上げる中心的ケースは『指輪物語』、『スターウォーズ』、『スタートレック』、あるいはホームズシリーズなど

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  • Amie Thomasson「存在の問い」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    近年アミ・トマソンはカンタン存在論[easy ontlogy]と呼ばれる立場を唱えていて、精力的に擁護論文を書いている。いくつか読んだ。 http://philpapers.org/rec/THOEQ Thomasson, Amie L. (2008). Existence questions. Philosophical Studies 141 (1):63 - 78. 1. 指示と存在 2. 指示と適用条件 3. 存在条件への帰結 4. 存在論への帰結 5. 諸々の応答 基的なアイデア自体は彼女がずっと言っていたことだと思うが、何かの存在を認めることはものすごく簡単になされてよい。これは概念の適切な適用条件から存在を導くことを許す立場だ。例えば、カンタン存在論によれば、次のような「祝日」の存在を擁護する議論はまったく正当である。 11月3日は文化の日であり、日の法律「国民の祝日に関

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