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politicalとcommunicationに関するmicrotestoのブックマーク (4)

  • レジデント初期研修用資料 対話の論理と劇場の論理

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 立場の違いによって最適な議論手法は異なる 立場の強い側は対話的な、立場の弱い側は劇場的な議論手法が最善手 対話の論理は原因を人間に求める。「悪い人間は誰か」「どちらが悪なのか」が争点になる 劇場の論理は原因を構造に求める。問題は悪人が生じる「構造」であって、人間それ自体ではないと考える 対話の論理では「正義か悪か」が大切なのに対して、劇場の立場は「悪」であることを受け入れるところから議論が始まる 劇場論理を行使する者は、まず悪であることを容認して、その上で悪役を作らざるを得ないシナリオの問題点を指摘する 片方が対話の論理を取り、片方が劇場の論理を取った議論は全く噛み合わないか、泥仕合になる 相手を自分のフィールドに引きずり込むところから議論は

  • 空中キャンプ - ひとり占めはんたい

    僕の娘は七歳だ。彼女は、性格的に僕にはあまり似なかった。活発だし、頭も切れる。いずれは総理大臣になるのだという。それが彼女のおおきな目標である。七歳の僕は、そんな目標を持ったことがなかった。そもそも、七歳の僕に、なにかしらの目標などあったのだろうか。彼女はとてもキュートな子だが、総理大臣にはいささか不向きなのではないかと僕はおもう。 「びんぼうな人をなくすの」と、彼女はいった。「それが、きみの公約なんだね」と、僕は答えた。わるくない公約だとおもった。なによりわかりやすいところがいい。「ねえ、コウヤクってなに?」と、彼女は注意ぶかく訊いた。「約束だね。『わたしが総理大臣になったら、こうします』」「そうよ。あたしのコウヤク。びんぼうはんたい」。そして彼女はコーンスープをひとくち啜った。僕たちは、朝のテーブルに向かい合ってすわっていた。 「すごくお金もちの人がいて、とってもびんぼうな人もいる。

    microtesto
    microtesto 2007/01/26
    才能あるなぁ
  • コミュニティ探究の方向に差異はあるか - Arisanのノート

    年末に、matsuiismさんのこちらのエントリーを読み、ブックマークした。 http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20061230 それぞれ東京のコミュニティーセンターに集まる10代の若者たちと、福岡の朝鮮歌舞団の女性たちと朝鮮学校の生徒たちをとりあげた二テレビ・ドキュメンタリーを詳細に紹介し、感想と、両者の関連についての考えが書かれたエントリーである。 たいへん興味深かったので、読んで考えたことを少し書いてみたい。 matsuiismさんは、エントリーの最後にこう書かれている。 2つの番組を見て思ったのは、西東京の若者たちの「家庭」に対する複雑な屈折した思いが遠心的な方向へ、「街」への彷徨に向かっているとすれば、在日朝鮮人の若者たちの「祖国」に対する複雑な屈折した思いは求心的な方向へ、「民族的アイデンティティ」の確立へと向かっているのではないかということだ

    コミュニティ探究の方向に差異はあるか - Arisanのノート
  • 外国人を受け入れる平等社会の覚悟 / SAFETY JAPAN [浦嶋繁樹氏] / 日経BP社

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