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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (36)

  • 『ビヒモス』その1 - Arisanのノート

    ビヒモス―ナチズムの構造と実際 (1963年) 作者: フランツ・ノイマン,岡友孝,小野英祐,加藤栄一出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1963メディア: ?この商品を含むブログを見る ナチス研究の古典とされているだが、書かれたのは1941年。執筆時には独ソ戦も始まっておらず、何より、ユダヤ人に対するいわゆる「最終解決」、つまり絶滅政策というものも、まだ始まっていないか、少なくともまったく知られていなかった時期である(強制収容所の存在そのものは知られていたが)。 このため、書の中では、ドイツの市民(特に労働者階級)は、「宣伝とテロ」によって一時的にだまされたり沈黙を強いられているだけだという可能性が考えられ、「ヒトラーとドイツ人の間に楔を打ち込む」必要が述べられている。 また、ドイツという国は元来、ヨーロッパの中でも自然発生的なユダヤ人憎悪の少ない所であり、ナチスにとってユダヤ

    『ビヒモス』その1 - Arisanのノート
  • 克服すべきもの、それは - Arisanのノート

    ご心配、ご迷惑をおかけします。 当方の勝手で、コメント欄を凍結していますが、折を見てできるだけ早く元の状態に戻したいと考えています。 以下は、最近コメント欄でのやりとりなどを通して考えたところを、まとまりもなく書き留めたものです。 先日も書いたように、現行の市場経済、というよりも市場原理の熱心な支持者は、自分たちが信じる方法を「制限なく」拡大していくことが、人類のための最大の善である、と主張する。 そこまで断言する人は少ないだろうが、突き詰めて言えばそういうことになってくるのではないかと思う。 たしかに、市場経済の仕組みが人類に一定の救いをもたらしてきたことは、歴史的・経験的な事実である(そして、ただそれだけのことである)と思うから、この方向を信じる人は、「人類のため」という目的に向かって、この方向へ進んでもらえればいいわけである。 ただ自分で言葉を選んでおいてなんだが、ここで「人類」とい

    克服すべきもの、それは - Arisanのノート
    microtesto
    microtesto 2007/10/09
    結局の所厨先生の問題意識と重なり合っているように見える。
  • アエラの記事「棄てられるがん患者」を読んで - Arisanのノート

    普段、雑誌というものをあまり読まないのだが、これは表題の見出しが電車の中吊り広告にあるのを見て、すぐに買った。 記事の内容は、病院死を減らして「在宅死」の割合を増やすことを推進するという厚生労働省の方針転換により、末期のがん患者など死を目前にした人たちが、家に戻ってからの地域での支援の体制の整っていないままに退院を余儀なくされることが多くなり、各地で悲惨な事例も起きているという現状を伝えるもの。 たとえば余命一ヶ月と告げられたがん患者が、病院から支援先のリストを渡されて自分で電話をかけて在宅ホスピスの担い手を探したという話とか、モルヒネと栄養の点滴の装置の説明を受けていなかった患者の(70代)が自宅で点滴中に機械のトラブルに対処できずパニックになった例とか、ともかく退院後の体制作りが整っていない現状で、病院から出て行かざるをえない状況になり、ひどい事態が多発していることが書かれている。

    アエラの記事「棄てられるがん患者」を読んで - Arisanのノート
  • 『私的所有論』 - Arisanのノート

    形容する言葉が見つからないようなである。 好きの人には、「まずこれを読め」とすすめたい。そう言っても、おいそれと読み通せるような代物ではないのだが、とりあえず当たってみろとも言いたい。 を読む習慣があまりない人や、何かの事情で読めない、読みにくい人には、このに書いてあること、またこのを読んだことの意味をどう伝えればいいものか、かんがえてしまう。 そんなである。 私的所有論 作者: 立岩真也出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 1997/09/01メディア: 単行購入: 3人 クリック: 33回この商品を含むブログ (42件) を見る以下は、ひとつの角度から、書のごく限定された部分、側面だけを紹介する文章。 導入 1997年に出版された書から7年後に出された『自由の平等』というの冒頭で、立岩真也は自分の分配についての主張を『働ける人が働き、必要な人がとる』と簡潔に要約して

    『私的所有論』 - Arisanのノート
  • 『人道的介入』 - Arisanのノート

    ほかにも考察結果はあるが、ひとまずは以上で十分だろう。これだけでも十分に複雑である。だが、人道的介入を論ずるとき、なぜ私たちはこのように入り組んだ議論をし、つきつめて考え、短絡的でない結論を模索せねばならないのだろうか。 その最大の理由は、人道的介入への問いが圧倒的な迫力を秘めている分だけ落とし穴も大きいこと、したがって、十分に熟考しておこなわなければならないことである。さもなくば、何のために介入したのか分からなくなるおそれもある。いかにも、このように大切な事柄は、自己陶酔あるいは心情倫理への没頭からなされてもならないし、目前の問題さえ片づければよいといった対症療法であってもならない。(p191〜192) 人道的介入―正義の武力行使はあるか (岩波新書) 作者: 最上敏樹出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2001/10/19メディア: 新書購入: 4人 クリック: 61回この商品を含む

  • ダメなものはダメと言え - Arisanのノート

    最近、韓国に嫁いだ日人女性の苦労や頑張りの様子を描いたドキュメント風のテレビ番組をいくつか見た。 日とは文化や伝統が違うので、日人同士の結婚とはすごく違う苦労がある、というような内容である。 どうも見ていて、腹が立って仕方がないことがある。 それは、嫁いだ先の夫の家族、とくに母親などが、生まれてくる子どもが男か女かをたいへん気にして、男であると分かると、露骨に喜ぶという話が出てくることだ。 息子である夫も、それを当たり前のように受取ってるように見えるし、表面上は仕方のないことだろうがお嫁さん人もそれに従ってるように見える。 まあ、人たちのほんとの気持ちまでは分からないから立ち入れないが、ぼくは見ていて非常に感じが悪い。 ありきたりな言い方だが、生まれてくる命が、男か女かで、何の区別があるのかというのだ。 それは、そういう社会の伝統だから仕方ない、もしくは尊重すべきだといわれるかも

    ダメなものはダメと言え - Arisanのノート
    microtesto
    microtesto 2007/04/08
    みんなダメなものはダメと言ってるつもりなのが本当のところじゃないかな。善意ってのは一番楽な逃げ道なんだよね。誰もが僕は善意で言ってるのに…と呟く社会。ここに斬り込んでこその批判/批評ということなら同意
  • 働くことと生きること - Arisanのノート

    先日のエントリーで書いた『カネと暴力の系譜学』のはじめの部分に、次のような一節がある。 ずっと気になっていることなので、それについて少し整理して考えてみる。 では、カネを手に入れるためにはどのような方法があるだろうか。 原理的にいえば四つの方法がある。難しい話ではない。 一、 誰かからカネをもらう。 二、 みずから働いて稼ぐ。 三、 他人からカネを奪う。 四、 他人を働かせて、その上前をはねる。 最初の「カネをもらう」というのには、いろんなケースがある。たとえば、家族に扶養されていたり、生活保護をうけていたり、ヒモだったり、「パパ」がいたり、寄付や補助金をもらったり、といったケースだ。 問題はそのあとの三つである。じつはこれらは、よく見ると、社会の枠組みをくみたてている三つの柱にかかわっている。労働、国家、資だ。(p10) 生存・分配と所有・労働 こうして、以下このでは、現行の「社会の

    働くことと生きること - Arisanのノート
  • 『ナショナリズムという迷宮』 - Arisanのノート

    ナショナリズムという迷宮―ラスプーチンかく語りき 作者: 佐藤優,魚住昭出版社/メーカー: 朝日新聞社発売日: 2006/12メディア: 単行 クリック: 11回この商品を含むブログ (33件) を見る このは、魚住による佐藤へのインタビュー、もしくは問答のような形をとっている。 「歎異抄」とか古い哲学書、宗教書みたいな感じである。 クリスチャン、神学徒でもある佐藤の基的なスタンスは、次のイエスについての言及によく示されているといえるだろう。 国家や貨幣という人ならぬものに人間が押さえつけられることを彼は嫌いました。ユダヤ教の来の伝統でいう偶像だと。人間が人間のつくったものに仕えるというのは偶像崇拝で、最も悪いことだと。だから国家に究極価値をおいてはいけないんだと考えたんですね。何より大事なのは個々の関係性の積み重ねです。そのなかには神との関係もあります。関係性が「すべて」だという

    『ナショナリズムという迷宮』 - Arisanのノート
  • 『カネと暴力の系譜学』から - Arisanのノート

    暴力にもとづく国家と資による収奪という観点から、社会の構造と現状を捉えようとする意欲的な論考。 以下では、とくに印象深かったところだけに触れる。 カネと暴力の系譜学 (シリーズ・道徳の系譜) 作者: 萱野稔人出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2006/11/16メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 5人 クリック: 104回この商品を含むブログ (69件) を見る 書でとくに目を引くのは、国家と法との関係についての論述である。 ドゥルーズ=ガタリの国家論を継承しているといえる著者は、いわゆる契約論的な考え(国家の基礎を「人びとの支持や同意」に見出す)とはまったく異なり、国家の基礎(根拠)を圧倒的な暴力の不均衡に見出している。つまり、国家は圧倒的な力を持つがゆえにのみ、他の暴力を禁じ(取り締まり)、他を支配する。 しかし国家の暴力の特殊性は、たんにその力が圧倒的であるというこ

    『カネと暴力の系譜学』から - Arisanのノート
  • 『それでもボクはやってない』 - Arisanのノート

    周防正行監督の11年ぶりの新作は、痴漢行為の冤罪裁判を扱ったものだが、まさに「世界レベル」というしかない大変な傑作に仕上がっている。 ここ数年の、犯罪や裁判を扱った世界中の映画のなかでも、その完成度においてトップクラスに入る出来だろう。 この作品の土台にある、監督の社会に対する意識、感情というものははっきりしている。 それが端的に示されているのは、たとえば役所広司の演じるベテラン弁護士が、ある冤罪的な事件の被告の無実を勝ち取ろうとして挫折することになった若い弁護士を叱咤する場面である。 『われわれが相手にしているのは国家権力だぞ。そんなことぐらいでへこたれてて、勝てるわけがない』 そういうふうに言う。 つまり、警察や司法制度を含む国家権力、そしてその行政機構の歪んだあり方に対する批判と対決の意志を持つ人たちの姿が、強い共感をこめて描かれている。 だが、ここで批判的に語られている「国家権力」

    『それでもボクはやってない』 - Arisanのノート
  • 『労働ダンピング』を読んで - Arisanのノート

    話題になっているだが、あまり要約のようなことは書けないので、主に感想だけを書くことになると思う。 労働ダンピング―雇用の多様化の果てに (岩波新書) 作者: 中野麻美出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2006/10/20メディア: 新書購入: 5人 クリック: 201回この商品を含むブログ (70件) を見る 著者は、非正規雇用と正規雇用の双方の労働者が置かれている現状を、「労働の商取引化」とか「雇用の融解現象」という言葉で表現する。著者のいう「労働のダンピング」が、労働者全体の生活と権利、そして身心の健康や生命まで脅かしている現状への警鐘として、書は書かれている。 このには、その生々しい実例や、詳細な分析が書かれていて圧倒されるほどだ。 ここに引かれているような労働現場の実情というのは、ぼく自身にとっても身近なことなのだが、このように書かれているものを読んで、その実情のひどさが

  • 日比谷野音使用不許可の件につき - Arisanのノート

    すでに報道されている通り、東京都が、日比谷音楽堂で行われる予定の朝鮮総連の関係団体主催による集会の使用承認を取り消すということが起こった。 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070227k0000m040148000c.html 東京都は26日、在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関係団体が主催して来月3日に東京都千代田区の都立日比谷公園で予定していた在日朝鮮人への人権侵害をテーマとする集会の使用承認を取り消すよう管理者に指示した。管理者は同日、承認を取り消し、主催者に通知した。主催者は27日、使用取り消しの執行停止を求める仮処分を東京地裁に申請する。 これについては、地裁と高裁がともに、使用取り消し処分の効力を停止して公会堂の使用を認める決定を出し、都も最高裁への特別抗告までは考えていないため、予定通り3日に集会とデモが行われる見込みだそ

    日比谷野音使用不許可の件につき - Arisanのノート
    microtesto
    microtesto 2007/03/03
    判例、しかも判例百選に載るような有名なものに照らし合わせればこれは無理だろうというのはわかっていたはずだしねぇ。
  • 『NNNドキュメント07 孤独死・・・生活保護の闇』 - Arisanのノート

    日曜の深夜、表題の番組をみた。 Yahooテレビ欄に載った番組紹介の文章。 生活保護行政が抱える問題点を検証する。昨年、北九州市の市営住宅で男性が孤独死した。男性には生活保護の申請意思があったが、息子からの援助を促されるばかりで申請書さえ渡されなかった。北九州市はかつて生活保護受給率が全国有数だった歴史を持つが"適正化"により支給に慎重になった。その一方で、生活保護の不正受給がある"乱給"の自治体も存在する。不況の影響もあって国の社会保障関係費は膨らんでおり、申請書を渡さず受給率を低く抑える北九州市の"水際作戦"は全国のモデルになりつつあるという。 NNNのこのドキュメンタリーの枠では、以前にもこうした生活保護をめぐる行政の有り方を批判する番組を作ったことがあり、話題になった。 たしかに、生活保護については、財政難を理由に、なるべく受給させない方向にもっていこうとしている自治体が多いよう

    『NNNドキュメント07 孤独死・・・生活保護の闇』 - Arisanのノート
  • 運動や組織について幾つかのこと - Arisanのノート

    2月16日のエントリー『最近の総連等への弾圧的捜査について』のコメント欄から。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070216/p1 # もんも 『 野宿者の襲撃や総連から拉致されることを恐れるのは、あなたの大好であるはずの、女性や子供などの市井の弱者がもつ能的な防衛能ですよ。こっちを全然守らずして、特殊ケースである朝鮮マイノリティーや野宿者たちの権益ばっかり守るのはダブルスタンダードだといっているのですよ。わかんないんですか?』 (2007/02/19 23:53) (中略) こういった非営利的な地道な地域運動だって立派な弱者救済運動であるにもかかわらず、まったくないがしろにして、強教科書問題だのイラクだの朝鮮マイノリティーだのといった、きわめて”産業的”な弱者利権活動ばかり行ったり評価していたりするのですから、あなたのことを見て、なんかおかしいと感じない

    運動や組織について幾つかのこと - Arisanのノート
    microtesto
    microtesto 2007/02/22
    結局の所「手段が目的化」した組織は潰さないと危険なのだけれど、次に出てくる組織に対して偏見を持たない、ということが大事な気がするよ。/ コメ欄酷いなぁ。一時的にでもはてなユーザ限定にするとよいかも。
  • 最近の総連等への弾圧的捜査について - Arisanのノート

    長居の行政代執行やコメント欄のことやらがあって、なかなか書けなかったが、ずっと気にしていること。 六カ国協議が先ごろ一応の妥結を見たが、それを睨むかのように、このところ朝鮮総連や関連の施設、学校への警察による強制捜査が続いてきた。 近いところでは1月28日には滋賀、2月5日には札幌、そして2月6日には兵庫。 それぞれ「電磁的公正証書原不実記録容疑」(いわゆる「車庫飛ばし」)、「脱税容疑」、「税理士法違反容疑」により総連の関係者が逮捕されたことを理由として、総連部や商工会などが捜索を受けたのである。 http://news.www.infoseek.co.jp/kyodo/society/story/28kyodo2007012801000269/ http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20070205&j=0022&k=200702

    最近の総連等への弾圧的捜査について - Arisanのノート
    microtesto
    microtesto 2007/02/17
    これは非常に難しい問題。事件性は有るので、その範囲内で処罰するのならいいのだけど、公安活動を主目的とするのは少なくとも倫理上問題があるとは言えそう。しかし政権の人気取りになってるのかなこれ?
  • 最近のコメント欄から - Arisanのノート

    このところ、各エントリーのコメント欄に大量の匿名の書き込みが続いていて、すごく困ってます。 ほとんどは、「早く左翼教、文学教を脱して、あなたも現世教の信者に!」といった趣旨の内容で、「間に合ってます」という感じなんですが、いくつかすごく気になったコメントがありました。 それらについて、少し思ったことを書いてみます。 ひとつは、『06年最後のエントリーは、労働運動について考える』と題をつけた昨年12月31日のエントリーのコメント欄から。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20061231/p3 こんなふうに書いてあります。 さっきからさ。”イメージ”だの、”思う”だの あいまいな言葉ばかりつかってるけどさ・・・ 実際に働く人に接したことないの? 働く人たちの組織に接して彼らの意見を じかに肌に触れて感じたことないの? かれらの息遣い感じたこと無いわけ? 彼らの愚痴聞い

    最近のコメント欄から - Arisanのノート
    microtesto
    microtesto 2007/02/16
    観念を実体と分離してしか理解できないのは脳が不自由な証拠。
  • 軍隊化する日常と私 - Arisanのノート

    今日読んだ、長居での出来事についての文章のなかから、とりわけ印象深かったものをふたつ紹介し、自分の考えたことも書き添えます。 橘安純さんの手記(加筆中)。 http://robou.exblog.jp/5470673/ これは、なにもコメントできません。野宿の人のテントが撤去されるということの、現実がこういうことなのだと思う。 みんなそれが分かったうえで、苦渋の選択として、あの演劇による抗議・抵抗という道を選んだ。そういうことだったと思う。 次にミュージシャンのヒデヨヴィッチ上杉さんの、とりあえずの手記(格的な報告は、もう少し先になるそうです)。 http://blog.livedoor.jp/hideyo327/archives/50704879.html 冒頭のメールの一文を読んで、「やっぱり天王寺までしか行けなかったんだ」と思って、辛い気持ちになった。気力や体力が、そんなに残ってた

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  • 長居から戻って - Arisanのノート

    4日の夜8時ごろに長居公園に入り、5日の夕方までいた。 ニュースで伝えられてるように、行政代執行は行われ、野宿の人たちのテントは撤去された。 今回の代執行に対する抵抗・抗議は、テントのひとつの上に設営された舞台での、野宿者と若者たちによる演劇の上演という形で行われた。150人以上いたのではないかと思われる他の支援者の人たちは、その舞台の周囲を三重ぐらいに取り巻く円を作って座り込み、スクラムを組んで守ろうとしたのだ。 ひとつ書いておきたいことは、この形をとるということは、野宿の人たちが生活してきた他のテントが壊されていく様子を手出しせずに見守るということを意味し、野宿の人人や支援者にとっては苦渋の選択以外のなにものでもなかったはずだ、ということである。 それでも、あえてこの方法が選択されたのである。 それは、長居公園で、野宿の人たちと支援の若者たちとが長年積み重ねてきたコミュニティー形成の

    長居から戻って - Arisanのノート
  • 長居公園に行く前に - Arisanのノート

    というわけで、このあと長居公園に行こうと思ってるんですが、その前に思い出したことを書いておきます。 きのうこの件で橘安純さんのブログに言及したが、野宿生活者で詩を作ったりパフォーマンスもやっておられる橘さんの「箱男」というパフォーマンスを、二年ほど前だったか、上田假奈代さんの「ココルーム」で見たことがある。今思うと、このときは長居公園の野宿者の人たちも、ステージ上でダンスのパフォーマンスをしていたのだが、とくに印象的だったのは、橘さんと一緒に舞台に上がっていた男性のことだ。 この人は、橘さんと同じ野宿生活者だとのことだったが、ごく最近まで、たぶん非常勤だと思うが、大阪市の行政の仕事をしており、橘さんたち野宿者が公園などで寝泊りするのを管理したり取り締まる立場にあったそうだ。それが、急に解雇ということになり、すぐに生活に困って自分自身が野宿生活をすることになった。 明日の行政代執行でも、実際

    長居公園に行く前に - Arisanのノート
  • 市野川・ルソー・ニーチェをめぐって、若干のこと - Arisanのノート

    先日も書いたように、市野川容孝著『社会』(岩波書店)のなかに、ルソーのことが論じられている章があるのだが、この章の後半では、その関連でニーチェが論じられている。 ルソーとニーチェが並んで語られている理由は、ルソーが自由や平等の実現される理想的な社会を構想しながら、国家に命を捧げることの強制や宗教的排他主義といった『過剰な統合を迫る不寛容な命題』(p119)に行き着いてしまったという矛盾と、ニーチェがやはり自由や「生の肯定」ということを追求しながら、ファシズムや優生思想に直結するような激烈な反社会的言論を書き連ねることになったという矛盾とが、同じ根源に発していると考えられているためである。 その「根源」とはなにかというと、ぼくが読みとれたところでは、じつは両者の内部にニーチェが「ルサンチマン」と呼び、またルソーが(悪しき)旧来の「社会」の名において批判したような情動が存在していたことだと、著

    市野川・ルソー・ニーチェをめぐって、若干のこと - Arisanのノート