吉本隆明といえば、経済学としてよりも思想として、文学として読む『資本論』といったものをすぐさま思い浮かべるし、それがマルクスへ、『資本論』の真の姿への近道だろうことを、私はそれを読む前から「知っていたような気がする」。経済学を世界認識の方法として意識できているひとがどれほどいるのかわからないが、吉本が語ることを、すでに知っているものとして受け止めるようになって、ずいぶんと長い年月が流れてしまった。 この講演にある痛々しさは、吉本が老いたことが理由ではない。『共同幻想論』『心的現象論』といったマルクス、フロイトの二項を、『言語にとって美とはなにか』によって統合する、それが<芸術言語論>の主旨だったが、そうしてただひとつの道を歩んできただけだと語る吉本は、本当に、敗戦直後の、虚無を抱いた青年だった吉本に還ろうとしているようにみえた。彼の『伊勢物語論』が映し出されたとき、その出発地点こそが到達地