責任と正義―リベラリズムの居場所 作者: 北田暁大出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2003/10メディア: 単行本 クリック: 18回この商品を含むブログ (81件) を見るこの本の書評論文「『責任と正義』の論理」がもう少ししたら出る『書評ソシオロゴス』の2号に掲載されます。昨日校正済み原稿を提出したので、その記念に、この原稿の元になった合評会報告を以下に載せておきます。私がD2のときのものです(いまD5(泣))。2003年12月18日に、東大社会学研究室の言語研究会とロールズ研究会の共催で開いた著者臨席の合評会での報告です。なお、上記書評論文の内容は基本的に下記報告に基づいていますが、個々の論点の評価も含めた内容は同じではありませんし、そもそも論文の方は400字詰めで140枚もあります。あと、自分の未熟さについての自覚が口の悪さとして表れていますが、未熟な奴めと笑っていただければ幸
嗤う日本の「ナショナリズム」 北田暁大「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2005/02)ISBN:4140910240。60年代から現代まで、連合赤軍から2ちゃんねるまでを、「世界と自己の関係性を測定する行為としての「反証」を歴史的に振り返」っている。あとがきにも書いているが、論理の正当化のために、あまりに限られた点を繋ぐという、「有徴的な素材を選択してしまった」と「反省」されているように、あまりに軽快に物語が語られすぎていると、思う人は多いかもしれない。 本書における区分は以下のようになっている。 ①60年代〜70年代前半 自己否定から総括へ 連合赤軍 世界と自己、主体との関係を再帰的に問う、という近代人であることの要件を、極限まで突き詰めた連合赤軍の「総括」 ②70年代なかば〜80年代初頭 消費社会アイロニズム=(60年代への)抵抗としての無反省 コピーライターの思想 性急な反省を迫る
楽しみにしていた「限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学」宮台真司 北田暁大 ISBN:490246506X、早速読んでみた。大変おもしろい内容になっている。特に後半の「人間でありつづけるとは?」は、宮台、北田の世代論争も含めて、スリルあるやり取りが行われている。 第一の層 「動物」・・・環境管理のテクノロジーによって与えられる動物的生に充足する人たち 宮台 東浩紀「動物化するポストモダン」(2001)ISBN:4061495755「動物化する人間」・・・そこではもはや、近代の過剰流動性ががもたらす欠落体験が、埋め合わせとしての「人間」や「全体」−総じて物語−を希求させる、というふうに展開しません。 第二の層 「エリート」・・・環境管理的なシステムそのものに懐疑の目を差し向ける人たち 宮台 過剰流動的で万物が入れ替え可能な社会。したがって、そこにいるだけで自分の輪郭も位置もわから
「政治哲学の根本問題は、苟も何らかの国家がなければならないのかどうかにあり、この問題は国家がいかに組織されるべきかの問題に先行する」とロバート・ノージックは言った。それは、国家なるものの存在を与件としたうえで、その組織の仕方や機能のあり方を検討する政治哲学への異議申し立て、政治哲学の「心理学化」「社会学化」に対する警鐘であったといえる。 現実の国家状態を前提としつつ、その機能を抽出し、機能の円滑な実現を目指したり、国家をとり巻く環境と照らしあわせることによって、「よりましな」国家のあり方を模索したりするタイプの国家論。ノージックは、そうした国家論が見えにくくしている根本問題を掘り下げ、独自のリバタリアニズムを構築していった。このノージックの方法論的なラディカリズムは今なお理論的な魅力を失ってはいない。 しかし、ノージックの問題提起から三十年たった、私たちをとり巻く言説環境において、国家は奇
ジュンク堂の池袋本店だけでなく新宿店でもトークセッションが開催されるようになったようで、本日開催された萱野稔人氏×北田暁大氏トークセッション「権力と正義」(萱野稔人氏『権力の読みかた―状況と理論』出版記念)に行ってきました。 ※要注:以下のものは、私が見聞きして印象に残ったことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。 両者の国家論のスタンスについて 北田氏は『責任と正義』で「正義・公正(Justice)」の観点から国家の問題を論じた。 萱野氏は『国家とはなにか』で「暴力」の観点から国家論を展開。 簡単に国家はこうであるべきという「べき論」に行くのではなく、国家の機能分析の議論を展開している。 紀伊国屋書店 ブックレビュー [社会・思想]『国家とはなにか』萱野稔人 「ありそうでなかった独自の国家論」北田暁大 http://www.kinokuniya.co.j
最近、僕が興味ある現象はネットのナショナリズム化なんですよね…。 それで割合そのあたりの定評があるかな…ということで読んでみました。 読んでみると、意外なほどつまらない(笑)。というより、リアリティがないんですよね…。問題提起は2chで起きている現象なのですが、作品中で延々と続く1980年代のサブカルの話がついていけない(笑)。 東浩紀がこの本についてブログで「この本は1980年代文化論だ」と主張していましたが、僕達の世代から見ると全くその通り…。いや、今の2chに巣食うアイロニカル性にたどり着くための歴史的経緯を示したいというのは分かるんですけどね…少しは大学生の年代の読者の事を考えてくれよ…。 宮台とかも同様の印象を受けるんですが、「歴史的経緯が大事だ」とか言う根拠はわかるんですが、自分達の若い頃のサブカルをみんなも知っているものとしてバンバン出して平気な顔をしているのはやめていただき
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
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