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考察に関するmn_krのブックマーク (21)

  • 引用 - イノセンス関連情報まとめ

    フリーティケットシアター全サービス終了 誠に勝手ながら、「フリーティケットシアター」のサービス提供を 2016年3月31日をもちまして終了させていただきました。 これまで長らくご愛顧を賜り、誠にありがとうございました。 http://www.freett.com/

    mn_kr
    mn_kr 2009/01/04
    “ダイアログっていうものをドラマに従属させる(→説明的なものになってしまう)んじゃなくて、映画のディテールの一部にしたかった”|シーザーを理解するためにシーザーである必要はない(直接的/説明的理解)
  • テレビ番組の低俗化に関する一考察

    最近のテレビは面白くない・テレビ番組の低俗化が一層進んでいる・民放は視聴者を馬鹿にしたような番組しか作らない・最近の若い人たちはもうテレビは見ない、などの声は何年も前から聞く。その割になぜテレビ局のビジネスモデルが破綻しないのか、なぜ民放のプロデューサーたちが高給をもらい続けることができるのかが私には不思議でしょうがないが、そこはあまりにも奥が深い話なのでひとまず置いておいて、まずは「(視聴者が必ずしも望んでいないのに)なぜテレビ番組の低俗化が進んでしまうのか?」とう部分にフォーカスを当てて、一つづつ疑問を解消していきたいと思う。 私は「なぜテレビ番組の低俗化が進んでしまうのか?」という疑問に対する答えは、マクドナルドに代表される「ジャンクフード・ビジネスモデル」にあると思う。「ジャンクフード・ビジネスモデル」とは、慢性的な料不足にあった原始の時代から人間のDNAに刻み込まれた「とりあえ

  • 肥大化する『Firefox』に懸念の声(1) | WIRED VISION

    肥大化する『Firefox』に懸念の声(1) 2007年5月24日 IT コメント: トラックバック (0) Scott Gilbertson, Michael Calore 2007年05月24日 5年前、オープンソース・ブラウザー界に華々しいデビューを飾ったベータ版の『Firefox』は、若きエルビス・プレスリーのように、スリムでセクシーで危険な存在だった。 それ以来、多くのユーザーを獲得してきたFirefoxは、開発計画の基路線をブラウザーの進化に定め、米Microsoft社の『Internet Explorer』(IE)によるブラウザー市場の事実上の独占状態を切り崩した。しかし、2007年夏に新バージョン『Firefox 3.0』のリリースを控えたこの「IEキラー」は、大成功してぶくぶくと太ったプレスリーのように、不健康な変身を遂げようとしている。筋金入りのファンからしぶしぶ批判

  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
  • 2007-04-01

    私は今ちと疲れているらしく、文章を要約する力が著しく衰えている (;´Д`)ノ。ご容赦されたし。 1 悪はつるむ 以下メモする。 「児童ポルノアニメの取り締りには新法を作るべき」野田聖子議員 ユニセフ、ECPATらがシンポジウムhttp://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2007/03/30/15252.htmlユニセフ協会〔カマヤン注;ユニセフを名乗り寄付金をピンハネする財団法人。つまり天下り団体。国連ユニセフとは別組織。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20070102#1167667799 安倍晋三の親友であるアグネス・チャンの資金源であり権力源泉http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20070329#1175103457。〕、ECPAT/ストップ子供買春の会〔矯風会。警察子飼い組織

    2007-04-01
  • なぜ石原を支持しちゃうオバサンがいるのか(もしくは左派に関する考察) - kmizusawaの日記

    田中秀征「ミーハーの好き嫌いっていうのはうんと当たる」 - 一人でお茶をを読んで考えたこと。というより以前から思っていたこと(以前にも似たようなこと書いたかも)。左派(右派にもいるが)のダメなところのひとつは、自分と同じ考えを持たない人たち、自分と違う価値観にしたがっている人たちの「センス」を馬鹿にしまくる(自覚はないのかもしれないが)ことだと思う。「石原を支持するやつはダメだ」ってなことをすぐに言っちゃう。時には石原人を批判するより楽しげにそう言っちゃう。「石原的なものはなぜ危ないのか」と説いてるはずが(説いてないわけじゃないんだが)「石原の危険性がわからないやつは云々」になってしまう。主義主張とか考え方、物事の進め方のまずさ、その立場にある者としてどうかの指摘をしていたはずが往々にして、「そういう主張をする」人の人格とか人としてのセンスがどうこうという話になってしまう。石原個人に対し

  • ITmedia ライフスタイル:日本人はなぜオタクとなり得たか (1/3)

    いつの時代も秋葉原という街は、マニアの聖地という数奇な運命を背負っているようだ。戦前にはNHKが、戦後には民放ラジオ局が開局し、ラジオブームが到来した。しかし当時のラジオとは、安価に流通させるために組み立てキットが主流だったため、普通の人が組み立てるのは難しかった。 そこで当時の学生が、ラジオのキットを組み立てて販売するというアルバイトを始めたところ大当たりしたというのが、「秋葉原電気街」の発祥であったという。それまでは電線を始めとする電化部材を求める業者の街だった秋葉原は、一般人へ広く門戸を開くこととなる。 その後、三種の神器と言われたテレビ洗濯機・冷蔵庫の街となって飛躍的な進歩を遂げながら、その裏ではスキルのある者を対象としたオーディオパーツ、そしてマイコンキットの街として、多くのマニアが集まることとなる。 筆者自身の過去には、いわゆる「マイコン少年」の時代はない。九州の片田舎にあっ

    ITmedia ライフスタイル:日本人はなぜオタクとなり得たか (1/3)
  • 「涼宮ハルヒの憂鬱」の小説がテレビ未放送の地域で完売という不思議 - 愚仮面

    あうあう、なんだか更新が出来ねえズラ。GWになれば…GWになればなんとかなる…('A`) それで「涼宮ハルヒの憂」なんですが、今日「よつばと!」の5巻を買いに屋へ行ったついでに見たら、見事小説が売り切れてましたな。 たまたまその屋で無かっただけかな?と別な屋にも寄ってみたのですが、ここでも「溜息」「退屈」なんかは数冊残って新刊に近づくにつれ、冊数が増えてましたが、「憂」だけは売り切れでした。 これが関東とか、ハルヒの放送されてる地域なら「まあ旬のものだしねー」で済むのですが、問題は、僕の地元で放送されてないってことなんですよね。 友人から「ハルヒはここでも売れてるよ」なんて話を聞いて、「えー、だってハルヒは隣の県まで行かないと見れないじゃん。なんで人気が出んのよ」と半信半疑だったのですが、実際の状況を見て驚きました。 さて、ここで何時ものように「うちの地元でハルヒが売れる理由」を

    「涼宮ハルヒの憂鬱」の小説がテレビ未放送の地域で完売という不思議 - 愚仮面
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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  • critical angle: #214

  • 榊原英輔の哲学あれこれ 〜トップページ〜

    榊原英輔の哲学あれこれ 〜トップページ〜 新着コンテンツ 08年3月31日 英語論文 CONVENTIONS AND FAILURE OF COMMUNICATION In addition to that, we cannot say that the conversation failed because Betty did not appropriately follow the principles of charity in this case. This is because even the ideal hearer could not take into consideration the information which would be given on September 2nd on September 1st, when Betty made a phone c

  • 日本のSNS利用はもう限界なのか

    SNS(ソーシャルネットワーキングサイト/サービス)のユーザー加入数が頭打ちになってきており、また、その利用時間も減少気味であるという。mixiなど2004年初めから日でも開始されたSNSだが、2006年をピークにその利用は峠を越してしまったのだろうか。 つながり重視の日SNS 海外の研究者と共著でSNSに対する考察を書いている。日韓国、米国でSNSというサービスが社会的にどのようにとらえられ、またユーザーはどのような利用行動をとっているのか、各国で異なるSNSサービスに求められる特徴とは何か、といった議論をしている。 それぞれ手元にあるデータや、対象とするSNSの仕様そのものが異なっているため、3カ国(論文では日韓2カ国の比較が中心となる予定)の完全な比較は難しい。だが、ほかの著者らとのやり取りを通じて感じているのは(きわめて粗っぽい仮説だが)、日におけるSNSは人と人の「つ

    日本のSNS利用はもう限界なのか
  • 「動物」「エリート」「ヘタレ」

    現代社会は多様性が増している。だから社会と自己の関わり、つまりアイデンティティの確立が難しく、自我同一性の拡散などといった事態が生じる。 一見もっともらしいが、当にそうであろうか。 宮台氏などは「社会は流動化」しているという。これならわかる。アメリカ型自由経済により、資産や労働力や物流など、様々なものの「価値」が流動化している。それはグローバル化し、いまや中国をも飲み込もうとしている。株などでは投資判断として流動性というものを考慮に入れる場合がある。大型株・小型株という奴だ。流動性は高ければ高いほどよい。 こういったものの価値は「交換原則」によるものの価値だ。中沢新一氏の「贈与/交換」論でいうなら「交換」は主観的な曖昧なものを排除する傾向がある。だからこそ「当の価値」に近いという考え方だ。流動性が高ければ交換される回数が増え、主観などの曖昧なノイズが薄まるから流動性は高い方がよいのだ。

  • 絶叫機械+絶望中止 - マンガ進化論 序章

    喫茶店にて。 麻草「森川ジョージをもっと評価しようぜ!だって『はじめの一歩』がすげえんだよ、最近」 友人「へえ」 麻草「まず沢村VS間柴ね、ここで描画に変化が出た。カミソリ、皮一枚、弾丸…そういう比喩表現をそのまま絵にしちゃうんだ、そこの描線が優れていてね、今週のマガジンでは一歩と間柴がスパーをするんだけど、鋭いジャブで一歩のヘッドギアがゼリーみたいにはじけるんだよ、でも次のコマでは元に戻ってる、つまり表現のレベルでファンタジーバトルに近い描写をしてるんだ。ファンタジーバトルが好きな、今の読者のニーズに合わせてるってわけ。もちろん前から必殺技のあるボクシングマンガではあったんだけど、それが描画に及んだってのが革新的なわけよ」 友人「ふうん」 麻草「他にも後輩の板垣って奴が超動体視力の持ち主でね、相手が止まって見えるんだ、それを数十話の中で伏線をはって、丹念に描く!やってることは地味なんだけ

    絶叫機械+絶望中止 - マンガ進化論 序章
  • 集団主義的な自己責任 - 狂童日報

    長らく「日人は集団主義」だと言われてきた。会社も学校も「個人化」しているといわれる現在、これが変わったのだろうか?繰り返すように、日の労働・経済政策に大きな発言力を持っている某社長は「過労死は自己管理の問題」とまで言い放っている。この発言は大きく非難されているが、今でもこの社長の社会的地位に全く影響が及んでいないように、非難の力は圧倒的に弱い。そう考えると、もう日的集団主義は死んでしまったのだろうか。 しかし、私のみるところ全く変わっていない。某社長など財界人の発言を聞いていると、いろいろ言っているが要するに「甘えて楽するんじゃない。もっと競争社会の中で苦労しろ」という以上のことを言っていないような気がする。つまり、「苦労して働いていないやつがいるなんてけしからん」というわけである。これが個人主義の社会だったら、人がどう働くかは個人の問題で良いも悪いもない。ヨーロッパで失業率が高い理

    集団主義的な自己責任 - 狂童日報
  • Mind Clip ニコニコ動画がYouTubeに嫌われた本当の理由。

    このエントリーを見てはじめて知ったが http://shi3z.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_02f3.html ニコニコ動画ってsinvieがベースになっていたんだね。私の中で全てがつながった気がする。 ちょうど1年位前に名古屋からsynvie開発者の山さんが上京されて直接、話を聞く機会があった。あの当時、ちょうどYouTubeがブレイクし始めており、類似の技術の売込みが多々合った状況でsynvieは非常に異色だったと思う。どの技術も動画変換の品質、UIの優秀さをアピールしていたがsynvieは違った。 動画へ突っ込みを入れる機能が訴求ポイントであり、映像の一部分にタギングできる機能もあった。映像そのものよりもテキストデータが重要であると言わんばかりのサービスだった。 これはすごいと直感した。映像にメターデータを紐付けることで検索に対する効果を

  • 着うたはCDシングルの後継 その2 - 丸山茂雄の音楽予報

    最近ウダウダ考えていたことがまとまってきたので、長いのですが昨日まとめて書きました。今日は昨日の続きです。 私はCDシングルが携帯の「着うた」に移行してしまっている、と断定しちゃっています。こんなことはまだ世の中では誰も言っていませんから、当かどうかはわかりません。ただ私は「そうなんじゃないか?」と思っています。 「着うた」は「着うた」に過ぎない。CDシングルの代わりになるとしたら「着うたフル」だろう、というのが一般的な考え方だとは思います。「着うたフル」を必要とするのは、今の一般的な曲の長さが4分以上、あるいは5分を超えるものがあるからです。 60年代、70年代前半の曲はみんな2分30秒ぐらいのものでした。何で長くなったのかといえば、曲を作るクリエーターが「何とか新しいものを作りたい。他人の作品と差別化したい」と思ったからでしょう。あるいはドーナツ盤では曲が長いと音がひずむけれど、CD

    着うたはCDシングルの後継 その2 - 丸山茂雄の音楽予報
  • 3年後Youtubeはまだそこにあるだろうか

    グルメなタダ飯いの戯れ言である。 Youtubeの登場はひとつのエポックメイキングな出来事だった。これによりウェブに動画をアップロードすることが非常に簡単になり、一気にウェブ上を流通する動画コンテンツの量が増加した。また、Youtubeが提供するユーザーインターフェースの各所や外部ブログへの対応もシンプルだが使いやすく強力だ。 国内では、個人による動画コンテンツのアップロードといえば、アップローダーを通じて細々とやりとりされるものであったか、P2Pネットワークを通じてのやりとりという房事的な行為であった。それが、Youtubeの登場により、品質・サイズ・長さの制約はあるにしても、誰もが簡単に手持ちの動画コンテンツをアップロードし公開することが可能になった。その結果、Youtubeはオンラインに存在する誰もが利用できるビデオライブラリーとなった。ただしそこで流通している動画コンテンツの内実

    3年後Youtubeはまだそこにあるだろうか
  • ITmedia +D LifeStyle:ネットから長文が消えたいくつかの理由 (1/3)

    連載でお送りしているコラムは、毎回文字数にして4000字から5000字程度である。ネットに掲載されている記事の中では比較的長文の部類に入ると思われるが、雑誌の感覚ならばだいたい2見開きぐらいの分量だろうか。のレベルからすれば、この程度は全然長文とは言えないわけだが、感覚的にはずいぶん長く感じられる方も多いことだろう。 わかってるなら短くしろよと思われるかもしれないが、それがなかなかできない。わかりやすくするためにはたとえ話も必要だし、少しはオモシロオカシイ事も書きたいし、そうこうしているうちにこの分量になっちゃうわけである。毎回毎回お付き合いいただいて、申し訳ない。 さて、ネットの中の流れを見てみると、もはやコンテンツは文章だけではなく、絵や動画もかなり多くなってきた。WWWの可能性を語っていたその昔は、文字情報だけでなく図版や音楽、さらには動画もと言われて来たわけだが、ようやくそれが

    ITmedia +D LifeStyle:ネットから長文が消えたいくつかの理由 (1/3)
  • 「あちら側」にハミ出すアイデンティティ - アンカテ

    ウェブ人間論 (新潮新書) このマラソン対談の中で、二人の問題意識は時に重なり時にズレているが、問題意識が重なっている所は、「ウェブ進化論」の続編あるいは解説編として普通に読めた。 しかし、私にとって面白かったのは、むしろ問題意識のズレが露になっている部分で、自分自身にとって実に意外なことに、そういう場面において私は平野さんの方に共感しつつ、それが梅田さんに伝わっていないもどかしさを感じながら読んだ。 梅田さんは、「ネットに住む」という表現で、自分の日常生活を紹介している。また、ブログをネット上に放った「分身」と表現して、多忙でオフラインの状態が続くと、「分身」に何が起こっているか気になると言っている。 私が「ズレ」を感じたのは、その「分身」のリアリティ、あるいは、そこに投影したアイデンティティのようなものが、一つの実体を持つという可能性についてだ。 梅田さんにとって「分身」はあくまで「分