タグ

デリダに関するmn_krのブックマーク (8)

  • 鈴村智久の研究室 ジャック・デリダ『雄羊』

    ちくま学芸文庫 雄羊 [原書名:B´ELIERS〈Derrida, Jacques〉 ] ISBN:9784480090201 (4480090207) 206p 15cm(A6) 筑摩書房 (2006-11-10出版) デリダ,ジャック【著】〈Derrida,Jacques〉・林 好雄【訳】 [文庫 判] NDC分類:135.5 販売価:\1,050(税込) (体価:\1,000) 2003年、ハイデルベルク大学におけるハンス=ゲオルク・ガダマー記念講演。 1981年、デリダと現代哲学の泰斗ガダマーの最初の出会いは、表面上不首尾に終ったように見えたが、実は当の対話、もはや途切れることのない対話がそのとき始まったことを示す。 また、もう一人の友であるパウル・ツェランの『息の転回』所収の詩「雄羊」の読解を通じて、詩こそが「真の対話」であり、他者との「出会いの秘密」であることを明らかにする

    mn_kr
    mn_kr 2008/03/28
    人間の死とその度ごとの「一つの世界の終焉」について
  • 浅田彰【アドルノ/デリダ】

    同時多発テロから間もない昨年9月22日、フランクフルトでジャック・デリダにアドルノ賞が授与され、このたびその時の記念講演が公刊された*[1]。言うまでもなくアドルノはフランクフルト学派第一世代の代表者であり、その名を冠した賞は第二世代のユルゲン・ハバーマスらにも与えられているが、受賞者は必ずしもドイツ人ばかりではなく、ピエール・ブーレーズ(音楽批評家としてのアドルノが高く評価していた)やジャン=リュック・ゴダール*[2]らも含まれている。そのなかでも、ロゴスの外部を否定しつつロゴス中心主義を批判するデリダの脱構築が、理性によって理性を批判するアドルノの批判理論に通ずる面をもつことを考えれば、デリダこそまさしくこの賞にふさわしいと言うべきだろう。 現に、記念講演でデリダはアドルノへの「負債」を明白に認める。その上で、その錯綜した関係の歴史を説き明かすには少なくとも七章からなる大著が必要だろう

    mn_kr
    mn_kr 2008/03/24
    独仏哲学者の関係について。
  • デリダの部屋

    参考文献 1. デリダ個人の単行, およびそれに準ずるもの 2. デリダのテクストを含む論文集など 3. デリダや脱構築が多少の差はあれ議論の対象となっている 関連サイト

  • https://www.hirokiazuma.com/texts/ecriture.html

  • 哲学クロニクル

    mn_kr
    mn_kr 2008/03/24
    9.11について。或いは「不可能な出来事」について。
  • 未來社

    追憶の政治哲学 ベンヤミンの歴史的唯物論 内村博信 著 ベンヤミンは1930年代の亡命期、パリのシュルレアリストたちと関係を築きながら、『パサージュ論』を構想し、複製技術論、ボードレール論、「歴史の概念について」などの作品を遺している。フロイトとマルクスの理論を結びつけ、映画のモンタージュの技法と無意識、近代の商品経済と「物神」との関係を探求し、「追憶」という概念をつうじてユダヤ教のメシアの理論を歴史の概念に適用しつつ「歴史的唯物論」を展開するベンヤミン思想を問う。 詩的原理の再構築 萩原朔太郎と吉隆明を超えて 野沢啓 著 萩原朔太郎『詩の原理』と吉隆明『言語にとって美とはなにか』という近代詩以降の二大理論書を徹底的に読み解き、その理論的問題点を剔出し、言語隠喩論的立場から根底的な批判をおこなう。吉表出論の虚妄性を暴露し、その意識言語論的な意識の優位性でなく、詩的言語における言語の隠

  • 弁護士日記

  • 斉藤慶典『デリダ』 - charisの美学日誌

    [読書] 斉藤慶典『デリダ − なぜ「脱-構築」は正義なのか』(NHK出版) 斉藤氏の新著が出た。デリダについては、すでに高橋哲哉氏の優れた解説書があるが(『デリダ−脱構築』講談社 1998)、書の特徴は、「脱構築」と正義との一体性に焦点を絞っている点にある。やや重い文体ながら、粘り強い思索によってジリジリと対象に肉薄していく斉藤氏ならではの好著といえよう。プラトン以来の「同一性の形而上学」を批判するデリダの「脱構築」は、際限のない相対主義に導くものだと批判されることがある。だが斉藤氏によれば、そうではない。斉藤氏は、デリダの初期の「記号」「痕跡」「エクリチュール」といった概念にこだわることによって、それが後期デリダの正義論を開花させたことを明らかにする。 デリダによれば、世界は「表現されたもの」「現象」「痕跡」であり、広義の「記号」あるいは「テクスト」である。世界がテクストであるだけな

    斉藤慶典『デリダ』 - charisの美学日誌
  • 1