1988年は「メディオロジー」の実質的な生誕の年である。この年、ダニエル・ブーニュー教授は、自身が教鞭を執るグルノーブル・スタンダール大学に、レジス・ドゥブレを招聘してメディオロジーのセミナーを組織する。1988-89年度のこのセミナーは、同大学のコミュニケーション科学専攻内で開催された。メディオロジーが最初に大学に出会った土地、そこは、ベルナール・ミエージュをリーダーとする、マルクス主義/フランクフルト学派の影響下にある実証主義的な情報・コミュニケーション科学の一派の中心地であった。このことは、逸話の範囲を越えないにしても決して無意味な光景ではないはずである。 翌年度、ブーニューとドゥブレは、パリの国際哲学院でメディオロジーの共同セミナーを企画する。メディオロジーがより広い形で公になるきっかけとなった。コミュニケーション科学から哲学へ?そこにはどのような関係があるのだろうか。これは、す
多くの書き手が同じ経験をしていると思うのですが、この一月ほど、例のグーグル和解問題について各出版社より立て続けに書面が送られてきています。そのいずれもが、「今回のグーグルのやりかたは承服しがたいが参加するほかない」という意見になっていて、なるほどこれがアーキテクチャの権力ってやつか、とかぼんやり思っていたら、講談社より名指して「あなたの著書がスキャン対象に入っています」と通知が来てしまいました。 具体的な書名があがると興味のレベルもいちだんとあがるもので、あらためてもろもろ調べてみましたが、たぶんぼくは和解拒否の申し立てはしません。 というわけで、『ゲーム的リアリズムの誕生』の(最大)20%は、そのうちグーグルで無償で閲覧できるようになる予定です。この本、当然日本では市販中なのですが(このあいだ増刷したばかり)、アメリカ国内では普通は手に入らないので「品切れ」扱いとされ、公共の福祉に資する
「 公式サイト Bienvenue sur le site de Régis Debray 」 メディア圏について レジス・ドブレの提唱している「メディオロジー」に注目している。 著作集は今後も読み進める予定だが、何故私が彼に関心を持ったのかを記しておく。 まず、ドブレには明瞭な「思想体系」がないからだ。 いわば、彼の思想は逃走線(ドゥルーズ&ガタリ)であり、完全な遊牧型の利便的ツールである。 更に、面白いことに、彼がカトリック教会について積極的に言及していることもあげられる。 ドブレのメディオロジーであるが、これは実はドゥルーズ&ガタリが『千のプラトー』で述べていたリゾーム論、或いはノマドロジーと「同じ」である。 ただ、問題意識がより鋭敏化されているので、ポスト・ドゥルーズ時代の思想家と規定できるだろう。 肝心のドブレの理論だが、解り易いように上にモデル図を作成しておいた。 A~Eは、「
2007.05.05の私のブログに、ブログというメディアの特徴についての記述がある。 極めて本質的なことが書かれているので、採録する。 ☆ マクルーハン「メディアの法則」(NTT出版)の訳者(中澤豊氏)あとがきから引用する。 マクルーハンは、演繹とか機能といった論理学の用語は避け、「概念(コンセプト)から知覚内容(パーセプト)へ」という彼らしい表現で、抽象的な「思惟」よりも、「観察」の重要性を説いている。そして、観察をより確かなものとするため、知覚の偏向(バイアス)への注意も怠らない。 マクルーハンのアフォリスティック(箴言集・金言集的)な記述スタイルは、フランシスベーコンに倣った、理論的知識の体系が押し付けてくる近くの変更に対する反撃であった。 アフォリズムは、通常、箴言集・金言集と訳される。 要は、体系的に論述する(演繹・帰納・弁証....)のではなく、具体的事実や根本法則を破断的に提
わたしも売文稼業の末席を汚しエイャで原稿を書き散らかしては編集部から丁寧な添削を受ける度に感心するクチだから、ネット上の文章について藤代さんが厳しい目を向ける気持ちは分かる。しかし市民メディアは「コンテンツの質が低い」以前に深刻な自己矛盾を抱えているのではないか。既存のマスメディアでさえ、今後もコンテンツの質と威信を担保し続けられるかは疑わしい。 しかしながら、ネット上の言論がこのようなマスメディア批判から抜け出せていないのも現実だ。他人の記事を批判するならまだしも、自らニュース記事を書いて発信するとなると、とたんにハードルは上がる。25日についにオーマイニュースの閉鎖が発表されたが、市民メディアと呼ばれるメディアが広がりを見せないのは、コンテンツの質が低いからに他ならない。 ITのもたらしたチープ革命で表現の場を与えられたにも関わらず、マスコミの権威性に憧れて市民記者を標榜し、けれども充
情報技術の発達等により、「規律訓練型」の(権力を求める)社会から、「環境管理型」の(権力を求める)社会になった。そうした「新しい社会」では、「アーキテクチャ」、すなわち社会的に埋め込まれた様々な「コード」の「設計」如何によって、人々を特定の仕方へとコントロールする匿名的な権力が肥大化しうる一方、「人間らしさ」の概念が変容しつつある。そこでは人々が「人間らしく」振舞わなくても、相応に社会が駆動することが期待されるようになり、実際人々は「思考」をシステムに委ね、ますますエコーチェンバーに閉じこもるようになっている――。 「情報思想」について議論する場に参加すると、こうした「物語」を前提化して語りかけてくる人にしばしば遭遇する。だが最近になって、こうした理解は非常にクリアなものである反面、多くの現実を捨象してしまうという思いを強くしている。初期段階の仮説としては有効だったかもしれないが、少なくと
『MarkeZine』が主催するマーケティング・イベント『MarkeZine Day』『MarkeZine Academy』『MarkeZine プレミアムセミナー』の 最新情報をはじめ、様々なイベント情報をまとめてご紹介します。 MarkeZine Day
Mar 12, 2009 The Rising Power Of Social Media As A Traffic Driver I have been looking over the referrer logs of our portfolio companies and have been paying special attention to social media (facebook and twitter in particular) and I've been noticing that both services are making significant moves up in most every referrer log. I can't reveal the specifics due to confidentiality, but there are som
At the Sourceforge breakfast this morning we got some questions on what the organizational differences are between open source and social media. Here’s my answer: One of the paradoxes of early 20th Century management was the observation that companies are best run as dictatorships, while countries are best run as democracies. Why was this? Management theorist Charles Barnard, in his theory of the
──────────────────────── 政治的ニュースが重要になる中、テレビがメディアとして持ちうる力とは? ──────────────────────── 【マスメディアの凋落は「場」の凋落と関係する】 広告収入やセットインユース(スイッチが入った受信機器の総数)の減少という形で、新聞やラジオやテレビなどが凋落しつつある。他方で、労働市場の縮小や麻生内閣の疲弊で世の中は暗いムードである。そんな中、一部の局は四月編成からニュース系へのシフトを強める模様である。 これは合理的対応だ。音楽の世界では、ITMSに見るようなアーカイブス化&インターネット化と、享受者の「島宇宙化」を背景として、CDシングルを購入して新曲にアクセス(して話題に乗り遅れないように)する必要が消えた。程度の差はあれテレビの娯楽番組もそれを追いかけよう。 だが娯楽系からニュース系へのシフトで生き残れるほど世の中
8日は、明け方から関東南部の平地で広範囲に雪が降り、東京都心の朝の通勤・通学時間帯にも雪景色が広がった。気象庁によると、8日午前7時時点で、さいたま市桜区で4センチ、東京都千代田区で1センチ、横浜市中区で1センチの積雪が観測... [続きを読む]
Twitterの新規ユーザーにとって、理解するのが最も難しいのは、誰をフォローすればよいのかということだ。Twitterは、ユーザーにとって重要な考えや意見を持つ人々からの140文字以内の最新情報を、リアルタイムで表示するストリームだ。そのため、誰をフォローするかという問題は、Twitterが時間の無駄使いになるか、あるいは便利な情報収集ツールとなるかを決めるものだ。 こうしたことを念頭に置いた上で、Twitterでフォローする価値のあるテクノロジ専門家トップ10のリストをまとめてみた。 このリストは、Twitterアカウントを持っている最も有名なテクノロジ業界関係者だとか、最もTwitterのフォロワーが多い人を集めたものではない。代わりに、最も有用な情報へのリンクや、ニュース、助言、内部情報、最近の出来事に関する見解を投稿している、テクノロジ業界の思想リーダーを探した。さらに、くだらな
国家・国民・民族とかは、近代がこさえた『想像の共同体』ベネディクト・アンダーソンであること定説にはなってはいるがしかし、そもそもそゆ概念、空想だろーが仮装だろーが実装だろーがここ日本ではいまひとつ馴染みがないお仕着せなもんでしかない。「ナショナル」はともかく、「ネーション・ステート」なる集合体概念はより実感しずらい。だから、それをどーにかするしないの議論をするにしても、憲法を始めとしてどーにも身がはいらないようで断片ばかりがバラバラと散逸していてうすぼんやりとしてしまうのは、ワタクシだけ? てなことで、国家概念の本家ヨーロッパはなにをどーしてそーしようとそーなってるかを、ちょっとさらってみる。 『ヨーロッパとは何か』クシシトフ・ボミアンに依ると、12〜16世紀にかけてのヨーロッパでは3つの文化が存在してた。ラテン語の聖職者スコラ文化、各地の俗語で朗読・口承されたネイション形成途中の戦士・騎
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