漢字に関するmojiuraのブックマーク (327)

  • タヒる - しろもじメモランダム

    12月4日の読売新聞夕刊2面に、『日の漢字』や『訓読みのはなし』の著者・笹原宏之さんの記事が載っていたので一部紹介。 タヒる。 "タヒる" に一致する日語のページ 約 15,400 件 おー、使われてる。第3回『もっと明鏡』大賞最優秀作品賞の一つにも選ばれていたようだ。 ところで、上の記事を書いた記者は「タヒ」を漢字のにしているが、これって妥当なんだろうか? とりあえず、ネット上では漢字表記は使われてなさそう。携帯じゃ Ext B の漢字なんてまず使えないし*1。 残るは手書きだけど、「タヒる」を使う人が身近にいないので調べようもない。彼らはカタカナ「タヒ」の合字として書いているのか、「死」に似せた漢字として書いているのか。気になる。 # とりあえず、ネット上での漢字表記に先鞭をつけておきますね。 # あぁ〜、𡖅る…… ## まぁ、普通の和文フォントには「𡖅」は収録されていないんで

    タヒる - しろもじメモランダム
    mojiura
    mojiura 2008/12/09
    「タヒる」。「死」から一本抜いて、死んではいない(死ぬちょっと手前)を意味しているらしい。洒落てる。
  • 本がみっつ - しろもじメモランダム

    くおんの森 (1) (リュウコミックス) 作者: 釣巻和出版社/メーカー: 徳間書店発売日: 2008/11/20メディア: コミック購入: 4人 クリック: 92回この商品を含むブログ (68件) を見る 『くおんの』という漫画があるらしい。×3で「もり」と読む。 Amazon で書影を拡大してみると、タイトルがはっきりと見える。Web 上のテキストでは単なる「森」で代用して「くおんの森」と表記されていたりするが、リュウコミックスのページでは、ちゃんと作字してある。 作者のサイトにある日記でも、(「森」で代用してある箇所もあるが)この漢字を目にすることができる。2007年9月8日が初出のようだ。 とりあえず国会図書館に献でもしておけば、文字コードに収録される可能性がほんのちょっと高くなるんじゃなかろうか。勝手に期待してみる。 続き の森をたずねて - しろもじメモランダム

    本がみっつ - しろもじメモランダム
    mojiura
    mojiura 2008/11/26
    「本」がみっつで「もり」と読ませるらしい。普通の「森」と意味が違うのかな?
  • 笹原宏之『訓読みのはなし』を読む

    漢字には何千年の歴史がありますが、時代によって、また地域によって変転をきわめてきました。けっして、使われ方の固定した、万古不易の文字ではありませんでした。日では、漢字は日語の一部として用いられ、中国とはまったく異なった展開を見せました。これは、笹原宏之氏が一貫して追究し、かつ証明してきたところです。 今のコンピュータ時代にあっても、日の漢字は変化し続けています。私自身も、ほうぼうでめずらしい漢字にしばしば出会って、そのたびに驚きます(「文字のスナップ」参照)。とはいえ、以前に比べれば、私たちはペンを持つことが少なくなり、書いた文字を人に見せる機会も減りました。まして、新しい漢字や漢字字体を生み出して流通させることもむずかしくなりました。私たちの書写生活の大部分は、規格化されたコンピュータ文字に支配され、画一化に向かっているとみることもできます。少なくとも、私はそうだろうと思っていまし

    笹原宏之『訓読みのはなし』を読む
    mojiura
    mojiura 2008/11/17
    「おなかぺこぺこ」を「お腹凹凹」と書く件。すばらしい発明だと思った。
  • 第25回 世界を駈け巡る「茶」 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    大学に移って4年目にして、やっと研究室でお茶を淹れられるようになった。 慌ただしい日々であることに変わりはないが、散らかった研究室でも訪ねにいらして下さる方々が少しずつ増えてきたのと、お土産に東アジア各地のお茶を頂くことが増えたためだ。今話題のメラミンなるものも、これには関わらないだろう。 「茶」が中国で生まれた飲料であることは有名だ。元は「荼」(ト・ダ)という、ニガナなどを指す形声文字が転用されていたものとされる。なお、この字を「荼毘(ダビ)」と用いるのは梵語に音訳しただけのもので、茶とは関連がない。 その「荼」の「余」の部分を「人」の下の「一」を取り除いて「ホ」のように変えて「茶」とすることで、元の字との発音と意味の差を示したと言われている。下部の字体は「ホ」か「木」かなど、どのように書かれるか議論されることもあるが、これはそもそもそのようにして唐代に起こった俗字だという。この造字法は

    第25回 世界を駈け巡る「茶」 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム
    mojiura
    mojiura 2008/11/17
    「茶」の字が唐代の俗字であった、という説。従来の造字の原理原則とされる「六書」では説明できないケース、とのこと。
  • ビルマ戦記 | daily-sumus

    瓜生忠夫編『ビルマ戦記』(教養社、一九四四年三版)。カバーがあるはずだが、失われている。天神さんで、百円。瓜生忠夫(うりふただを)は北野中学、東大文学部から日映画社に入社、脚映画論を執筆している。 まず何と言っても文字に惹かれた。高橋錦吉を連想させる手書き明朝体だ。デザイナーの記名なし。次に数多く入っている写真も悪くない。クロースアップの多い FRONT ふうというか LIFE ふうである。 しかしこれを買う決め手は遊び紙に貼られていたレッテル。「阪神電車直営/阪神マート」。阪神電車は一九〇五年に大阪(出入橋)~神戸(滝道)間を開業した。翌年、梅田まで延長。一九三三年には商業施設「梅田阪神マート」を梅田駅に設けている。このレッテルのすぐ下のところに「20. 12. 7」と書いてあるが、昭和二十年十二月七日という意味だろうか? 文では林田重雄の「カメラ従軍記」がなかなか迫真。 《ピン

    ビルマ戦記 | daily-sumus
    mojiura
    mojiura 2008/10/10
    「戦」の、「口」ふたつの部分が、くっついてる。思ったほども違和感はない。
  • 第22回 「から揚げ」 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    中国から留学しに来た大学院生が問う。 「「唐揚げ」の「唐(から)」の由来についてですが、やはり中国と何らかのつながりがあるのでしょうか?」 彼女は、中国では、魚や豚を油で揚げたものはべたが、鶏肉のそれ(炸鸡 炸鶏 zha2ji1)はケンタッキー(中国では「肯德基」)でしかべなかったとのこと。中国は広いので一概には言えないが、「油淋鶏」(ヨウリンジー 油林鶏)などはあっても、少なくとも「唐揚げ」はあまり一般的な中国料理ではなさそうだ。日に来てから「唐揚げ」という表記と品を見かけるようになったとのこと。私もこの夏、1週間ほど上海周辺に滞在したが、確かにその間、それらしいものは豚のから揚げのようなものが1度出てきただけだった。日では「唐揚げ」が格的な中華料理のように振る舞われることもある。 日で「からあげ」は、確かに「唐揚げ」と書かれることが多いが、実は「空揚げ」という表記もある。

    第22回 「から揚げ」 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム
    mojiura
    mojiura 2008/10/02
    「空揚げ」「唐揚げ」で表記が揺れている件。字義につられて中華料理と思う人も増えている、という話が興味深い。
  • 異体字ほか

    狭義の異体字です。全体的に違う字形ながら,音、義が同じ字を指します。 その他の字種も,分類するまで仮においてあります。 推奨ブラウザ:『Internet Explorer 4.0』以降。中国語などの表記のために,一部MSゴシック、JS平成明朝などで追加収録された漢字を使用しています。例:閩

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    mojiura 2008/06/03
    例の誰でも知ってる「第」の略字の件。ユニコードにあるとは知りませんでした。http://www.unicode.org/cgi-bin/GetUnihanData.pl?codepoint=3427
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

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    mojiura
    mojiura 2008/05/07
    実はよくわかってない私。語源(字源?)として違いがあるのは理解できるけど、現在の慣習は、語源とはだいぶ離れてしまってるように感じる。後でゆっくり考えたい(けど後回しにするときっと考えない)。
  • 弘道館 - 生活記録

    隷書。ムのところが口みたいに書かかれてゐるが、他にはどんなのがあるだらう。 因に隷書では〈私〉がどうなるのか調べてみると、〈私〉のムのところが三角みたいに書かれてゐる。

    弘道館 - 生活記録
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    mojiura 2008/04/03
    「弘」の「ム」が「口」の形。
  • 「阿部正弘と誠之館」 阿部正弘立像 - 環藝録

    誠之館の「訓戒之語」に記した署名は「阿正弘書」とあって、「弘」の「ム」が「口」の形なのが壮年の頃の筆跡の特徴なのだそうな。 一方、徳川斉昭揮毫の「誠之館」扁額は、「之」の字の終画がうねうねしている。 徳川氏は「源朝臣」でも阿部氏は「阿部朝臣」のままで通る。 写真は福山城内の阿部正弘像。

    「阿部正弘と誠之館」 阿部正弘立像 - 環藝録
    mojiura
    mojiura 2008/04/03
    「弘」の「ム」が「口」の形。
  • 正しい漢字の表現(4) (明朝体・考)

    さいきん,井上雅靖著『牙青聯話』(書籍工房早山刊)を読んだ。この中に「沛 水部四画」という章があるのだが,漢字字形を生業とする身には気になるところである。 「沛」はサンズイに市(一+巾の4画)だが,この旁は市場の「市」(シ)とは義も違う。しかしいかにも紛らわしい。私も2月の講演で,たまたまこの文字を取り上げたばかりである。 井上氏は「沛」の意味からはじめて,この「紛らわしい」問題に入っていく。氏は4画の市(ハイ)と5画の市(シ)について,この《市》の字と前述の「市」の字は、その成り立ち、意味もまったく異なる別の字である。しかし、現在手にすることのできる一般的な辞書では、この二字は区別されていない。実に不思議なことと言わざるをえない。 と書いている。一般的な辞書が国語辞典なのか漢和辞典なのかはわからないが,漢和辞典であれば,義も画数も違うのであるから同一視するということはありえない。あ

    mojiura
    mojiura 2008/04/01
    基本的に賛成。でも、最後にユニバーサルデザインが出てくるのは飛躍しすぎと思う。いつも基本的な主旨は理解できるけど、いつも何か引っかかる。文字の議論では、こういう「詰めが甘い」のが多い気がする。
  • 片仮名の呪力、漢字の呪力、アルファベット漢字 - 記憶の彼方へ

    愛を成就せんがための「護符」と周囲に添えられた漢字片仮名交じりの文言。室町末期の『呪詛秘伝書』から(『組版原論』57頁) これは、府川充男氏が、片仮名の持つ呪力を解説する場面で例に挙げた室町末期の写『呪詛秘伝書』からの資料の一部である。府川氏は他にも具体例を挙げ、民俗学者の網野善彦の「片仮名呪力」説も援用しながら、片仮名が来「言葉の呪力」、「音声の呪力」、「口頭の言語」、「音声の言語」と深く結びついているのではないかと推理している(『組版原論』56頁)。 その面白さもさることながら、私は上の護符そのものに目が釘付けになってしまった。「我君と交わるを念ず」と読むとしたら読むのだろう。護符周囲に添えられた漢字片仮名交じりの文言もさることながら、その護符そのものの漢字の結合が強烈な禍々しさを生み出している。この資料は、片仮名の呪力なるものよりも、漢字の呪力のほうを私に強烈に印象づけた。 こう

    片仮名の呪力、漢字の呪力、アルファベット漢字 - 記憶の彼方へ
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    mojiura 2008/03/31
    アルファベット漢字!
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    mojiura 2008/03/31
    旧字の「舊」の下側が「旧」だったり、「通」の上が「コ」だったり。
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    mojiura 2008/03/31
    キッコーマンのほう、ここにも例の「上」の字(に似たやつ)が。→http://d.hatena.ne.jp/mojiura/20051011/p2
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    mojiura 2008/03/31
    あっ! 例の「上」の字めっけ! ……と思ったけど、よくみるとなんだかさらに複雑な字形ですね。→http://d.hatena.ne.jp/mojiura/20051011/p2
  • ホフスタッター師のクヌース先生批判 - moroshigeki's blog

    文字や文字コード、フォント関係の議論であまり指摘されていない気がするのでメモ的に書いておくと、GEB*1で有名な自己言及ヲタのホフスタッター師は、あまり有名じゃない?『メタマジック・ゲーム』*2のなかでクヌース先生のMETAFONT論文の批判を行っている。特に第13章「メタフォント、メタ数学、そしてメタ思考」とその周辺。 クヌース先生の*3もホフスタッター師の議論もちゃんと読んでないので単なるメモなのだが、クヌース先生は、 ありとあらゆる「A」という文字の形の下に唯一究極的な抽象形「A」が存在し、それを有限個のパラメータをもったアルゴリズムとして記述できる。――有限個のノブのついたソフトウェア機械と呼べるようなものの存在。 そして考えうるすべての個々の「A」は、この機械のノブをある値に合わせることによって得られるということ。 と主張しているらしい(p. 248)。唯一究極的な抽象形「A」

    ホフスタッター師のクヌース先生批判 - moroshigeki's blog
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    mojiura 2008/03/27
    む、むずかしい……。この「はるか上空を飛び交っているような議論」は、「私たちが日常的に手にしている文字」のために、本当に必要なものなのでしょうか?、と思ってしまうのですが……。
  • http://homepage.mac.com/ogwata/.Public/sokubaku_080325.pdf

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    mojiura 2008/03/27
    「直角印」と「突きぬけ印」の話。あと、「脳」「悩」の略字も。
  • 1950年代初頭に略字体が一般的に使われていたことの意味 - もじのなまえ

    さて、先日の発表を粗っぽくまとめると、「1950年代初頭には表外字に略字体が、かなり使われていた」ということになりましょうか。ここで「かなり」と書きましたが、具体的には新聞社のうち朝日新聞、印刷会社のうち大日印刷について、明確な資料があるということです。つまり「略字体が主流だった」とまで言っている訳ではない。しかし無視し得ないほどの広さで使われていたとは言い得る、そんなところです。この「かなり」をもう少し精密に計測したいところですが、今後まだ資料は出てきて、範囲はもう少し広がるような感触を持っています。 ところで、この'50年代における略字体使用が、現代に生きる我々にとって、どのような意味を持つのでしょう? レジュメにも書きましたが、大日印刷では1993年にCTSラインにおける社内ルール「基文字規定」が制定されるまで、『活版の栞』にある略字体が使用されたと考えられます(活版のラインに

    1950年代初頭に略字体が一般的に使われていたことの意味 - もじのなまえ
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    mojiura 2008/03/27
    素朴な疑問→ (1)責任問題なの? (2)「歴史」を「比較的コンパクトに描く」ことに意味がある? (3)何千年もの歴史を持つ漢字の「字体というものの実体」に迫るのに、どうしてここ百年の話をそんなに重視するの?
  • ルビを付けよう:「山上少将」を何と読む - livedoor Blog(ブログ)

    「二十一年一月以来、残務整理中の陸軍省改め第一復員省では、自主的調査と称して、山上宗治法務少将が二度出張してきた。」 (大岡昇平『ながい旅』角川文庫2008年四版9頁) ※「山上宗治」、この姓名を何と読むのか。 姓は、「やまがみ」「やまうえ」「やまのうえ」、名は、「そうじ」「むねはる」とそれぞれに複数の読み方の可能性があるのに、平気でルビなしにしている。シ〜ンジラレナ〜イ。

    mojiura
    mojiura 2008/03/24
    固有名詞にルビがないとお手上げな件。「シ~ンジラレナ~イ」という気持ちもわかるが、一方で、声に出さないつもりなら正確な読みがわからなくても読破できる、という実用上の視点もあり、微妙なバランスだと思う。
  • http://www.nagamura.jp/moji/minchou/2008/03/post_86.html

    mojiura
    mojiura 2008/03/24
    「たとえば画数などの属性をどのように表現するか」とある。どうして「画数」を例に挙げるのか、不思議でならない。「画数」は書法によって異なるもので漢字そのものの属性ではない、という立場が自然だと思う。