蓬左文庫(ほうさぶんこ)について 尾張徳川家の旧蔵書を中心に和漢の優れた古典籍を所蔵する公開文庫です。現在の蔵書数は、約12万点。蔵書内容の豊富さが蓬左文庫(ほうさぶんこ)の特徴となっています。さらに、書籍だけではなく、尾張徳川家に伝えられた2千枚をこえる絵図も所蔵しており、名古屋の城下図から世界図におよぶ古地図や、屋敷図・庭園図など、多彩な内容の絵図が含まれています。 蔵書の閲覧のほかに、徳川美術館の大名道具と合わせて、武家の学問と教養など、近世武家文化をわかりやすく紹介する展示や、徳川美術館・徳川園と連携した講演会などを企画開催します。 蓬左文庫(ほうさぶんこ)の歴史 蓬左文庫(ほうさぶんこ)にとって、尾張藩の書物倉である「御文庫」の創設が、その歴史の始まりといえます。 元和2年(1616)、徳川家康の死去により、その遺品の多くが、尾張、紀伊、水戸の御三家に分譲されました。このうち、の
日本工芸会山口支部 第47回 山口伝統工芸展 2024年4月6日(土)~14日(日) 伝統工芸は、先人から受け継いだ優れた技術を継承するとともに、今日の生活に即した新しいものを築き上げる芸術文化です。 支部会員37名は、伝統技術を一層練磨するとともに、時代の要請をとりいれた新しい作品を創り上げていくことが責務であると思っております。このため、会員一同、郷土が誇る伝統工芸の真髄を究めるべく切磋琢磨し、創作活動に励むとともに、熱心に研究を重ねてまいりました。 このたび、その成果をご披露するため、第47回山口伝統工芸展を開催します。 どうか多くの皆様のご静観を賜りますとともに、歴史と風土に育まれ、その伝統を今に伝える山口の伝統工芸品の技と美に触れていただいければ幸いです。 開催概要 展覧会名
市場、国家、社会… 断絶した世界が、「つながり」を取り戻す。 その可能性を、「構築人類学」という新たな学問手法で追求。 強固な制度のなかにスキマをつくる力は、「うしろめたさ」にある! 「批判」ではなく「再構築」をすることで、新たな時代の可能性が生まれる。 京都大学総長・山極壽一氏推薦! 世の中どこかおかしい。なんだか窮屈だ。そう感じる人は多いと思う。でも、どうしたらなにかが変わるのか、どこから手をつけたらいいのか、さっぱりわからない。国家とか、市場とか、巨大なシステムを前に、ただ立ちつくすしかないのか。(略)この本では、ぼくらの生きる世界がどうやって成り立っているのか、その見取り図を描きながら、その「もやもや」に向き合ってみようと思う。 ――「はじめに」より 第72回毎日出版文化賞<特別賞>を受賞しました! 「構築人類学」という言葉に、こんなに救われると思いませんでした。 語句ができてしま
2017年7月21日、中国で初となる中国歌劇テーマ図書館-蘇州呉中区運河図書館が正式に開館ました。 中国歌劇の伝承と振興という使命を果たすために設立された運河図書館は、中国歌劇書籍の所蔵、管理システムの充実、そして中国歌劇文化を積極的に発信してゆくという役割を担ってゆきます。現在、運河図書館には2万冊の蔵書がありますが、中国歌劇をテーマとした書籍は街角の至る所にあるため、すべての分野を網羅した書籍の収蔵は非常に困難だと考えられます。所蔵書籍の一部は非常に貴重なもので、それらは中国歌劇の権威者からの寄贈品です。図書館はこれら古書の保護活動に加え、中国歌劇の分野における著名人や草分けなどを招き、中国歌劇作品の研究および振興に関わる討論会や中国歌劇文化講座、中国歌劇文化創作作品展などの活動にも力を入れてゆくことでしょう。
Times Higher EducationのWorld University Rankingが発表されたので、世界Top50の大学図書館のウェブサイトをざっと見てみて印象に残った、エモいサイトを記録しておきたいと思います。エモいの意味はよくわかりません。Jimmy Eat Worldで止まってます。 www.youtube.com University of Wisconsin-Madison 振り切った感のあるサイト。知りたいことがあったらクリックすればいいのだから、実際のところ、そんなに使い勝手も悪くないんだろうなぁと思います。 出典:https://www.library.wisc.edu Northwestern University タブレットでスクロールしている様子が目に浮かぶ、モバイルデバイスを意識した作りと思われるサイト。とってもグラフィカルです。 出典:http://w
講義の合間の空き時間やアルバイトのない休日などにぜひ訪れてみたいスポットをご紹介! 今回は、杉並区・高円寺駅から徒歩5分、商店街のわき道を入った古い建物の2階にある「アール座読書館」。なんとここは店内全体が“読書室”になっているおしゃべり禁止のお店なんです。 細長い階段を昇り、ドアを開けると広がっていたのは物語の中に迷い込んだような幻想的な空間!観葉植物やアンティーク調の机やソファ、手作りのステンドグラス風アクリルボードなどしばらくうっとりと佇んでしまいそうになります。水槽から聞こえる水音や床の軋みだけが響き渡る静かな店内です。 9種類の座席から自分だけの空間を選べる まずは時間を過ごすための場所を選びましょう。座席は9種あり、席ごとにコンセプトが異なっています。 なかでもおすすめが大きな水槽が目の前に鎮座したアクアテラリウム席。熱帯魚がゆったりと泳ぎ、水草がゆらゆら揺れているようすを見て
戦国時代の武将、明智光秀が「本能寺の変」で主君の織田信長を討った10日後に、反信長派の豪族に宛てた書状の原本を発見したと、三重大の藤田達生教授(日本史学)らが11日、明らかにした。信長に京都から追われた室町幕府の15代将軍、足利義昭を再度入洛(じゅらく)させようと協力を求める趣旨の記述があり、藤田教授は「光秀らが義昭を奉じて室町幕府を再興させようとする政権構想がうかがえる」としている。 書状は天正10(1582)年6月12日、紀伊雑賀(さいか)衆の反信長派リーダー、土橋重治(しげはる)に宛てたとされる「土橋重治宛光秀書状」で、岐阜県美濃加茂市の美濃加茂市民ミュージアムで見つかった。縦11・5センチ、横56・7センチ。これまで書状の写しが東京大学史料編纂所にあるのは知られており、藤田教授は幕府再興説を唱えていたが、原本は見つかっていなかった。 書状は「将軍(義昭)のご入洛のことについては、ご
明智光秀が本能寺の変に踏み切った理由についてはかつて、信長に辱められた「怨恨(えんこん)説」や天下取りの「野望説」など、個人的な視点で理解されていた。しかし近年は研究が進み、織田政権内部の対立や戦国大名らとの関係の中で発生したとの解釈が重視されるようになってきている。 3年前、岡山市の林原美術館での石谷家(いしがいけ)文書の発見は、信長が四国の長宗我部(ちょうそかべ)氏への対応を変更したことを機に、長宗我部氏との交渉担当だった光秀が面目を失い、進退窮まって変を起こしたとする「四国説」を浮上させることとなった。 さらに今回の書状から、光秀は最終的に足利義昭との連携を構想していたと読むことができる。 本能寺の変のあと、光秀は畿内や安土城のある近江の平定を目指したが、頼みとする細川藤孝(ふじたか)(幽斎)や筒井順慶は協力を断ってきていた。 孤立状態の光秀としては、かつての主君でもあった義昭を戴(
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