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「日本で誕生した新政権(鳩山由紀夫政権)は、生活者重視の政策で人気が高いと聞いています。新政権が日本人の生活を重視するのは当然ですが、外国人の受け入れに関しては、長期的な戦略を持って大胆な改革を望みたい」 そう鳩山政権への期待を口にするのは、アジア最大の求人情報サイト「ジョブストリート」創業者で、最高経営責任者(CEO)を務める中国系マレーシア人、マーク・チャン氏(44歳)だ。 高校卒業後に米国のマサチューセッツ工科大学(MIT)に留学し、同大学院に進学して機械工学の修士号を取得したチャン氏は、1995年にジョブストリートを起業、現在はシンガポールで経営の指揮を執る。 ジョブストリートは現在、シンガポール、タイ、フィリピンなど東南アジア各国に香港、台湾を加えた計9カ国で事業を展開。日本にも2007年に進出した。その収入源は8万社に上る企業の求人広告だ。ホワイトカラー向けが中心で、エンジニア
思いがまとまらない話題でもあり、なんとなく書くのを避け、ネットに費やす時間はツイッターにかまけていたが、これがもし本当なら平成秘史というのを越えて、後にこの時代の政治史を振り返るときに重要なことになるかもしれない。福田元首相辞任の真相といった話だ。けっこう流布されているので知っている人は多いだろうが、真偽不明でもあり陰謀論的な陰影もあるので、私としては避けていた話題だった。でも、なんか奇妙な空気になってきたので少し触れておきたい。 話を少しばかり寄り道する。中川昭一元財務・金融相が、3日11時頃、世田谷の自宅で亡くなった。報道は翌日だった。彼の父の経緯もあり、私は、すわ、自殺か、という思いがよぎった。続報で自殺でも他殺でもないことがわかった。死因は未だわからない。そんなことがあるのかというのも疑問に思わないでもないが、それでも、死に至った背景には過度のアルコール摂取と心労があったことは確か
突然ですが、問題です。 ・三菱グループの社員が飲むビールの銘柄は? ・帝国ホテルとホテルオークラの関係は? ・富士電機、富士通の「富士」の文字のいわれは? いずれも、日本企業、特に財閥の歴史と密接に関連する質問だが、全問すらすら答えられる人はどれくらいいるだろうか。 本書は、明治維新後から戦前にかけて成立した財閥の沿革を現在まで紐解き、企業と企業の意外なつながりや、創始者や中興の祖の隠れたエピソードを紹介する。事実の羅列が中心で、目を見張るような主張や発見が述べられるわけではないが、財閥企業で働く人はもちろん、就職希望の学生、取引のある営業マンは手にとってみてはどうだろう。 そもそも、「財閥」とはジャーナリズムが使い始めた言葉であり、手許の広辞苑にも「俗に、金持ちの意」とあるくらいだ。明治を過ぎたあたりから次第に、同一家族が経営母体となった巨大企業の連合体を指すようになり、現在は〈富豪の家
韓リフ先生⇒生まれたときから日本はこんな感じで今さら不況だからどうとか言われてもよくわからない : 2009-02-14 - Economics Lovers Live 僕らのような高度経済成長期に幼少時代をすごした人間はいわば長期バブル(完全に形容としては間違っているが 笑)の「理念」とメディアがつくった成長期社会の「問題」「桎梏」のはてに、青少年から青年期には、低成長とグローバル化(70年代と80年代の国際化の庶民レベルの格差はかなりあると思う。僕が80年に最初に大人キッスしたの金髪の外国の女性だったし、そんなの70年代の自分には想像絶するグローバル化なわけで 爆)の「現実」は、やはりそれなりに大いなる??矛盾と桎梏を抱えていたといっても(いわなくても)いいだろう。簡単にいうと、デフレ世代ないしロス・ジェネ世代の感覚は、新奇なものとはいえない。僕らの世代にも馴染みがある感覚だといえる。
もともと円キャリー産んでいたのは実質的なリフレ政策なんじゃないか。リフレ政策っていうのは国内モデル的にはなんとなくグッドだけど、グローバル化した世界においては円キャリーになるよな。ほいで、今回の世界の失態圧力のホットマネー大杉に加担していたよなみたいな思いがあって、いま一つすっきりしないし、なんだかんだ言っても、っていうか小宮隆太郎が言うように、民主主義の手順的にはいかがなものか的な部分はあるんでねーのとも思うので、ようするに書生論でしょ、与謝野先生ぇ、みたいな思いもあったのだけど、昨日付のフィナンシャルタイムズ社説”Yen is caught in carry-trade turmoil(キャリートレード騒動に巻き込まれた円通貨)”(参照)を読んでいたら、ようするに、かくなる上はリフレしろ、日本、と言っているのだね。すこしびっくらこいた。 手間がないので、ちょっと手抜きでさらさらと書くけ
今月の文藝春秋で高橋洋一が書いている『新「霞が関埋蔵金』50兆円リスト」(参照)が面白かった。高橋洋一の著作では以前「極東ブログ: [書評]さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白(高橋洋一)」(参照)と「極東ブログ: [書評]霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」(高橋洋一)」(参照)に触れた。 以前の霞が関埋蔵金の所在は、もうばっくれようにもないなという追い込み方がも興味深かったのだが、なんとなくそれ以上の深掘りはできるとは思えなかったし、今から50兆円も掘れるとは思ってもいなかったので、驚いた。私は科学以外の「知識」というものにそれほど価値を置いてない人なのだが、本当の「知識」というのは怖いものだなと思った。正直に言うと、その怖さは諸刃の剣だとも思うけど。 今回の話で、50兆円という金額にも呆れるのだが、それ以前の掘り出し埋蔵金の話も興味深いものだった。 「霞が関埋蔵金」はこれまで
フィナンシャルタイムズの日本関連の記事は最近では「フィナンシャル・タイムズ - goo ニュース」(参照)にオフィシャルな翻訳が出ることが多いので、4日付けの”Japan’s recession is not a recession”(参照)もそのうち出るんじゃないかと期待したが、今日11日になってもそんな気配はないし、4日付けの記事はなんとなくスルーされた感じなので、ほいじゃ、このブログで扱いますか。 というか、一応普通に日本の知識人ならフィナンシャルタイムズの社説くらいは読んでいるんじゃないかと思うけど、この話題、他所では特に見当たらないようだが、どう? それほど話題になるようなネタじゃないということなのかもしれない。つまんない話題は当ブログのお得意だな。 標題の”Japan’s recession is not a recession”は、「日本の景気後退なんて景気後退じゃないよ」と
テーマはある意味で深刻だけど雑談です。またまた与太話と言ってもいいかもしれないけど、専門家でもないことだし、ブログなんで気楽にさらさらと始めますか。 最初に、原油高騰がここまで上がると予想していたかと自問すると、いや予想してなかったな。ホットマネーが溢れていて、米国威信の低下でドルが下がるのだから、それにヘッジして原油が上がるだろうとは思ったけど、ここまで上がるという勘はまるでなかった。そのダメな勘で言うなら、1バレル120ドルくらいで「このチキンゲーム止めようぜ」の空気になると思っていた。そうはならないようだ。まだまだやるらしい。正気かよ。正気のようだ。 先日のNHKのクローズアップ現代だったか、どの回だったか忘れたが、原油の適正価格は70ドルだったか80ドルだったか、そのくらいで、それに投機資金が流れ込んで現在の高騰になったのだというグラフを描いていた。 そうなんじゃないかというのと、
どうしてしまったのかね。普段の小林秀雄的な人を煙に巻くような文章とは全く文体が違って見えるが。時代も状況も全く違う三つの大仏を同じ概念で並べて与太話を書きつなごうとしてお話的に破綻してしまうところに動揺が見て取れる。トンデモを書きたいならもう少しネタをひねらないと面白くともなんともない。 それでだ。大仏=ゼニかね。じゃあ、特別に面白い話をしてあげよう。 戦国時代の話だ。ちょうどそのころ一休禅師と蓮如上人は仲がよくて色々付き合いがあったそうだ。ある日、蓮如が用があって出かけていたときに、たまたま一休が訪ねてきた。で蓮如が留守と聞くと、帰ってくるまで待たせてもらうことにして、蓮如の居間へ通された。それでだ、いくら待っても帰ってこないので眠くなった一休はなんと、居間におわされた阿弥陀さまの像を枕にして寝てしまった。 それからしばらくして帰ってきた蓮如は、居間のこのありさまを見て怒り出し、一
ちょっと雑談するかな。といってまったくの雑談ではなく、歴史や歴史学についてだ。だから当然に雑談のレベルも下がる下がる。 歴史を学んだり、歴史に関心をもっていくと、あるところで、皆目わからなくなる部分に出会う。歴史というのはある意味でこじつけの説明ともいえるのだが、説明を聞かされても、納得しないという以前に、「お前らおかしいんじゃないの、頭?」という印象が深くなることがある。しかし、実際には、頭おかしいのはそう思い出す自分のほうで、通説というのは、ある種の共同謀議じゃないけどそれなりの意味があったりする。 皆目わからないのは、史料がないからということもある。史料を探せばわかるふうな問題だといずれ新史料から大胆な史観が生まれることもある。そうした点で史料が絶対的に欠けているのが古代史だし、しかも古代史というのは近代がもつ古代幻想、つまり国家幻想に関係しているから、変だ?という感性は実は国家観に
以前「極東ブログ: [書評]にっぽんの商人(イザヤ・ベンダサン)」(参照)で、江戸時代の商人倫理に少し触れたが、同書は当時の貨幣経済について詳しくは書かれていない。それがどうしたわけか、このところ江戸時代の貨幣経済がどうなっていたのか気になっていろいろ散発的に調べてみた。面白いのだこれが。 銭形平次が投げていた銭は寛永通宝だというのはいいが、これって円の単位が確定した昭和28年まで日本国の通貨として使えたとは知らなかった、いやそれは曖昧な情報かもしれないのだが。また寛永通宝は中国やベトナムにも輸出していたともいう。それってどういうことなのか。宋通元宝や太平通宝といった宋銭がなぜ和銭ではなく宋の銭なのかはいいとしても、それが流通していたというのは同じ経済圏だったのだろうか。永楽通宝は明が対日本向け専用に鋳造したというのだが寛永通宝では逆転したわけだ。それにはどういう歴史的な意味があるのか。
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