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歴史と戦争に関するodd991のブックマーク (80)

  • 野嵜健秀さんの南京否定論

    正字正かなの人として名高い野嵜健秀( @nozakitakehide )さんが怒涛の勢いで南京否定論を展開されていたので、思わずまとめてしまいました。 野嵜さんらしい独特の正義感に基づく立論が凡百の歴史修正主義者とは一線を劃しており(http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20120228/p1 に挙げられた分類のどれにも当てはまりません)、興味深いです。 が、南京大虐殺を否定するという日人の自尊感情を充足する方向にその正義感が向いているという事実に少しだけ不安になります。 なお、まとめ人は南京での個々の暴力事件はあったのだろうし、それは偶発的な面と組織的な面があり、全体として旧軍の責任は問われるべき、上級指揮官が戦犯とされたことは妥当だと考えております。

    野嵜健秀さんの南京否定論
  • 中央日報日本語版 エラー

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  • Former U.S. POWs arrive in Japan on government invitation | The Japan Times

  • 戦時中の連合国捕虜使役問題に関する第三回質問主意書:参議院

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  • 戦時中の連合国捕虜使役問題に関する再質問主意書:参議院

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  • 戦時中の連合国捕虜使役問題に関する質問主意書:参議院

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  • 東京新聞:空襲の実態、ネットで世界へ 2米国男性が資料公開:社会(TOKYO Web)

    太平洋戦争で空襲を受けた人の手記や、日を爆撃した部隊の文書など、日米双方の資料をインターネットで公開する「日空襲デジタルアーカイブ」を設立する計画を、神奈川県在住の米国人男性らが進めている。空襲の実態を国際的に広める目的で、十一月末にも日英二カ国語のサイトを始める予定。世界中の研究者や一般市民が無料で閲覧でき、日の研究者らは「空襲の実態を発信するきっかけになる」と歓迎している。 (社会部・橋誠) 計画しているのは、同県小田原市で英会話教室を経営するブレット・フィスクさん(37)と、米ニューヨーク市立大のケリー・カラカス准教授(39)。 フィスクさんは二十歳で来日し、日人と結婚。三年前、業の傍ら書いている小説の取材で、空襲の記録を調査。約十万人が亡くなった一九四五年三月十日の東京大空襲を知った。 早速、古書店で体験者の手記を購入。読み始めると、川に飛び込んで両親と別れた女性や、子

  • 旧陸軍将校もユダヤ人に命のビザ 国連機関が紹介へ - 日本経済新聞

    外交官の杉原千畝がナチスに迫害されたユダヤ人を救った「命のビザ」の2年前、その先駆けともいえるユダヤ難民救出劇が旧満州国であったことが注目されつつある。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が「知られざる美談」と紹介する準備を進めるほか、国内の市民団体も再評価。救出劇を指揮した旧日軍将校の遺族は「『こんな日人もいた』と知ってもらえればうれしい」と話す。救出劇の始まりは1938年3月。ナチス

    旧陸軍将校もユダヤ人に命のビザ 国連機関が紹介へ - 日本経済新聞
  • 樋口季一郎中将とユダヤ人・史実編

    ■ 史実1 オトポール事件について 話の一つのヤマとなっております樋口中将(最終階級)が満州でユダヤ難民2万人を救った逸話(「オトポール事件」とこの稿では呼称します)の事実関係について少しふれたいと思います。 私もこの話を最初にきいたときは、拍手をおくりたくなるような思いにとらわれましたが、実はこれは少し怪しい話なのです。 といいますのは、このエピソードは、樋口中将自身の手記「アッツキスカ軍司令官の回想録」(芙蓉書房)以外には記述されている書物が見あたらないのです。ほかには光人社から出版されている相良俊輔氏の「流氷の海」がありますが、このは樋口中将の手記を小説風に描いたものですので、事実確認をとるには無理なですし、根拠にはできません。 2万人ものユダヤ人を助けたのであれば、「私はゼネラル・ヒグチに助けられた」という証言者があっていいはずですが、私の調べた限りでは皆無です。ちなみ

  • 樋口季一郎の誤伝 - 喜多圭介のブログ

    樋口季一郎 - Wikipedia 樋口季一郎のユダヤ人救済の評価は六千人のユダヤ人難民を救済した杉原千畝ほどには確定していない。 昭和十三年三月十日、ドイツのナチスの手を逃れた二万のユダヤ難民がソ連領を横断し、満州国西部国境、満州里駅の対岸オトポールに流れ込んできた。当時ソ連政府はドイツに気兼ねしてユダヤ人難民がソ連領内に留まることを許していなかった。難民が当面逃れる先は満州国よりほかなかった。満州国を経由して上海、そして上海から米国や日の神戸などへ落ち着く先を求めた。 当時日は日独伊三国同盟を結んでいたので、満州国でも関東軍への遠慮から容易くは難民を受け入れる状況ではなかった。このときヒューマニズムの精神からユダヤ人難民の満州国受け入れに奔走したのが、関東軍の樋口特務機関長であった。この辺の事情は彼の著書『陸軍中将 樋口季一郎回想録』にも書かれている。 樋口のユダヤ人難民救済が旧軍

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  • 終らざる夏: 中山なりあき オフィシャルブログ

  • asahi.com(朝日新聞社):大戦後の日系社会の闇 ブラジル人監督、流血の悲劇描く - 映画 - 映画・音楽・芸能

    ビセンテ・アモリン監督(右)と伊原剛志=パウロ・ムソイ氏提供「汚れた心」=パウロ・ムソイ氏提供  第2次大戦直後のブラジルで、祖国日の敗戦を信じなかった日人移民と、負けた現実を受け止めた移民との間で、流血事件が起きた。ブラジルの日系社会がいまだにタブー視するこの出来事をテーマにした映画を、ブラジル人監督が制作中だ。日でも成功させたいと、奥田瑛二や伊原剛志らを起用した。  ポルトガル語の題名は「汚れた心」。敗戦のニュースを「連合軍のプロパガンダ」として、日は米国に勝ったと主張した「勝ち組」と呼ばれた人々が、敗戦を信じた「負け組」の人々を「心の汚れたやつら」と呼んだことから採った。  映画は、負け組の人々を殺していく写真家(伊原)と、こっそりと子どもたちに日語を教える(常盤貴子)の夫婦が、時代にほんろうされながらも愛を貫く物語だ。2000年にブラジル人ジャーナリスト、フェルナンド・

  • いわゆる従軍慰安婦問題について、私が抱いているいくつかの疑問(1) | ジャックの談話室

    疑問1:なぜ日人慰安婦は無視されているのか? いわゆる従軍慰安婦問題ですが、私が常々、疑問に感じていることのひとつは、朝鮮人慰安婦あるいはその他の外国人慰安婦ばかり取り上げられて、日人慰安婦についてはまったくというほど語られることがないことです。 歴史学者の秦郁彦によると、慰安婦の内訳は、日国内の遊郭などから応募した者が40%程度、現地で応募した者が30%。朝鮮人が20%、中国人が10%程度だったそうです。 つまり、日人の慰安婦が一番多かったというのです。 ところが慰安婦問題を語る場合、この40%の日人慰安婦の存在は完全に無視され、全体の5分の1しか占めない朝鮮人慰安婦ばかりが脚光を浴びるという不思議な現象が起こっているのです。 慰安婦問題に熱心なことで知られている共産党の関係者にこの疑問をぶつけてみたところ、 「日人慰安婦は金目当てで慰安婦になった。強制的に慰安婦にされた朝鮮

    いわゆる従軍慰安婦問題について、私が抱いているいくつかの疑問(1) | ジャックの談話室
    odd991
    odd991 2010/07/03
    名乗り出られるかどうか。あるいは名乗り出てもらえるかどうか。獲得した社会的地位との関係など。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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    odd991
    odd991 2010/04/30
    第二次ベビーブーマーがリフレ派だったら面白いのなあ
  • 「日中戦争」という呼称 - 日本近現代史と戦争を研究する

    多くの研究者は、当時呼ばれていた「支那事変」ではなく、「日中戦争」と呼称する*1。「支那」に替わり「中国」という呼び名が一般的になったことが一つの原因であるが、では「事変」ではなく「戦争」と呼ぶのはなぜだろうか。 1960年代の代表的な研究である、日国際政治学会・太平洋戦争原因研究部編『太平洋戦争への道』(朝日新聞社、1962-63、全8巻)は、第3・4巻を「日中戦争」上・下としているが、第4巻、23頁に次のようにある*2。 「事変」という名の全面戦争 戦争が華北から上海へ波及するにおよんでは、もはや「事変」を短期の局地紛争として収拾する可能性は失われていた。それにもかかわらず、満州事変以来なしくずし的な武力行動の積重ねの間に鈍磨した感覚は、伝統的な中国への軽侮感情とも結びついて、政府・軍部が事態の質をみぬいたうえで、適切な政策指導を打ちだすのを妨げたのであった。 数十万の大軍を送った

    「日中戦争」という呼称 - 日本近現代史と戦争を研究する
    odd991
    odd991 2009/06/27
    国際法上は「事変」というか「事変」でないとまずいという微妙な状況…。でも実態は「戦争」…。記述に政治的思惑が入るとさらに微妙なことに…
  • 忘却の台湾 - 日本近現代史と戦争を研究する

    dj19さん引用のあわせて読みたいと あわせて読みたい。 ■松田京子「戦争報道の中の台湾台湾領有戦争の語りと記憶をめぐって―」『南山大学日文化学科論集』6、2006.3 領土の「合法的」割譲と、その地で徹底した暴力が行使されたこととは矛盾するものではない。台湾や朝鮮の植民地化が条約によって「合法的」に行われた点をことさら強調する語りは、植民地支配が暴力の行使を伴ったことを「忘却」しようとする欲望と結びついているといえるだろう。 台湾の植民地支配、それは植民地領有戦争というむき出しの暴力の行使を伴って開始された。 (31頁) この時期(引用者注―1895.5〜96.3)の戦闘は日清戦争として一括して扱われることが多く、そのことも関連して、台湾が「戦場」となったということ自体が、現在の日歴史意識の中で「顕在化」しにくい状況を生み出しているといえる。 (32頁) 最後に、宗主国内部におい

    忘却の台湾 - 日本近現代史と戦争を研究する
  • 南京事件を認めると謝罪と賠償が求められ国益を損なう、と見えない恐怖に脅えている人について - Transnational History

    今回の南京事件に関する一連のエントリーでの、とあるblogのコメ欄に 「南京事件があったことを日が認めると中国からなんらかの賠償と謝罪が求められるから認められない。」 といった被害妄想の強い否定派の人をみかけた。こういった明らかな事実誤認に基づいた否定派というのは、こちらが「日政府は被害者の具体的な人数については諸説有るとしているが、南京事件がおこったことは公式に認めているし、日中両国間の国交正常化以降に中国政府が謝罪や賠償を求めたことはありませんが。」と教えても、次に必ず(セット)と言っていいほど、 「国益を損なうことになるから認められない。」「あなたは少し勉強不足ではないでしょうか?」 と、おもいっきしこちらがズッコケるようなレスを返してくる。しかも、きちんと事実関係を把握できていないのは自分の側であるにも関わらずなぜか自信満々に・・・。こういった事実関係より感情を優先するタイプと

    南京事件を認めると謝罪と賠償が求められ国益を損なう、と見えない恐怖に脅えている人について - Transnational History
    odd991
    odd991 2009/06/06
    国家間の賠償は講和条約締結で済んでいるのは常識なのに…。いま争われているのは私人間なような。一部の日本の人の被害妄想が熱い。
  • Bataan survivors hear apology

    WHEN: April 1942 during World War II WHERE: Bataan Peninsula, Philippine island of Luzon WHO: About 78,000 prisoners of war (12,000 Americans; 66,000 Filipinos) were marched by the Japanese 65 miles over six days to a prisoner-of-war camp. As many as 11,000 prisoners died on the march. Thousands of U.S. troops and allies were forced by Japanese captors to walk 65 miles in the Philippines during

    odd991
    odd991 2009/06/01
    村山談話の適用かな?
  • The Associated Press: Japan ambassador apologizes for Bataan Death March

  • 村山総理大臣談話

    平成7年8月15日 (英語版はこちら) (中国語版はこちら) (韓国語版はこちら) 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。 敗戦後、日は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。 平和で豊かな日となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを